続きです。

 

 

 

前後編で、「前世の夢」という不確かなものと照らし合わせてます。

あくまでもそれは参考まで。

そこから、導かれるものはないかと。

 

  古代の奈良の湖

 

古代にあった巨大な奈良の湖。
これが「前世の時代」を特定してくれた。

今回、私の記憶の中の湖とほぼ一致する画像を見つけた。

 

(図1 出典「古代で遊ぼ」)
サイト素晴らしいです!ぜひご覧ください!
 

図1の画像には、耳成山のすぐ側まで湖がある。
藤原京と書いてあるすぐ上の△が耳成山。

 

鳥肌が立った。

あの夢の風景と重なったからだ。


ほぼ、上記のような感じ。

 


上記のサイトによると、

 

*弥生~古墳時代の水面標高は、45m辺りになる。

唐古・鍵遺跡の環濠は弥生中期後半に洪水で埋まり、その後復旧した様子がある。

「古代であそぼ」より引用

とある。

 

☆唐古遺跡は2000年前から存在していた。

⇒弥生中期後半に水に沈む。

 

では、奈良湖があった「アマノトリフネ」の時代は、唐古遺跡が沈んでいた時代になる。

 

 

地図から標高を検索するサイトを発見。(生駒越えしたのに~って歩いたからこそ繋がっていくのかも)

地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

(リンク踏むと奈良のこの辺りの地図が開きます)
 

北の平城駅辺り 76m。
耳成山北麓 61.8m。
九条駅 58.5m。

唐古・鍵遺跡は、49.1m。
そのすぐ1.5キロ西にある、石見駅の場所で45m。

 

 

「古代であそぼ」によると、奈良湖の水面標高は、およそ45mだった。

では、標高49mの唐古遺跡が洪水で沈む前の水面は、図1の二番目に青い範囲であったのだろう。

 

洪水により、薄い青の範囲まで広がったのだ。

その時が、アマノトリフネの時代。

 

饒速日命と御炊屋姫の時代になる。

 

 

  大和川開削

 

もう一つ、「彼」が来た後、開墾した記憶がある。
饒速日たちが湖を湿地帯に変えた・・・水を引かせた?ような。

上記地図の左側にある「大和川河床開削」という箇所のことかもしれない。

 

上記サイト「古代であそぼ」に


ここを開削すれば、水が大阪側へ流れる。
弥生時代に九州から奈良に到達した農耕民である弥生人がこれに気づかぬはずがない。
(要約です)

とある。

 

彼らは、その技術を持っていた。


同神である神功皇后達は福岡で、水路を造っている。

それが那珂川の「裂田の溝(さくたのうなで)」。

また、川の那珂川の一の堰の川床は、出雲の蹈鞴(たたら・鉄を作る場所)と同じ構造をしていた。
彼らに「川の改良技術」があったことは確かだ。

 

(後の記事)

 

また、図1のサイト(古代で遊ぼ)にこうある。

 

全国規模の異常気象であれば、各地で農耕不振となって倭国争乱のきっかけとなった可能性もある。(「古代で遊ぼ」より引用)

 

「倭国争乱」は邪馬台国ができる少し前の話。
彼らが水を引いたことにより、それが収まったのでは。

 

 

  明日香の亀石と饒速日命

 

後に亀石から繋がった。

奈良湖の水を引いたのは、本当に三輪の神、饒速日命だった。

 

明日香の亀石の伝承

(湖の水を引いたのは当麻のヘビ)
⇒当麻の長尾神社の伝承

(奈良には大きな蛇がいて頭は三輪神、胴体は竜王宮、長い尾っぽは長尾神社)

 

つまり、三社は同神であり、当麻=長尾神社に祀られている蛇

=三輪の神が、湖の水を引いたとなる。

(詳細、下記)

 

 

 

  倭国騒乱を鎮めた卑弥呼

 

「倭国騒乱」は卑弥呼の登場により、鎮まった。

これは「魏志倭人伝」にある。

 

彼女はその実、女神天照である、御炊屋姫(下記に記載)。

 

その夫は饒速日命である、三輪の神。

湖の水を引いたのは、彼であった。

 

では、饒速日命が湖の水を引き、そのことで「倭国」が鎮まったのだ。

 

 

  卑弥呼と神功皇后と御炊屋姫

 

後に、饒速日命が高良神と繋がる。

筑後国一之宮の高良大社の高良神は物部の祖神、饒速日命。

 

下社は祇園さんと呼ばれる=高良神が祇園の神。

 

高良山の麓にある祇園山古墳は、卑弥呼の墓比定地であり、造営年がほぼ一致する。

大社の神官により、代々守られてきた墓の被葬者は、彼の后、神功皇后だ。

 

 

高良神が饒速日命。

神功皇后が御炊屋姫であり、卑弥呼であった。

 

 

高良神は筑紫の国魂、筑紫神。

神功皇后は宗像神=筑紫の神。

 

二柱とも、北部九州の神である。

 

 

  推測

 

彼らは200年代。

彼女は「卑弥呼」。

二柱の天照。

この国の始めは、その時代になる。

 

 

「巨大な奈良湖」は饒速日が来る前の状態。

彼らは大和で出会う。

 

しかし、二柱とも筑紫の神。

神功皇后(と武内宿禰)であり、裂田の溝を造っている。

 

では、時系列として、

 

巨大な古代奈良湖
 ↓ 

饒速日たちが九州から移動して、「大和川開削」。
奈良湖の水を引かせる。
 ↓  
奈良湖が湿地帯に(稲作箇所が広がる)。

筑紫(福岡)へ移動。

那珂川の「裂田溝」を開削。
 


饒速日命(たち)は、各地で国を整備し、国土を整えた神ともされる。
故に「大国主神」でもあるのだ。

 

また、稲の神である「歳神」「猿田彦神」「宇迦之御魂」などは皆、「饒速日命」の別名になる。

 

それは「彼ら」が、稲作の為の土壌を整備したからに違いない。
 

 

では、「饒速日命は卑弥呼と共に生き、西暦200年前後の人」ということになる。


 

伝承は「すべてが事実」ではないけれど、その中に「事実がある」のだ。
様々な伝承を調べたが、「重要なこと」は揺るぎが無い。

                 *

空を飛行した「天鳥船」

それは本当に空を飛んでいた。

 

 

 

筑紫の伝承として残る物語が、彼らの「続き」なのだ。


 

下記に続く。

 

 

 

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