日垣隆vs佐高信 「ヒガミギツネ云々」 | 一撃筆殺仕事人:佐高信先生追っかけブログ

日垣隆vs佐高信 「ヒガミギツネ云々」

佐高信さんの週刊金曜日での連載の一つ「風速計」でのこの一言 。あまりネット上でも反響を呼んではいないようです。しかし、あれだけ、川人博さんの佐高信さんに対する批判に注目しているオマエが、何でこの件は見逃しているんだと、皆様からのブーイングか聞こえてきそうです。(苦笑)

これに関しては佐高批判派のgryphonさんが解説 され、リンク、トラックバックもいただいているので、私のほうからはなんとも・・・・・・・・・というのも言い訳に過ぎないですね。それではこの「論争」の経緯について追ってみましょう。

話は13年前(!)にさかのぼります。当時から(現在も)週刊エコノミストで巻頭のその名も敢闘言というコラムを担当していた日垣隆さんが、茶々入れのような感じで同じ雑誌で巻末コラムを担当していた佐高信さんに言及したのが始まりでした。それに対して佐高さんも反論します。

その辺の経緯は日垣さんのコラムでわかります。

http://homepage2.nifty.com/higakitakashi/bari/bari3.html

このときはこぜりあいだったのですが、日垣さんが本格的に佐高さんの批判をしたのはその6年後2000年月の雑誌「諸君!」でした。
日垣さんは全編に佐高さんの口調を「真似」しながら徹底的に佐高さんを「笑う」と言った感じで批判しました。
その記事は後に単行本「偽善系2」に再録されました。

日垣 隆
偽善系〈2〉正義の味方に御用心!


ところが佐高信さんはこの記事に対して意外なことに当時は沈黙を守りました。「魯迅烈読」の改訂前の出版とも言える「魯迅に学ぶ批判と抵抗」をみればそれより以前に佐高さんを批判した副島隆彦さん、呉智英さん、江波戸哲夫さん、オバタカズユキさん、猪瀬直樹さん、らには激烈に反論されたこととがわかりますがそれとはまったく対照的でした。
 佐高さんが日垣さんの批判について発した言葉はただ一つ、姜尚中さんとの対談「日本論」で「日垣隆にやられた。」とだけ。

それが急に変化したのは今年です。
きっかけは日垣隆さんが佐高さんの盟友、奥村弘教授の「株式会社に社会的責任はあるか?」に対して「出鱈目さを暴露した」記述を日垣さんの日刊ゲンダイの連載で展開されたことです。
http://www.gfighter.com/00061/20070406002572.php
私はこの日垣さんの奥村教授批判がどのようなものであったかは残念ながら知りません。まだ単行本にもなっていないようです。

それに対して佐高さん、突然猛然と「政経外科」単行本「100人のバカ」で日垣さんを「正論、諸君!」で批判されることはないイチャモン屋だと反批判してきたのです。日垣さんも月刊誌Will連載の日記6月号、7月号で反・反撃開始です。
この「風速計」はそれに対してのものです。


さて、話は戻って2000年の諸君!誌上での佐高信批判なのですが、要約が「トート号日誌」サイトにまとめられているので参考にされると良いでしょう。
http://www6.plala.or.jp/Djehuti/593.htm
佐高信批判の論点をコピーしておきます。

1.反体制側の自分は安全を犠牲にして書いているという思い込み。
2.低レベルな罵倒。
3.好き嫌いと評価の混同。
4.取材力ゼロ。

これらに加え、日垣氏は佐高さんのライターとしてのルーツを暴くという方法でその手法の秘密を探っています。

昨週の「風速計」で佐高信さんが「私のことを鬼の首を取ったように『総会屋出身』と書く」といわれますが、その部分を引いてみましょう。

「現代ビジョン」
 現在の佐高氏にとって、27歳から37歳までを過ごした自称「苦界」は、かつて自らそう表現していた総会屋雑誌であると、今になって暴かれるのは楽しいことではないと思う。

