WGIPでメディアを通じて洗脳工作を行ったのは、GHQの民間情報教育局(CIE)でした。そして、民間情報教育局は、洗脳工作の中心的存在のひとつであった東京裁判について、報道の仕方など日本の報道機関をどのように活用するのかを考える役割を担っていました。
東京裁判は、大東亜戦争に関わった日本人に復讐するだけでなく、裁判を通じて日本人を洗脳することことも目的になっていました。
そのため、東京裁判では「日本人が悪者」という前提で、連合国側が行った戦争犯罪には一切触れさせないようにして、日本についてはいい加減な証言などでも採用して多くの日本人が戦犯にされました。そうやって、日本は侵略国家だったという贖罪意識を日本人に刷り込もうとしていました。
東南アジアで連合国側が行っていた悪行が、日本がやったことにされてしまいました。米国がフィリピンに、フランスがインドシナ各国(ベトナム、ラオス、カンボジア)に、オランダがインドネシアに行っていた残虐行為などを、日本がやったことにしていました。その嘘を現在でも信じ込んでいる日本人が数多くいて、そういう人達はアジアで日本は嫌われていると思い込んでいます。
実際にアジアで悪事を働いていたのは苛烈な植民地支配をしていた連合国側ですから、東京裁判では連合国側に都合が悪い発言や証言が出てきます。しかし、そのような発言は制止され、連合国側に都合の悪い証言は全く採用されませんでした。
清瀬弁護士が裁判の冒頭で、東京裁判の管轄権に関する動議をして、平和に対する罪(A級犯罪)と人道に対する罪(C級犯罪)の権限がないと主張しました。ポツダム宣言で通常の戦争犯罪(B級犯罪)について裁判が行われるべきという条項があり、それに基づいて東京裁判が行われていたからです。
ポツダム宣言の条項には、平和に対する罪と人道に対する罪というのは戦争犯罪に該当するとはなっていないため、この2つについて東京裁判で裁く権限はないということを主張しました。
この管轄権忌避動議は東京裁判の矛盾を突いたものであり、判事たちは回答に窮してしまいます。ウェブ裁判長は「理由は将来に宣告します。」と述べて逃げました。結局、理由はその後も説明されることはありませんでした。
また、米国のブレイクニー弁護士が「戦争は、国際法が認めた適法行為である。原子爆弾を落とした者達が裁こうとしているのが、この裁判だが、彼らも殺人者ではないか。」と発言すると、日本語への同時通訳が停められ、日本語の速記録にも「以下通訳なし」と付記されました。
東京裁判は、このような茶番劇のような裁判だったということを、当時の日本人の多くは気付いていました。ですから、サンフランシスコ講和条約が結ばれた後に全国で戦犯釈放運動が広まり、昭和27年に4,000万人(当時の日本の人口は8,454万人)の署名が集まりました。翌年、国会で戦犯の赦免に関する決議が、社会党や共産党まで含めて一人の反対もなく行われました。
昭和23年8月に民間情報教育局が発行した文書には、「この計画(WGIP)のクライマックスは、極東国際軍事法廷への最終判決とその言い渡しの報道から成り立っている。日本人は、この重要でドラマティックな出来事のニュースを、彼ら公衆へのニュースに頼って知ることになる。ほとんどの場合、被告と日本国の罪そして連合国の勝利と連合国の公正さの永久的な印象は、彼ら自身が新聞、ラジオ、ニュース映画を通して見、聞くことによって決定されるだろう。」とあります。
戦犯釈放の署名が全国で行われたことから、この民間情報教育局の文書は見立てを誤っているように感じるかもしれません。しかし、"永久的な印象”というところに着目すると、この文書に書かれていることが当たっているとも言えます。
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