佐高信さんの木川田一隆元東電社長礼賛について。 | 一撃筆殺仕事人:佐高信先生追っかけブログ

佐高信さんの木川田一隆元東電社長礼賛について。

東日本大震災とその津波による東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故は1,2,3号機の炉心融解、そして更に悪化した事態のメルトスルーが明らかとなり、いまだ収束には余談を許さず今日まできており、放射性物質の広範な地域への汚染による重大な被害も深刻となっております。

そういう中で震災、原発事故直後より佐高信さんは福島に原子力発電所を設置した張本人でもある木川田一隆(きかわだ・かずたか)第三代東京電力社長に対する賛辞を何回にも渡って言明しておられることはみなさんご存知でしょうか。


私の記憶が正しければサンデー毎日で二回、週刊現代の寺島実郎原発おじさんとの対談で一回、4月26日の憲法行脚の会でも木川田さんのことを言及しています。そして週刊金曜日でも6月3日号「木川田精神を失った東電の本質」。そしてそれらはこのほど発売された「原発文化人50人斬り」 にも加筆した上で収録されました。

木川田氏がどのような人物であったか詳しくはこちらのブログに「木川田一隆の魅力」という本の要約があるので参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/masatoshi-nakamoto/e/4fad91085388597ac39c4e6ed30888ab

佐高信さんの木川田礼賛のエッセンスである記述が浅野知事時代の宮城県で行なわれたシンポジウム「みやぎ100年ビジョン討論会」での採録という形で残っています。


東京電力の,今度は平岩さんという相談役,経団連会長をやった人も辞めるわけですけれども,平岩さんの親分だと言われた人が木川田一隆というミスター東京電力と言われた人ですけれども,この人は福島県のお医者さんの息子です。この木川田さんが最初原子力発電に対して反対だったんですね。「原子力はだめだ、絶対にいかん」と。「原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が,あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」と言ってずっと反対していたんです。それを部下が一生懸命説得して,最後は「しようがないか」ということになるんですけれども,「悪魔のような代物」という緊張感というのを木川田さんはずっと持っていたわけです。それが,その後,そういう緊張感というのはやっぱりなくなっていく。それで逆に,木川田さん的に原発というのは非常に怖いものなんだよということを言う外の人間にまで対して,ある種,監視・排除というのをやっていくわけです。だから,私なんか非常にやじ馬的に言えば,CIAではなくて東京電力CIA,TCIAというふうにも言っていたわけですけれども,そういう体質をおかしいと思わない人に改革はできないわけですよね。その辺のところが非常に違うなという感じがしました。
http://www.pref.miyagi.jp/seisaku/100vision/theme2-0903.htm


ここで一つご紹介したい本があります。田原総一朗さんが32年前に書かれた「ドキュメント東京電力企画室」です。もともとは「生存への契約」と言う題名の単行本だったものを文春文庫で改題されて発行されました。解説を書いたのは若き日の佐高信さん。「ドキュメント東京電力企画室」は1970年代後半に東京電力の動きを原子力開発、石油ショック、環境問題などを横軸に、当時の通産省(現経済産業省)と電力会社との対立と協調を克明に描いていくノンフィクション作品です。現在アスコム社から市販されている田原総一郎自選集の第三巻「日米IT戦争のカラクリ」で読むことができます。

日米IT戦争のカラクリ (田原総一朗自選集)/田原 総一朗
¥3,500
Amazon.co.jp

田原総一朗さん自身が最近読み返してみて自分でよく書けていると、感心してしまったというくらいのもので、アゴラブックスから復刊の予定もあるようです。実は解説も書いた佐高さん。今では大嫌いになった田原さんのこの本で木川田氏やその師匠の松永安左衛門のエピソードをかなり参考または引用しているのです。


