前回の記事。

 

☆1 竺紫と筑紫

☆2 住吉神と「儺の国の星」

☆3 神話の地

 

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☆1 < 竺紫と筑紫 >

 

神話には二つの表記がある。

「儺の話の星」には以下のことが記されていた。

 

 

竺なる古辞は神代紀に竺紫日向小門阿波岐原、竺紫日向高千穂霊峰(くじふるたけ)、継体紀に竺紫君石井がみえる。

“身一つにして、面四つあり“に対する配りである。

筑紫を地元では“ちくし“と云う。

竺人(ちくにん)の訛りと説かれている。

竺とは德人、或いは篤人、即ち西域の胡人、ならびにその文化伝統の総称であった。

(中略)

 筑紫の東島(あかりのしま)と西島(いりのしま)が繋がれたのは雄略帝十七(四七三)年のことであるが、爾後(じご)この竺は現れない。

 

なんと、ここに「筑紫島の四つの面」があった。

では、竺紫とは、この状態のことを言うのだ。

 

 (図 1 海面上昇シミュレーションシステムより)

 

玄界灘と有明海が繋がれた様子。 (注*1)

 

  

図2 出典 糸島教育委員会制作 古代の海 

 

この状態は標高3Mとだそうだが、この状態になるには、標高が分かるwebで4M。

瀬高が標高5M辺りなので、海の瀬が一番高い時が5Mと推察し、図1は5Mとした。

 

尚、図1は海の合間の小高い場所は反映されないので、真っ青になっている。

 

 

 

☆2 < 住吉神と「儺の国の星」 >

 

「儺の国の星」には

*有明海が脊振、耳納、四王寺を三つの海峡で仕切っていた時代

(もう一つの境は大根地山の麓の冷水峠を通るライン)

*“身一つにして、面四つあり“に対する配り

*竺紫日向小門阿波岐原、竺紫日向高千穂霊峰(くじふるたけ)

 とある。

 

では、それらも当然、この地にあるものになるだろう。

 

竺紫日向小門阿波岐原で生まれたのは住吉神。

元宮の現人神社がある那珂川には、それが全てあった。

 

 

 

 

 

 

竺紫日向高千穂霊峰(くじふるたけ)は、今の脊振のこと。

 

 

 

 

天原=高天原はそれらを内包した、脊振山系。

これが建日向豊久士比泥別。

 

図1に関わる、高良神、神功皇后の過ごした地。

それが儺国であり、邪馬台国。

 

 

☆3  < 神話の地 >

 

神話の神はすべて二柱に集約されるので、神話もすべて彼らの話となる。

 

白日別は、筑紫国。

筑紫の国魂の高良大社の高良神=住吉=磯神=石上

=伊勢神(古来、磯宮=磯神)=天照

☆高良は古来、物部の領地=祖神、饒速日命

 

☆豊日別は豊国。

豊国の国魂である宗像大社の市杵島姫命=御炊屋姫=豊受(大神神社の御炊社は豊受)

 彼女は饒速日の后。

 高良神が饒速日命なので、彼女は神功皇后となる。

 

☆建日別は彼らが対峙していた羽白熊鷲=熊襲=命尽くし神。

 

 

 

☆建日向豊久士比泥別は、肥国。

肥国の国魂、脊振山と天山の神。

 

豊=豊姫=神功皇后=市杵島姫命(弁財天)

櫛日=櫛玉饒速日命=高良神

泥(ネ)は根=神、貴人の意味

で、脊振のある地、住吉の元宮現人神社がある儺国=那珂川

 

 

そこが高天原である。

 

 

 

 

彼らはそこにおられた。
だから「天孫降臨の地」であり、イザナギの禊の地であり、住吉・日吉の元宮があるのだ。

 

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

 

*1 この頃の糸島の古代海面が今より3~4m。

標高が分かるwebで4mほどの海面。

福岡の瀬高が5m以上の位置。

この図では5mとしました。

 

そのシステムは細かい標高を拾ってくれないので、筑紫平野は真っ青になります。

この中に古代の遺跡もあり。

 

縄文海進の最高は5m。

当時はここまででは無いと思われます。

これは「筑紫島の四つの面」の由来はこれだよと言う図なので、厳密では無いです。

 

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