当時の彼らにも、本来の名はあった。

それをうかがい知ることができるものが残されている。

まずは「饒速日命」から。

 

 

< 饒速日命   >

 

彼の伝承には「龍」が深く関わる。

それは後の時代に入ってきたはずの言葉。

 

では、彼は「龍」という名であったのでは。

真実とは開けてみると単純なものだ。

神話の神の全てが彼らであった、というように。

 

外つ国から来たとされる彼(これは後に)。
その名であったからこそ、数々の逸話が生まれていた。

 

 

< 三輪の神 >

 

彼は三輪山の神、大物主。

 

三輪の神はヘビ神とされる。

しかし、御祭神は、大国主神であり、大己貴神。

決してヘビではない。

 

 

< 龍神・安曇磯良神 >

彼は高良神であり、安曇磯良神(あんとんいそらしん)です。*1

京都の祇園祭では、龍神・安曇磯良として登場。

神功皇后の三韓征伐の際に現れ、玉体を守り船の舵取りをしたとされる。

 

高良の伝承によると、祇園祭の船の上に立つ三神(住吉神、鹿島神、安曇磯良神)と、勝馬(志賀島)の神は同神。

 

志賀島の志賀海神社の神は綿津見神であり、安曇氏が代々祀っていた。

その神が安曇磯良神。

 

この社は龍宮とされる。

「龍神・安曇磯良神」を祀る宮であるからだ。

 

祇園祭の龍神はこれを示していた。

☆→祇園の神 2 ~前編 祇園の神は住吉神(磯良神)~

 

かの神が「海から現れた」とされているのも、その神名になった要因の一つ。

 

 

< 三輪のへびと竜 >

古代にあった奈良湖の水を引いたのは、三輪の神である饒速日命。

その伝承から、龍に繋がる。


奈良の亀石の伝承の「当麻のヘビ」から三輪山の神へ。

伝承では三つの社を「一体の蛇の体、あるいは一体の竜の体」として表現している。

同神であることを示唆していた。

 

 

 

このように三輪の神はヘビ神であり、龍神であった。

高良の神・安曇磯良神も龍神。

 

 

外つ国から来た彼は「龍」という名であり、「龍」を知らない者たちがイメージしたのが「ヘビの王」。

故にヘビ神となったのでは。

 

オオナムチのムチは鞭。

蛇の名にもあり、それをイメージさせる。

三輪山の神がヘビ神とされた後に、名づけられたのかも。

 

 

 

< 御炊屋姫 >

 

彼女の名も、御炊屋姫でも、神功皇后でも、宗像神でも、女神の天照神でもない。

おそらく、魏に伝わっていた卑弥呼「ヒミカ」だ。

 

彼女には、甕依姫(みかよりひめ)や、御炊屋(ミカシヤ・ミカシヤキ)姫、櫛甕玉姫(くしみかたまひめ)の名があった。

 

甕(みか)は、神の供物を入れる器を意味する。

彼女の名の一つ、玉依姫の神の魂の依り代(巫女)と同じ。

それは「神の魂の拠り所」を意味する物なのでは。

 

 

御炊屋姫は饒速日命の后であった。

その名は、神の食事を用意する者を意味し、豊受大神の別名である「御膳津神」と同じ。*2

 

後の将軍の妻を「御台所」と呼ぶのはこれが由来なのかもしれない。

 

 

それは、「神に向かう者」をも示唆。

女神・天照の撞賢木厳御魂天疎向津姫の「向津(むかつ)」も、神の妻を意味し、甕と同じ意味になる。

 

(*大まかに(イメージして)同じということ。言葉は今の感覚より、広い意味を持つ。

 ミカの言霊は、身(体)がカッと輝く。→(輝かせるのは神なので)神の力により輝くという意味。

 女神・天照の「撞賢木(つきさかき)」は、神との間の境の木をつき響かせる(神との橋渡し)という意味があり、大まかにはミカと同じ)

*そうか、自分自身が神により響くという意味でもあるのか。

 

日の神に向かう者、それがヒミカの名の意味。

 

 

*饒速日命にも大物主櫛甕玉命という甕がつく名があった。

こちらの甕は「神の器、神自身」という意味。

 

 

 

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*1高良の神は饒速日命。
 福岡の久留米市にある高良大社。

高良は古来、物部の領地であり、祖神・饒速日命を祀った。

伝承には「高良の神は物部の姓。違えば当山滅す」と強い戒めがある。

物部の神であることを伝えている。

 

 

 

*2御炊屋姫の名。
大神神社には摂社に御炊社があり、豊受大神である御膳津神が祀られている。

御炊屋姫の名が、豊受大神を意味するものだと分かる。

☆→御炊屋姫を追って 8 ~御炊社*大神神社の豊受大神~