前回の続きです。

 

 

 

高良山の麓、祇園山古墳は卑弥呼の墓の候補地にされていた。

ここに眠る彼女は卑弥呼?

 

 

ここは高良神の御許。

彼には后がいた。

ならば、その者がここに眠る者。

 

夫婦であるならば、側で眠らせたい。

眠りたい。

そう思うもの。

一番自然で、確かな理由だ。(*1 下記補足)

 

さらにここは高良大社の神官さんが代々守ってきた墓。

 

高良神にとって大事な者が眠っているということになる。

 

高良神の后は神功皇后。

 

しかし、高良大社の本殿には、豊姫が合祀されている。

后以外は共に祀らないので(祟られる!)、

彼女が神功皇后だ。

 

ならば、ここに眠るのは彼女?

彼女は卑弥呼?

 

*以下、以前の記事と重なるが、検証していく。

☆1 古墳の名「祇園山」の名に関連がある。

☆2 高良神の夫婦神が被葬者。

☆3 卑弥呼との関連は?

☆4 墓に眠るのは古墳ができた3世紀頃の人物。

彼らの時代は?(これは次回)

 

 

< 祇園山の被葬者 >☆1☆2

 

高良神は祇園の神である。

下社は祇園さんと呼ばれてきた。

 

違うのならば、主祭神を差し置いてそう呼ばれない。


高良神=祇園神

 

彼が祇園の神であるので、祇園山古墳の被葬者はその后の神功皇后となる。

さらに彼女は本殿合祀の豊姫とも同神。

 

(「祇園の神 7 ~神話の中の須佐之男命~」)(*2 下記補足)

 

 

*高良神

高良神は磯良神であり住吉神。

 

伝承では高良神(住吉)と神功皇后は夫婦。

大阪住吉大社の伝承でも、二人は夫婦。

 

また、高良の伝承、高良玉垂宮神秘書より、

彼は饒速日命だと分かった。

高良は物部の祖神を祀る宮であった。

  

高良神=住吉=安曇磯良神=饒速日となる。

 

 

 

彼の后は御炊屋姫。

 

高良神が饒速日命ならば、神功皇后が御炊屋姫ということになる。

 

御炊屋姫=神功皇后

 (「祇園の神 2 ~前編 祇園の神は住吉神(磯良神)~」)

 

では、祇園山に眠るのは神功皇后であり、御炊屋姫。

 

 

 

< 高良神と神功皇后と卑弥呼 >☆2☆3

 

まず、「神の矛盾」がある。

 

高良神(住吉)は神功皇后と夫婦。

住吉は瀬織津姫とで「祓いの神」。

 

瀬織津姫は饒速日と夫婦。

饒速日は御炊屋姫と夫婦。

 

この矛盾は彼らが同神であるからだ。

 

 

「祓いの神」の名は彼らの異類退治が所以になる。

そこから「卑弥呼」に繋がる伝承があった。

 

 

<祓いの神>☆3

 

彼らは主に北部九州で「イルヰ(異類)」を退治していた。

上の記事の羽白熊鷲もその一つ。

これらの伝承の神は名を変えられているが、全て彼ら。

状況、場所が同じであった。

 

 

 

☆荒穂神社

☆筑紫神社の伝承(筑後国風土記)

☆大根地山の神功皇后。

 

伝承が同じだから、神も同じ。

筑紫神(白日別・高良神)と甕依姫の名がある。(他は上記のリンクで)

 

 

福津の渡半島の二つの神社から同神が分かる

 

☆楯崎神社

☆波折神社

 

大己貴神=住吉神=志賀大神
*宗像神=瀬織津姫=神功皇后

 

 

渡半島と筑後国風土記(筑紫神社と荒穂神社)、大根地山の冷水峠。
これらは彼らの「異類退治」の物語。

そこに関わる神はすべて同神となる。

 

よって、神功皇后=甕依姫=瀬織津姫。

高良神が饒速日命であるので、彼女は御炊屋姫。

(高良神=筑紫神=五十猛命)

 

みかより姫とみかしや姫。

 

共通する「みか」の名は、彼女本来の名であるかもしれない。

 

 

<筑紫島の四つの面>

 

もう一つ、瀬織津姫に繋がる。

高良神は、筑後の国魂の白日別である。

では豊日別は、豊姫であり、神功皇后だ。

 

 

ここから「建日別」は彼らが対峙していた「イルヰ(異類)」である白羽熊鷲だと分かった。

(「筑紫島四つの面」 3 ~建日別・熊襲の正体~」)

彼らは異類を退治していた。

「祓いの神」とされた理由になる。

 

