前回の続き。
竺紫と筑紫
竺紫日向橘小門阿波岐原はどこか。
まず、竺紫の場所について、「儺の国の星」が明かす。
竺紫とは、この状態の北部九州の事を示すのだ。
物部の子孫、真鍋大覚氏の「儺の国の星」によると、上記の建日向豊久士比泥別が天原と呼ばれていた。
☆昔、筑紫の国はその中央を、北から玄界灘、南から有明海の荒穂、即ち滔々たる海流が貫いて居た。
東なるを宇佐島と云い、西なるを天原と言った。
「拾遺 P82」
下記、記事より。
そこは「高天原」であったのだ。
天孫降臨の地。
神話のほとんどの神は、彼らに集約される。
ゆえに、「天孫降臨」の地になる。
神話は全て彼らの物語であるので、「竺紫日向橘小門阿波岐原」もここにある。
******************
☆竺紫日向橘小門阿波岐原
図1 筑紫三山と真の道
地図はGoogle map
神話の神(初めの方の)はすべて彼らと同神。
では、「イザナギ神の禊の祓い」もこの地になる。
★3 竺紫日向橘小門阿波岐原(イザナギ神の禊の地)
祓いをした場所。
それは「祓いの神」がおられる地を示唆。
「神が生まれる」場所。
那珂川には、祓いの神である住吉神の元宮・現人神社があった。
(現人神社は図1の4)
ここには、神話に描かれている地形、地名が残されている。
図2(成竹山展望台からの那珂川・
儺国と博多の街)
青の線は、筑紫三山の海側の結界(当時の海岸)
オレンジ色の線は「真の道」
★1 筥崎宮(笠沙の岬・葦津の浦。当時は海であり、後の名)
★2 熊野道祖神社(黄泉の大岩・結界)当時の海岸線(よりもちょっと手前)
★3 天御中主神社
★4 現人神社(住吉の元宮)
★5 裂田神社(安徳台はその左側・画面中央)
★6 日吉神社(日吉大社の元宮の一つ)(画面右下の方向)
蛇行してる青い線は那珂川(川の方)
★7 岩戸の地形(緑の丸で囲んでる場所*川が最初に山と山に挟まれ、狭くなる場所(門のようになる)が岩戸)
ここが「橘(今は立花木)」
★8 おぎわら橋
神話の阿波岐原(あわぎはら)は、荻(おぎ)か萩(はぎ)が生えている地を意味する。
★9 小門(おど)
この辺り(伏見宮の前)が小門(おど)と呼ばれていた。(*門の前で水が溜まる場所を意味すると推測)
裂田溝へ水を引く為の一の堰がある(おそらく同時期に造られたのかと)
★7~9は篠原正之氏「邪馬台国位置論」参考*地元の郷土史研究家の方
(真鍋大覚氏「儺の国の星」にも記述あり)
那珂川(川の)よりも西(左側)が岩戸地区(昔は岩戸郷、岩戸村)
一柱の神から生まれたことは、同神を意味している。
また、「祓いの神」がおられる場所が高天原ということを示唆するもの。
高天原とは神の住まい。
神話の舞台となる地は、ほとんどこの地となる。
では、
★7 大国主神と須世理比売(すせりひめ)の神の宮の地
彼らも同神ならば、
「宇迦の山の山本(山の麓)の底津石根に太い宮柱を立てた」地は元々はこの地にあったもの。
宇迦は、宇迦御霊神。
彼らの別名である、宇迦の神、豊受、稲荷神(歳神)を意味する。
宇迦の山は、彼らの名を冠した脊振山。
建日向豊久士比泥別(たてとよくしひねわけ)。(*2)
豊と櫛のお山であり、神話のクシフル岳。
図3 安徳台(高さは30m)南から
宇迦の山(背振山)の底。
底津石根(そこついわね)とは、この地にある安徳台。
(図2 の写真のほぼ中央)
その姿はまるで石でできた木の根っこのよう。
神功皇后と武内宿禰の伝承では「とどろきのおか」として登場している。
図4 安徳台の俯瞰(Google mapより)