 「経営ビジョン」後に改め「現代ビジョン」編集部に在籍した十年間に、誌上で書評を試みては各著者に送り、しかるのちに座談会への出席を請い、小さな編集部ゆえに濃密な親交を結んで独立に備える、というスタイルを、佐高編集部員は見事に一人で貫徹する。

 城山三郎氏や久野収氏、田原総一朗氏、加藤紘一氏、田中秀征氏、熊谷弘氏、菅直人氏らとの蜜月時代も、すべてこの在籍中に始まった。在籍中に自著を出すための原稿も、「雑誌の穴を埋める」との理屈をあげてせっせと書き継ぎ、掲載後に多くの書き手や編集者に自分を売り込むため手渡した。

 現在の佐高氏は、もちろんご自分のこの過去は隠してだが、氏と同じことをした後輩女性ライターを《有名になりたいという意欲が油のように浮いて》いたと侮蔑する。(『鵜の目鷹の目佐高の目3』)


 「現代ビジョン」には、その薄さに比べて驚くほど多くの企業広告が掲載され、批判記事は絶対に書かないかわりに、総発行部数の99.9%相当が広告主に買い取られるシステムだった。

 果たした役割は反動的だったが雑誌の中身は進歩的、反権力的に見えれば見えるほど企業の出金「意欲」を高める効果があった。
広告を出していない各社総務部には、「危ない会社の研究」や「公開質問状」欄が恐れられた。

 佐高氏はこの「苦界」十年間に、 アメとムチを使い分けて収入を安定させるワザを身近に学んだ。無数の恫喝記事とヨイショ記事を書き分けた。
 まず最初はやんわりと、たとえば「経営者の足跡」欄で、絶対クレームが出ない表現を使って、しかる後に広告出稿を要求する。もちろん、小さな記事に次のような一文をまぎれこます。
 《(野崎産業の)米田社長が、”決断の時”を迎えつつある。》[同誌81年7月号]
 一年から一年半ほどまっても拒むようであれば、いよいよ「危ない会社の研究」欄の餌食になる。
 《危ない会社の研究 野崎産業 米田社長の”引責辞任”が先決》が、そのタイトルである。[同誌82年11月号]。
総会屋全盛時代には、こうした恫喝が大手を振ってまかり通っていたのだが、しかしまあ当時は、これこそ総会屋雑誌の本流記事だったのだ。 

実際に佐高さんの在籍した「現代ビジョン(経済ビジョン)」はそんな雑誌だったのでしょうか?何せ二十年以上前になくなった雑誌なので実際に確認できない以上なんともなりません。
ネットで調べてみたところ、

一橋大学経済研究所 資料室に存在しました。

タイトル Vision = 経営ビジョン||Vision = ケイエイ ビジョン
出版 東京 : 経営ビジョン・センター
形態 冊
他のタイトル OH:現代ビジョン
注記 記述は7巻1号 (昭45.1)による
注記 並列タイトル変更 (12巻4号 (昭50.4)-): 現代ビジョン
注記 20巻3号 (昭58.3)で廃刊?
タイトル言語 JPN テキスト言語 JPN ISSN
MARCID AA11286421
書誌番号 500000032961

http://opac.ier.hit-u.ac.jp/opac/servlet/opac.OpacLocalDetailServlet?ACTION_TYPE=local_serial&INDEX=0&ID=500000032961&SLV=3

おそらくはこれだと思うのですが、関心のある方はこちらで調べたらいかがでしょうか。「現代ビジョン」は国立国会図書館とか大宅壮一文庫などにも存在することが考えられますが、確認できてはおりません。
しかしながら佐高信さんはWikipediaによると2005年10月24日の産経新聞のインタビューにおいてこんなことも述べているというのです。


「現代ビジョンについて」
文筆・評論活動のスタート地点となった「現代ビジョン」という雑誌の性質を後に回想し、「はじめにびっくりしたのは、そうした雑誌は、雑誌を売って金をもうけるのでないということです。公称三万部といっても実売は三千もいっていない。九割九分が広告収入なのです。それも一流大企業のです。長い間、不思議でならなかった。あるとき気づいたのは、企業は(雑誌に)広告を出すメリットはないが、スネに傷持つ以上、出さないとデメリットがあるということです」(産経新聞2005年10月24日付)と告白している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%AB%98%E4%BF%A1


