続きです。
白日別
白日別は筑紫国。(「古事記」)
筑紫の国魂は筑後国一ノ宮の高良大社の高良神。
では他の区分も彼に関係ある。
(自分が推定した)AD200年頃の筑紫平野)
*海面標高5m付近(*1)
高良大社から見える景色。
正面は脊振山系がある、建日向豊久士比泥別。(理由は後に)
こちらがもう少し奥(東)に行った、高良山の山頂から見た景色。
霞んでるが、豊日別と建日別が見える。
当時は、この間にも海(湿地帯)があった。
白日別の神
「白日別」は、筑紫神社の由緒書にある。
由緒書には「筑紫の神は、白日別神(しらひわけのかみ)・五十猛命という説があり、断定できていない」とある。
筑紫神社と荒穂神社の伝承から、五十猛神、高良神と神功皇后へと繋がっていた。
荒穂神の五十猛は高良神。
大根地山の神功皇后。
筑紫神社にもある筑後国風土記の甕依姫。
同じく白日別は筑紫の国魂(筑紫神)。
筑後国一之宮の神の高良神。
すべて同じ話であり、同じ二柱なのである。
筑紫の元、「命尽くし神」を退治したのが、筑紫神である高良神、神功皇后であった。
高良のご祭神は高良玉垂命、八幡大神、住吉大神。
皆、同神。
☆神社のご祭神には同じ神が、別の神名として祭られている(のが多い)。
「白日」の名は、彼が天照大神=饒速日であるからか。
豊日別
豊日別は豊国。(「古事記」)
豊国の国魂=豊姫=宗像神。
宗像神社がある地。
豊姫は高良大社合祀。
高良神の后は神功皇后なので、彼女が豊姫。
白日別は高良神。
后以外は共に祀らない。
しかし、今の豊国の地の認識は、豊前、豊後のあった場所。
福岡県東部の一部と大分県。
その両方にある一之宮に祀られる神は、神功皇后と宗像神。
*豊前一の宮は、宇佐神宮。
*豊後一の宮は、「西寒多神社」「柞原八幡宮」。
「全国一宮巡拝(豊後一宮)より」
高良神は饒速日であった。
彼の后は御炊屋姫。
市杵島姫命であり、宗像神、豊受大神である。
ゆえに、その后の神功皇后が豊姫であり、宗像神というのは符合する。
後に、宇佐神宮が後に建てられた時に、そちらが豊国になったのだろう。
神秘書には「宗廟が高良大社から宇佐へ移った」とある)
「四つの面」は高良大社から見える「面」のことを表す。
白日別が高良神であり、饒速日。
豊日別が宗像神であり、神功皇后=御炊屋姫=市杵島姫命。
二人は夫婦なのだ。
*饒速日と御炊屋姫
*御炊屋姫は瀬織津姫
二柱の異類退治が、彼らが「祓いの神」住吉と瀬織津姫の名の所以である。
全てが彼らに繋がる。
彼らであるから、繋がる。
次は、建日別。
( つづく )
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*1 この頃の糸島の古代海面が今より3~4m。
標高が分かるwebで4mほどの海面。
福岡の瀬高が5m以上の位置。
この図では5mとしました。
そのシステムは細かい標高を拾ってくれないので、筑紫平野は真っ青になります。
この中に古代の遺跡もあり。
縄文海進の最高は5m。
当時はここまででは無いと思われます。
これは「筑紫島の四つの面」の由来はこれだよと言う図なので、厳密では無いです。