続きです。

 

 

*「龍の住む山」
 

脊振山は、上宮嶽、弁財天山、ともされている。

山頂の上宮に弁財天が祀られている故。

御祭神は、その弁財天と習合されている「市杵島姫命」。
かの神を祀ったのは、神功皇后。

 

(脊振山 脊振神社上宮)

 

*「脊振の二龍」

 

著書「箸墓の歌」の中で小椋一葉氏は、脊振山についてこう書かれている。

「「背振神社蔵古書によると、絶頂に霊窟があり、二竜常に出現し背を振る時、山が動き地震う、故に背振山と号する」」
(小椋一葉 著作「箸墓の歌」より抜粋)


氏は、その二柱の竜(神)が「須佐之男命」と「饒速日命」ではないかとされていた。

しかし、筑紫の神と言えば、「饒速日命」。
白日別神として筑紫神社に祀られているのも、筑後国一之宮の高良大社に祀られている高良神も彼。
「須佐之男命」は彼自身だった。

 

 

また、脊振山頂には、弁財天と毘沙門天が祀られている。

それが脊振の伝承の乙護法善神と弁財天。

 

 

八大龍王にも繋がった。

さらに佐賀の八大龍王社の祭神は綿津見神。

志賀海神社の祭神であり、そこは竜宮と呼ばれている。

 

高良神と同神。

 

よって、脊振の毘沙門天と弁財天は、高良神と神功皇后となる。

 

浦島伝承の「乙姫」は、乙護法善神の后であるからだった。

 

 


                          *
弁財天は市杵島姫命であり、御炊屋姫。

高良神はその夫の饒速日。

 

 


彼女は大和で彼と出会い、その先は「神功皇后」として名を変えられて筑紫に存在していたのだ。


神社に連なるたくさんの神。
また、神話でも、親でも子でもない神々の名。
なのに、何故一緒に祀られているのか。
これが答え。

 

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*「クシフル岳」
 

それ故に、この山が本当の「クシフルタケ」。
「クシなる、布留神の山」。
あるいは、「クシなるものが降った山」。

饒速日命は、櫛甕玉饒速日命(布留神)。
「クシ」は彼の名の前にある「冠辞」のようなもの。



<<奇(くし)>>には、人間に不思議な奇跡をもたらすもの、
神の力を感じられるものという意味がある>>

「真実」であるからこそ、繋がる。


                     *

*「現人神」
 

ならば、気になるのは、「脊振神社蔵古書」の言葉。

「二竜常に出現し背を振る時、山が動き地震う

二柱が彼らであるならば、彼らが”それ”を起こすとは考えにくい。
それは。

「山が動き地震う時、二竜が常に出現する」
 

脊振の神の一柱が饒速日命であるなら、これに重なる言葉があった。
住吉の元宮、現人神社の伝承に。

(「現人(あらひと)神社 福岡県」)

「国の大事の際に人の前に姿を現し、神通力を振るう神」

同じことを指しているのではないか。
 

また、大辞泉の「現人神」の項にはこうある。

<随時、姿を現して、霊験あらたかな神。特に住吉や北野の神をいう>

北野の神は、菅原道真公。
 

「現人神」で繋がるこの二柱の神。
よく同じ社に祀られている。

登弥神社」の御祭神にも名があった。


 

それは、筑紫においても同じ。
そこは元々「饒速日命」の土地であり、「太宰府の菅原道真公」もかの地に来られている。

筑紫だからこそ、この二柱の神は繋がっていた。
(「天神様が拝んだ神 ~福岡 天拝山~」)

天神様(菅原道真公)が、天拝山で天に拝した神は、饒速日命。

高良神(饒速日)は、鹿島、春日の神とも同神であり、武御雷神でもある。

道真公が亡くなった後、都に雷を落としたとされたのは、彼の方では無かったのか。

 

ゆえに、神として一緒くたにされたのではと考えている。

道真公も「現人神」なのだ。