前回の続きです。

 

 

 

 

海からの異類の襲撃。

筑紫には、それと戦っていた彼らの足跡があった。
(以下、彼らとは饒速日命と御炊屋姫、天照と豊受、住吉神と神功皇后など*すべて同神)

 

筑紫三山、熊野道祖神社はその結界になる。

神社には神話の「黄泉の大岩」の元になった、くなど神が祀られる。

筑紫三山の海側の辺の真ん中にあり、当時の海岸線でもあった。

図1の2になる。

 

図1 筑紫三山と結界

地図はGoogle map

 

それを支えるように貫いているオレンジ色の線。

これが神話の天孫降臨にある「真の道」。

 

「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて、
 朝日のよく差す国、夕陽の照る国である。それでここはとてもよい国である」
(「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國
 夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』)
(Wikipedia 「天孫降臨」より)

 

☆韓国に向かっては、大陸に向かっている様。(後の名称)

 

☆笠沙の岬

図1の1が笠沙の岬。(*1 注)

カサは古語で「貝が口を開けたような湾」(下記サイトより)

ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
 

サは古語で水辺に生える草の総称、つまり葦。(*2)

この地は古来、岬であり、葦津ヶ浦と呼ばれていた。

今は筥崎宮がある。

(博多のカタも意味が同じ。ハは美称。上記サイトより)

(「結びの山 14」 *下の記事に詳細)

 

☆真の道

図1の1~6には神社がある。

1は筥崎宮(笠沙の岬、葦津ヶ浦)
2は熊野道祖神社

 

3~6は那珂川市。(上の地図は古いので町になってる)

3天御中主神社

4現人神社(住吉の元宮)

5裂田神社(神功皇后の伝承地)

6日吉神社(日吉大社の元宮の一つ)

すべて御祭神は彼らを示す。

 

 

 

笠沙の岬へ通じる真の道。

 

これは彼らが施したもの。

三山を用いて結界を張り、熊野道祖神社の地を神の力で支える。(*3)

筑紫三山と黄泉の大岩と真の道。

 

 

「天孫降臨」。

神話では天孫、ニニギ命が天降った地とされる。

 

彼らが神話の全ての神であるので、「天孫降臨」した神は彼らの事。

この地の地名などから、その神話が作られたので、全ての名がここにある。

 

それは次回。

 

☆20 <ニニギの天孫降臨>


 

 

 

( つづく )

 

 

*1 葦津ヶ浦

現在の筥崎宮の場所は標高4m。
その地点程まで海があったのなら、葦津ヶ浦や岬であったというこの場所は、彼らの時代でも存在していたはず。

 

筥崎宮は穂波にある大分(だいぶ)八幡宮神社から勧請されていた。

神功皇后が三韓征伐から凱旋した折に、解散する兵に向け、大分かれ(おおわかれ)をしたという地。

筥崎宮よりも、東の山を越えた向こうの内陸にある。

 

「笠沙の岬」である、この地に立つのは偶然ではない。

人伝だが、筥崎宮の宮司さんは「真の道」をご存知だった。

 

 

*2 サは葦。

*猿田彦のサルも古語で葦(湿地帯に生える草の総称)、または米。
サルタは那珂川や一部の地域で古代米(赤米)を意味する。

また、川などを堰き止め田畑に水を溜めて稲を作る農法(湿田)のこと。

その農法を広めた人達が「さるた」と呼ばれるようになったのだ。
(以下の記事)

 

 

奈良湖の水が引いたあと、これらの農法が広まったのだろう。

それを指導した一人が大物主神である饒速日命。

彼が猿田彦でもあり、稲の神、稲荷神や宇迦之御霊、歳神である理由の一つだ。

御炊屋姫は豊受大神であり、稲荷神、宇迦之御霊でもある。

彼と共にそれを行った故だ。

 

それ故に水を操る神ともされたのだ。(以下の記事)

那珂川の裂田溝(さくたのみぞ)も神功皇后と武内宿禰が造ったとされる。

名を変えた彼らだ。

 

 


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