大正8年洋行した松永が友人となっていた近衛文麿との出来事を思い出して、近衛内閣成立時に「あの浮かれ革新めが」とつぶやいたこと。木川田の「原発は絶対にいかん」と一時は話していたことや、共に原発を進めた原産会議(現協会)の橋下愛之助(元大政翼賛会事務局長)の話す「ファウスト的契約」など。


これらはもちろん田原さんの取材の成果だと思いますが、佐高さんがその出典を明らかにすることはほとんどなく、たまたま読んでみてわかったことなのです。


「ドキュメント東京電力企画室」には第二次大戦前から電力という新しい産業に民間と国家がどのようにせめぎあっていくのかが非常に興味深く書かれています。


1883年(明治16年)にエジソンが電燈を実用化してからわずか4年後に日本でも電力会社が設立され、日清日露の戦争を経てその広がりは飛躍的になり1926年(昭和元年)には87%の家庭に電気は普及。工場動力源も明治中期は蒸気機関が主だったのに大正初期には電気がその割合を逆転したように伸びていきます。
その中でかなりの競争が行なわれ、電力業界は国民から不信を抱かれるようになり、電力の国営化の要望が彷彿と湧き上がってきます。


第二次大戦前、電力を国家が管理されるようになったのは、軍部が戦争のために接収したように思い込んでしまいますが、実はそうではなかったという意外な話が語られます。電力業界は寡占化した大企業の過当競争の混乱によって国民の反感を買い、世論が国有化を後押ししたというのです。


そして1939年、国家総動員法の成立と前後して電力国家管理法が国会で決定して電力は国有化されました。しかしこの国家管理はうまくいかずに国家のさらなる統制、制限を生んだだけに終わり第二次大戦の敗北へと流れていきました。


松永氏や木川田氏はこの電力の自由過当競争そして国家管理の両極の欠点を知り尽くした結果、電力の国家管理を防ぎながら安定した企業経営を目指したというのです。


ここで、以前の宮城県のシンポジウムに戻りますが、この佐高さんが木川田について言われたことは、「ドキュメント東京電力企画室」に書かれていた木川田氏の原発導入決定の話とは完全には一致していません。
佐高さんは医師の出の木川田一隆東京電力社長は「『原子力はだめだ、絶対にいかん』と。『原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が,あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない』と言ってずっと反対していたんです。それを部下が一生懸命説得して,最後は『しようがないか』ということになる」として原子力発電を導入した当時の木川田社長を礼賛しています。しかし実際はどうだったのか。
さらに加えていうとTCIAは佐高さんの野次馬的造語ではなく田原総一朗さん、恩田勝亘さん、鎌田慧さん、志村嘉一郎さんらも取材して原発立地でのその存在が明らかになっている東電の情報力「機関」のことです。


D東電企画室の該当する場面を引用します。


皮肉といおうか、日本の原子力推進、反対の相反する運動がいずれも1954年3月2日を基点としてスタートしているのである。

そのころ副社長だった木川田は就任したばかりの気鋭の企画課長成田浩(現・電力中央研究所理事長代理)に「わが社も原子力発電の開発に着手すべきだ」とせめたてられていた。
 成田はアメリカから取り寄せた数多くの資料を木川田に示して、「早晩、必ず原子力時代がくる。そのために一刻も早く開発体制を確立するべきだ」と執拗に木川田を口説いた。
 成田は、夕闇が濃くなる副社長室で、電燈をつけないまま、何時間も木川田と討議したことを覚えている。木川田は、電気がもったいない、といって、普段でも、よほど暗くならないと部屋の電燈をつけなかったのだ。
 「原子力はダメだ。絶対にいかん。原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が、あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない。」
 成田が、言葉を尽くして説得しても、木川田の態度は変わらなかった。
 暗がりの中で、木川田がまるで自分自身に言って聞かせるように、「原子力はいかん」と、何度もつぶやいているのを聞いて、成田は、あきらめざるを得ないと思った。
 ところが、「原子力は悪魔のような代物」だといっていた木川田が、ある日、突然、成田を読んで、「原子力発電の開発のための体制づくりをするように」と命じた。豹変である。
 何が、一体、木川田の姿勢を変えさせたのか。だが、そのことは、成田にとって、現在でも"謎"のままである。