後に出雲に社を建てる時、この地の伝承の姿を元にして「底津石根」に見立て、出雲大社を造ったのだ。
「国を譲る」
天照であったこの地と大和から神の宮が移った「譲った」ことを意味する。
図5 北から見た安徳台。
手前の平べったい台地が安徳台。
奥(山の向こう)が脊振。
背振の「底にある石根」という情景と符合。
ここは魏志倭人伝の奴国であり、儺国。
なの言霊には、成る、為す、完成した、行き着く先という意味があり、儺(な)は鬼がいない。
神の国を意味する。
住吉神は饒速日命であり、その后、御炊屋姫が神功皇后。
彼女が卑弥呼(ひみか)と今、言われている者。
その住吉神と神功皇后が異類退治をした。
祇園祭、高良の伝承が伝えている。
彼らが祓いの神である理由だ。
すべて、彼らの物語を2千年近くも伝えているのであった。
ここが祓いの神であった彼らの故郷である。
*邪馬台国とは神の国であり、儺国、やまと(大和)と同じ意味がある。
儺国と大和が邪馬台国。
( つづく )
*1 カサは古語で貝が湾を開けたような湾。
博多のカタと同じ意味。
サは水辺に生える草の総称であり、葦
ハカタのハは美称。
*2 クシフル岳。
建日向豊久士比泥別とは、
豊は豊姫、豊玉姫、豊受である御炊屋姫(神功皇后)。
久士は櫛彦、櫛玉饒速日命、天照(住吉神)を意味する。
日向は「神の妻」の意味の、御向、向津姫と同じ。
日の神の妻、豊受であり、御炊屋姫の事。
神は、天照である饒速日命であり、建とは、たけるであり、王を意味するもの。
*成竹山展望台は私有地の為、現在入れなくなってる。
この光景好きだったんだけどなぁ 。
*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。
前回の続き。
竺紫と筑紫
竺紫日向橘小門阿波岐原はどこか。
まず、竺紫の場所について、「儺の国の星」が明かす。
竺紫とは、この状態の北部九州の事を示すのだ。
物部の子孫、真鍋大覚氏の「儺の国の星」によると、上記の建日向豊久士比泥別が天原と呼ばれていた。
☆昔、筑紫の国はその中央を、北から玄界灘、南から有明海の荒穂、即ち滔々たる海流が貫いて居た。
東なるを宇佐島と云い、西なるを天原と言った。
「拾遺 P82」
下記、記事より。
そこは「高天原」であったのだ。
天孫降臨の地。
神話のほとんどの神は、彼らに集約される。
ゆえに、「天孫降臨」の地になる。
神話は全て彼らの物語であるので、「竺紫日向橘小門阿波岐原」もここにある。
******************
☆竺紫日向橘小門阿波岐原
図1 筑紫三山と真の道
地図はGoogle map
神話の神(初めの方の)はすべて彼らと同神。
では、「イザナギ神の禊の祓い」もこの地になる。
★3 竺紫日向橘小門阿波岐原(イザナギ神の禊の地)
祓いをした場所。
それは「祓いの神」がおられる地を示唆。
「神が生まれる」場所。
那珂川には、祓いの神である住吉神の元宮・現人神社があった。
(現人神社は図1の4)
ここには、神話に描かれている地形、地名が残されている。
図2(成竹山展望台からの那珂川・
儺国と博多の街)
青の線は、筑紫三山の海側の結界(当時の海岸)
オレンジ色の線は「真の道」
★1 筥崎宮(笠沙の岬・葦津の浦。当時は海であり、後の名)
★2 熊野道祖神社(黄泉の大岩・結界)当時の海岸線(よりもちょっと手前)
★3 天御中主神社
★4 現人神社(住吉の元宮)
★5 裂田神社(安徳台はその左側・画面中央)
★6 日吉神社(日吉大社の元宮の一つ)(画面右下の方向)
