基山周辺には、もう一つ伝承がある。

酷似の伝承は神に繋がった。 


 ★前回の記事


筑紫野市にある「筑紫(ちくし)神社」。
祭神は、「筑紫神(つくしのかみ)」。

 

 
街中の少し小高い丘の全てが神社の聖域。                

 

 

写真は2度の参拝した時のが混同してる。

初めて行ったのは、2月。
 

 

これは以前行ったときの写真。   
 

                                                           .
御祭神

筑紫神 [ツクシノカミ]筑紫国の国魂・筑紫の国号起原・氏神様
坂上田村麿[サカノウエノタムラマロ]武家の神・必勝、戦いの神
玉依姫命[タマヨリヒメノミコト]縁結び・子孫繁栄の神
 


由緒書きより

  祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。
    奈良時代の「筑後国風土記」の神話によると
    「筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、
  峠を往きかう人を多く取り殺していた。
    その神は人の命尽(イノチツクス)の神と呼ばれていた。
    後にこの神を祀って筑紫の神を呼ぶようになった」
  とされ、奈良時代以前から当社は在ったと推測される。
    筑紫の語源は、当社の神号から起こった。

  筑紫の神が白日別神(しらひわけのかみ)・五十猛命という説もあるが
  断定はできていない。
  後世に玉依姫命(竈門神社より勧請)、坂上田村麿を祭祀した。

                                                         .
 

ご祭神「筑紫国の国魂神」は、筑後国一之宮である高良大社の神、高良神。


彼は荒穂神社の境内の石より、五十猛命と同神と分かっている。

 

荒穂神である高良神は、「命尽くし神」を退治した神であった。


では、

筑紫神=筑紫の国魂=高良神=五十猛神

<「命つくしの神」の伝承>
 

神が同じ。

では、荒穂神社と同じ話になるだろう。(筑後国風土記)

 

「筑紫」の名の語源になったご祭神は、「命尽くした神(悪神)」ではない。

高良の神が「筑紫の国魂」であるのなら、御祭神は悪神を退治した「高良神」。

 

かの神は、「高良玉垂宮神秘書」に、神功皇后と共にイルヰを退治したとある。


*後の記事なので、繋がってます


 

(2月の早咲きの桜が咲いてました)

                     *
では、高良神=五十猛神が退治した「命尽くす神」はイルヰの一つではないのか。

(異類=人ではないと思っている)

 

荒穂神社のご祭神には、五十猛神の他に様々な名が配祀されていた。

  瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命    

宝満大神以外の神は、高良の神である住吉三神の一柱、底筒男神である饒速日命に繋がる。

 

 

                .
社の神々は、意味なく配祀されているわけではない。


************************************
 

*筑紫神社の玉依姫命。

後に(竈門神社より勧請)とある。

*荒穂神社の宝満大神。

この二柱は同じ神。
竈門神社は、宝満宮竈門神社。
宝満大神と言えば、ここに祀られている神を表す。
竈門神社には、玉依姫、神功皇后、八幡神が祀られていた。
 

後に分かるが、宝満神の玉依姫は神功皇后。

つまり二つの社で、別々の祭神として祀られているのだ。

 

☆五十猛神=高良神
☆宝満大神=玉依姫=神功皇后
 

 

同じ伝承ならば、関わる者は同じ。

 

違う名で祀られているのなら、それは名を変えられている。

それが、「神社に配祀されている神」は同じだということになる。

 

 

それが、次から明かされる。


 

( つづく )