福岡県那珂川市の中ノ島公園のすぐ隣。
お社は車の通りから、ちょっと奥まった場所にある。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/16/153535769/b6/52/j/o0600045014837862856.jpg?caw=800)
さらに奥へと。
神社の森は「日吉の杜」とされていて、神域だそう。
この辺りから、びりびりとする気配がする。
久々に強い「神気」に当てられ、全身鳥肌が立ってきた。
この神社のパワーはすごい
鳥居をくぐると、左側に川の水を引いている池がある。
猿田彦命を祭る神社のことだけあって、猿像があった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/16/153535769/7c/8d/j/o0600045014837862861.jpg?caw=800)
どうやら、大きな力の一つはこの猿像からのよう。
(・・・というよりも、この日は”こちらに来ていた”という感じ)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/16/153535769/11/ff/j/o0600045014837862863.jpg?caw=800)
生きてると感じるほど、強い視線。
その時、ふと浮かんだ言葉を口にした。
「神威を見せて」
と同時にスマホのシャッターを切った。
下の写真はその時に、上の猿像を撮ったもの。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/16/153535769/4a/bb/j/o0600045014837862865.jpg?caw=800)
逆光でもなく、偶然とは思えないのだが。
撮らせてくれたものだと信じることにして、感謝。
この写真をココログ(nifのブログ)に載せたところ、何人かの視える方が書いてくださった。
「天狗か、天使に見える」と。
何か感じますでしょうか。
拝殿。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/16/153535769/18/bc/j/o0600045014837862867.jpg?caw=800)
祭神は、猿田彦命。
地元の方はそう信じている。私もそうだった。
那珂川は、猿田彦発祥の地と言われ、街でもそのようにしている。
さるたくんという、キャラクターが街のコミニュニティーバスに描かれていたり、あちこちを案内してくれてる。
だが後に、神社庁に記録されている御祭神は、天御中主神、大己貴神、日子穂穂出見神と分かった。
猿田彦命の名はない。
(他に、大山祇命、八雷神、菅原神、迦具土神、田心姫神、高淤加美神、闇淤加美神、手力雄神、宇賀魂神、表筒男神、中筒男神、底筒男神、須佐之命、天照大神)
*菅原神と田心姫意外は同じ神。
由緒書です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/16/153535769/90/60/j/o1080081014837862871.jpg?caw=800)
ここは、最澄が日吉・日枝大社に、
「猿田彦神」を勧請した「日吉・日枝神社」の元宮の一つ。
詳しい説明は後々するが(長くなるので)、
最澄はこちらの神を比叡山に勧請し、日吉・日枝神社の御祭神の一柱として祀ったのだ。
その社には二つの宮があり、それぞれ猿田彦命と奈良の大神神社から勧請した大己貴神が祀られている。
さらに、二つの宮の神は、同神としていた。
それが、ここの「猿田彦命」が、大己貴命として祀られている理由なのだ。
上の由緒書、かなり面白いので、全文を掲載。
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日吉神社 由緒記
猿田彦命は古事記の天孫降臨の条に最初に現れる
国津神であります。
天照大神から授けられた斎庭(ゆにわ)の稲穂を育てるべき水田を開拓して待ち給うた神と語られます。
”さるた”とは今も対馬と種子島に僅かに保存されている稲穂の一品種なる赤米のことであります。
春に浅瀬の多い川を止めて湖を作り、これに苗を植え夏の日照り時に水を引いて秋の収穫まで干し上げる古式栽培のことでもありました。
弥生より後の氏神の鎮守の社は部落を見渡す高台にあるのが普通でありますが、本社が低い川原にあるのは、日夜田廻りに生きてきた古代の農耕の本質を今に伝えているからであります。
祭日は四月三十日の水籠、八月三十一日の風籠(かざごもり)、十二月三十一日の大晦(おおつごもり)がありました。
氏子一同が神前で会食する式例で一年を三季に分ける珍しい暦法の名残でありますが、縄文時代の冬のない亜熱帯気候の風土もよくしのばせます。
これに一月一日の年始祭、七月三十一日の輪越(わごし)祭、十一月二十三日の注連縄祭が加えられております。
猿田彦を祭神とする社は、伊勢二見の興玉で、夏至に駿河富士の朝日を拝するところから、伊勢暦の編纂をもあつかった神であります。
本社の拝殿の天井に描かれた十二月十二支に方位月日の神としての一面をうかがうことが出来るかもしれません。
伝教大師最澄は、
延暦二十四(八〇五)年唐から帰朝の折に筑紫で最初お天台派寺院たる背振山東門寺を開基いたしました。
そして、これを比叡山延暦寺に移した時に、その守護神としてここの山王神猿田彦命を勧請して彼の地に日枝神社を創建したという伝説が残っております。
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”さるた”とは、赤米のこと。
”猿田彦”(またはその集団)が広めた米だから、そう命名したのかもしれない。
拝殿内
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201022/10/153535769/2b/87/j/o1080072014838698091.jpg?caw=800)
天井の十二支が描かれた板
(十二支の獣かどうかは判別できない
猿田彦神は月日の神でもある
那珂川の街のことが書かれている「箸墓の歌」。
著者、小椋一葉氏は、各地に残る伝承や神社、猿田彦命と書かれた道祖神の多さから、猿田彦命はここにいたのではないかとしている。
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奈良の大神神社の御祭神 大物主神。
大己貴神の和御魂。
さらに、大神神社では、大国主神の和魂が大物主。
つまり、大己貴神=大物主=大国主=饒速日命。
大神神社の三輪山に祀られているその神こそ、大己貴とも言われている、彼。
その名の一つが、猿田彦神。
多くの名を持つのは、彼を慕う一族が数多の場所へと、彼を広めていった故。
それぞれの土地や一族の名に替え、他の名で呼ばれていても、かの神は一柱。(詳しくは、後々)
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那珂川にある二つの元宮、日吉神社と現人神社。
・・・元宮が二つ。
ここにあるのは偶然ではなかったのだ。
前回の
現人神社の神こそ、かの神の「始まり」だった。
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お社の側にある「オガタマの木」。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/17/153535769/56/a7/j/o0450060014837875051.jpg?caw=800)
以下、説明版から。
神前に供える栄木の一種である。
オガタマは招霊(おきたま)の転訛したもので、神前に供えて、
神霊を招く意に由来するという。
又、神寄木(かみよりのき)であるので日吉神社の神木に
もなっている。胸高周囲は3・8メートルである。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/17/153535769/2c/1d/j/o1080072014837876010.jpg?caw=800)
これが神鈴の元になった実。
アメノウズメがこれを持って、岩戸が隠れした天照の前で舞ったと神話にある実。