蛇行してる青い線は那珂川(川の方)
★7 岩戸の地形(緑の丸で囲んでる場所*川が最初に山と山に挟まれ、狭くなる場所(門のようになる)が岩戸)
ここが「橘(今は立花木)」
★8 おぎわら橋
神話の阿波岐原(あわぎはら)は、荻(おぎ)か萩(はぎ)が生えている地を意味する。
★9 小門(おど)
この辺り(伏見宮の前)が小門(おど)と呼ばれていた。(*門の前で水が溜まる場所を意味すると推測)
裂田溝へ水を引く為の一の堰がある(おそらく同時期に造られたのかと)
★7~9は篠原正之氏「邪馬台国位置論」参考*地元の郷土史研究家の方
(真鍋大覚氏「儺の国の星」にも記述あり)
那珂川(川の)よりも西(左側)が岩戸地区(昔は岩戸郷、岩戸村)
一柱の神から生まれたことは、同神を意味している。
また、「祓いの神」がおられる場所が高天原ということを示唆するもの。
高天原とは神の住まい。
神話の舞台となる地は、ほとんどこの地となる。
では、
★7 大国主神と須世理比売(すせりひめ)の神の宮の地
彼らも同神ならば、
「宇迦の山の山本(山の麓)の底津石根に太い宮柱を立てた」地は元々はこの地にあったもの。
宇迦は、宇迦御霊神。
彼らの別名である、宇迦の神、豊受、稲荷神(歳神)を意味する。
宇迦の山は、彼らの名を冠した脊振山。
建日向豊久士比泥別(たてとよくしひねわけ)。(*2)
豊と櫛のお山であり、神話のクシフル岳。
図3 安徳台(高さは30m)南から
宇迦の山(背振山)の底。
底津石根(そこついわね)とは、この地にある安徳台。
(図2 の写真のほぼ中央)
その姿はまるで石でできた木の根っこのよう。
神功皇后と武内宿禰の伝承では「とどろきのおか」として登場している。
図4 安徳台の俯瞰(Google mapより)
後に出雲に社を建てる時、この地の伝承の姿を元にして「底津石根」に見立て、出雲大社を造ったのだ。
「国を譲る」
天照であったこの地と大和から神の宮が移った「譲った」ことを意味する。
図5 北から見た安徳台。
手前の平べったい台地が安徳台。
奥(山の向こう)が脊振。
背振の「底にある石根」という情景と符合。
ここは魏志倭人伝の奴国であり、儺国。
なの言霊には、成る、為す、完成した、行き着く先という意味があり、儺(な)は鬼がいない。
神の国を意味する。
住吉神は饒速日命であり、その后、御炊屋姫が神功皇后。
彼女が卑弥呼(ひみか)と今、言われている者。
その住吉神と神功皇后が異類退治をした。
祇園祭、高良の伝承が伝えている。
彼らが祓いの神である理由だ。
すべて、彼らの物語を2千年近くも伝えているのであった。
ここが祓いの神であった彼らの故郷である。
*邪馬台国とは神の国であり、儺国、やまと(大和)と同じ意味がある。
儺国と大和が邪馬台国。
( つづく )
*1 カサは古語で貝が湾を開けたような湾。
博多のカタと同じ意味。
サは水辺に生える草の総称であり、葦
ハカタのハは美称。
*2 クシフル岳。
建日向豊久士比泥別とは、
豊は豊姫、豊玉姫、豊受である御炊屋姫(神功皇后)。
久士は櫛彦、櫛玉饒速日命、天照(住吉神)を意味する。
日向は「神の妻」の意味の、御向、向津姫と同じ。
日の神の妻、豊受であり、御炊屋姫の事。
神は、天照である饒速日命であり、建とは、たけるであり、王を意味するもの。
*成竹山展望台は私有地の為、現在入れなくなってる。
この光景好きだったんだけどなぁ 。
*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。