 東京電力の社長室に原子力発電課が新設されたのは1955年11月1日。
なぜ、木川田が「悪魔」とてを結ぼうと豹変したのか、その本意は、木川田を口説いた当人の成田でさえ「わからない」のだから捉えようがないが、その翌年1956年に入るや正力松太郎原子力委員長が陣頭に立って、第一号大型発電用原子炉導入の動きが、俄然活発になるのである。
 この第一号大型原子炉こそが、イギリスのコールダホール型炉で、その導入をめぐって「国家対電力会社の遺恨試合、泥仕合」がくりひろげられるわけだ。
 あるいは木川田は、正力委員長などの動きをいちはやく察知して、"戦争"に参加する資格、権利を得ておこうと判断したのではなかろうか。


木川田さんが電力の国家支配に対しての対応策としてジェネラルエレクトリック社の加圧水型原発を取り入れた。というのが田原総一朗さんの説です。

(佐高さんはまたこの本を読み返してみたのか、『原発文化人50人斬り』ではそのことを書いています。)


佐高さんの木川田氏礼賛でよく見られるのは、

「木川田氏は危険な原発を推進するのに安全対策を重視し、反対派からも謙虚に耳を傾けるように部下に指示した。いま木川田氏が存在するなら、小出裕幸や広瀬隆から意見を聞いたであろう。」

「市川房枝の求めに応じ、政界への政治献金の停止を断行した。」

「危険な原発だから自分の出身地を犠牲にした。」


しかし、これだけの事故が起こり、原発の福島集中立地を決定したという木川田氏を誉めそやすのはいかがなものでしょうか。結果論になりますが、ジェネラルエレクトリック社の技術を使ったことで、福島原発の特に一号炉ではスクラム停止は出来たものの、日本の100ボルト電源車との接続が失敗し、全電源喪失に伴なう冷却化出来ずに、メルトスルーという大過酷事故を起してしまったと言うこともいえるでしょう。
そして小出氏や広瀬氏は福島第一の震災事故以前から全原発即時停止を求めているのだから、はたして木川田氏が生きていたとしてもその求めに応じるかは疑問です。


その他にも話はあるのですが、とりあえずはツイッター上での議論 POSSE MAGAZINE誌アカウントによるまとめをご覧になるといいと思います。

http://togetter.com/li/144540

評論家・佐高信「東電の昔の社長は偉かった。原発に反対だったから、あえて故郷の福島に設置した」…それって美談なの?


注目記事  川人博弁護士が佐高信さんを筆刀両断!?

        佐高信さん、年金を語る

        日垣隆vs佐高信

        田英夫氏の逝去と佐高信氏

        週刊金曜日は週刊木村剛だったか?

        田原総一朗は生きながらの紙クソ(東スポマン激)

         田原総一朗さん、「佐高信は僕で商売するかわいい奴だ」

        死者に鞭打たず 追悼宮澤喜一

        武井正直氏と佐高信さん

        佐高信さんは情のある方です。鈴木邦男さん
        佐高信さんは主人持ちの評論家か?
        本島元長崎市長(広島よおごるなかれ)と佐高信さんが対談
        再び佐高信さんをJR東日本取締役に推挙


いつも有難うございます。人気ブログランキングへクリックお願いします。





にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ
にほんブログ村

にほんブログ村 経営ブログ 経営哲学・経営理念へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村


木川田一隆の魅力―理想主義の財界人/小島 光造
¥2,039
Amazon.co.jp

原発文化人50人斬り/佐高 信
¥1,575
Amazon.co.jp

電産の興亡(一九四六年~一九五六年)―電産型賃金と産業別組合/河西 宏祐
¥6,825
Amazon.co.jp


ペタしてね