ネットのgoogle検索で「佐高信」を検索すると一番初めに出てくるのがこれです。

風速計での「私が編集長で久野収や城山三郎にも登場してもらった雑誌を、謙遜して総会屋まがいの雑誌と言ったのである。」とはあまりに違った言い方ではないでしょうか?
http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol661/fusokukei?note=a

「私をそう言うなら、業界紙に勤めていた藤沢周平も「総会屋出身」ということになってしまう。」


佐高さんはこんなことも言っていますが、藤沢周平さんの以前の勤務先をしらべてみました。これは日本食品加工新聞であることがわかりました。

1983年に廃刊となった「現代ビジョン」と違って現在でも39,651部の発行をほこる堂々たる食肉加工業界紙です。


毎年、ハム・ソーセージ年鑑を出版されています。
http://www.redstar.co.jp/gyoukaisenmon.htm
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9981457043

それに対して現代ビジョンはいったい何の業界の業界紙だったのか今ひとつよくわかりません。(笑い)

さて、gryphonさん からリンクをもらってもちろん読みましたが、批判はもっともなことでいちいち反批判することは不可能ですので、控えさせてもらいます。(笑)


「総会屋」、日本の資本主義、企業社会においてのタブー、それをあえて突っ込みつづけてきた佐高信さんがこともあろうにその禄を食んでいた。ある意味ショッキングで一昨年にナチ特別親衛隊員であったことを告白したギュンター・グラスのことを思い出す人も多いでしょう。


私個人としては「隠さなくても別にいいじゃないか」という気持ちです、ギュンターグラスの「ブリキの太鼓」の評判が落ちたとか、ノーベル文学賞を剥奪すべしみたいな動きとかはほとんどありません。むしろ告白してくれて良かった。という評判が高いと思います。
佐高信さんはそういう雑誌にいたからこそ、企業の実像をつかむことができたのであり、責められるというよりはある意味誇りではないかともおもうのですが。


それはそうと、ここではなぜ佐高さんがgryphonさんら批判派から突っ込まれやすい、「反論」を週刊金曜日で行ったのかを推測してみます。
まず、佐高さんは権力と戦うときのモットーとして「嘘をつく、逃げる」ことをあげており、嘘をついて逃げることへの罪悪感はまったくないのであるということを指摘します。
佐高さんのこの「反論」を額面どおり受け取り「良かった、佐高さんが総会屋出身であるというのは日垣のデマだったんだ。」と安堵する人が「週刊金曜日」の賢い読者のうちどれほどいるでしょうか?私は皆無であると思います。


なぜなら佐高信さんは「疑う」ということも、権力との戦いで勧めていますし、なんと言っても「フェアプレーは時期尚早」であり、汚いやり方もあるときはしなくてはならないという考え方の持ち主であるからです。確かに日垣さんは個別的な「権力」ではありませんが、その言動が保守派勢力に利用されたことは否めません。こういうところが市民派の川人博弁護士とは違います。


私が思うに、竹中労さんなどを引用して産経、読売など「敵」のメディアもチェックしなければならないと主張する佐高さんは、自ら愚かな悪を演じることで、情報をチェックすることの大切さを言おうとしているのではないでしょうか?


そして佐高さんを「現代ビジョン」へ紹介した「庄内館」の先輩で、現筑波学院大学長の門脇厚司さんのことに思いをはせたのかもしれません。元日経新聞記者の門脇さんが「総会屋」などと係わり合いがあったことが自ら認めれれば、大恩ある門脇さんに迷惑がかかるかもしれないと佐高さんは恐れたことが考えられます。


佐高ファン読者各自はこの論争をどう感じるか?日垣さんの最反論に注目していきたいところです。あ、盗作問題 でそれどころではないかもしれません。(笑)