それが、住吉神と瀬織津姫。

(「神の系譜 5 ~祓いの神・住吉神~」)

 

白日別=高良神=住吉神=饒速日。

豊日別=神功皇后=豊姫=御炊屋姫=瀬織津姫となる。

 

 

 

< 繋がる神 >☆3
 

甕依姫(みかよりひめ)は神功皇后。

 

彼が饒速日命であるからこそ、繋がる名があった。

櫛甕玉饒速日命(櫛甕玉彦)。

 

彼女には対となる名、櫛甕玉姫(くしみかたまひめ)があった。

「依」は玉依。

神の魂の依り代(巫女)の意味があり、筑紫の伝承の甕依姫の名はそれを示唆。

 

また「甕」は神への供物を入れる器=巫女

日の神に仕える巫女の意味で、日甕(ひみか)。

 

*おそらく、考え方としては逆。

彼女が「ひみか」であったので、”後の世で”みかの名が彼女を表すものになったのだ。

 

甕依姫(みかよりひめ)、御炊屋姫(みかしやひめ)

これらは、彼女の名を元にしたもの。

 

卑弥呼とは、ひみか。

魏志倭人伝の卑弥呼は彼女の事になる。

 

 

*魏志倭人伝の「夫はいない」「場所」それらは変えられて伝えられている。

 

 

それは女神天照には夫がいないとされていたからであろう。

天照=卑弥呼なのだから、その存在は隠されるのだ。

 

神功皇后には神話では夫はない(仲哀天皇と死別の後)

しかし、彼女の夫は住吉神。

彼が饒速日命ならば、大和から夫婦だ。

 

仲哀天皇の話自体、創作になる。

彼女の身重の期間がでたらめなのはその為。

そこには同神、住吉神や武内宿禰が夫であるかのような表記もあった。

 

*「奴国」の後の表記が曖昧だ。

奴国が政治的に重要な地であったため、ごまかしているのだ。

奴国は、儺国。

儺・なは、鬼がいない=神の国を表す。

祓いの神であった彼らの国。

 

な・ら(奈良)は、彼らのもう一つの国を表す。

彼らはその両方におられた神であったのだ。

な国もならも「神の国」やまとを意味する。

 

 

高良神は饒速日命。

彼の后は御炊屋姫。

彼女は豊受大神、弁財天であり、市杵島姫命(宗像姫)。

宗像神は北部九州の神。
 

 

では、

*祇園の神

*高良神の后

*甕依姫(祓いの神の由来の伝承の名の一つ)

これらと繋がる神功皇后、饒速日命の后の御炊屋姫が卑弥呼であると言える。

 

彼女が「卑弥呼」であり、祇園の墓の築造が三世紀とされるなら、彼らもその時代。

 

次回、多分、時代の流れ。

 

 

( つづく )

 

 

*1 について

おそらく、后が先に無くなっている。

高良大社の奥宮は「武内宿禰(高良神)の廟」とされるが、古墳などはない。

彼はこちら(福岡)に埋葬されてないのかもしれない。(ならば、大和の三輪山か)

彼が先ならば、后もそちらに眠るはず。

高良の伝承には、神功皇后が亡くなった後、高良の神達は高良山を下りたとある。

行方は不明。

この真偽は分からない。

 

 

*2 須佐之男命  

当初、「祇園の神 7」の記事までは、彼の父としての須佐之男命も表してるのじゃないか?と思っていた。

しかし神話は、彼ら二柱のみを繰り返し登場させていたもの。

須佐之男命=100%饒速日命になる。(上記記事内、訂正してます)

 

 

*3 高良神と豊姫

高良玉垂宮神秘書には彼らについてこうあった。

*表筒男神=玄孫大臣物部の大連(豊姫と夫婦)
*中筒男神=神武天皇

*底筒男神=高良大菩薩、物部保連、藤大臣(神功皇后と夫婦)

この三柱は同神であるから、神功皇后と豊姫も同神。

 (「神の鉾 5 ~月神の二つの珠と十種神宝」)

 

*4 筑紫神と命尽くし神

退治した者(筑紫神、筑紫の国魂(高良神)、住吉神、白日別、饒速日命)が、退治された者(命尽くし神、白羽熊襲、イルヰ、異類)の名になる。

封印でもある。

 

その高良神は住吉神。

后は神功皇后。

北部九州へと移っている彼女。

神話ではそこで住吉神と出会っている。

 

高良の神は饒速日命に繋がった。

彼の后は御炊屋姫。

彼女は弁天様であり、市杵島姫命。

宗像神であり、北部九州の神

彼らは大和で出会い、共に北部九州へと移っていたのだ。

 

 

 

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