GHQはプレス・コードによって言論統制をしていたことは先日の記事(「現在も残るプレス・コード」 )で書きました。今回の記事では、プレス・コードに基づいて行われていた検閲について書いていきます。

 

GHQは、民間検閲支隊(CCD(Civel Censorship Detachment))という機関を使って検閲を実行していました。GHQの検閲スタッフは370名、翻訳などを担当する日本人5,700名が雇われ、東京、大阪、福岡に検閲官が配置されていました。

 

新聞を含めたあらゆる出版物、放送、通信社経由のニュース、映画などの他に民間通信(郵便、電信電話、旅行者携帯文書等)も検閲の対象になっていました。

 

新聞紙面は全てがチェックされ、一般の人の手紙や私信も月に400万通が開封され、電信や電話は盗聴されていました。

 

GHQは検閲を隠微しており、伏字で埋めたり塗りつぶすなどの痕跡は残さないようにしたため、多くの日本人は検閲が行われていることに気付きませんでした。

 

検閲は非常に厳しく、違反したと判断されると新聞など出版物が発行停止になり、回収されて裁断などがされました。検閲指針の違反者は米軍の軍事法廷で訴追され、沖縄における強制労働に処せられることもありました。

 

朝日新聞は昭和20915日付と917日付の2つの記事について、事前検閲によって2日間の業務停止命令を受けていました。

 

915日付の記事では、「“正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」といった鳩山一郎の談話が掲載されていました。

 

917日月の記事では、「求めたい軍の釈明・“比島の暴行”発表へ国民の声」の見出しで「ほとんど全部の日本人が異口同音にいってゐる事は、かかる暴虐は信じられないといふ言葉である」という内容の記事を掲載されていました。

 

朝日新聞の他にも、同盟通信社が昭和209141729分から24時間の業務停止命令を受け、英字新聞のニッポン・タイムス(The Nippon Times)は919日から1日間発行停止、東洋経済新報は昭和20929日号の回収を命じられ断裁処分となりました。

 

このように営業停止になったり、回収を命じられたりすると、新聞社や出版社などは多大な損失を被り経営的なダメージが大きくなります。こういったことを見て、検閲に引っ掛からないように各マスコミはプレス・コードに違反しないように非常に気を付けるようになります。

 

少しでもプレス・コードに違反する可能性があれば、そういった記事は書かないようにしてしまうようになります。そうやって、プレス・コードを過剰に守るようになっていったことが予想されます。

 

事前検閲は昭和487月まで行われ、その後は事後検閲に以降して昭和4910月に廃止になりました。しかし、プレス・コードを見ると分かりますが、現在でも多くのマスコミはプレス・コードを守っており、自主的に検閲を行っているようです。

 

 

NPO法人インテリジェンス研究所の資料によると、民間検閲支隊で働いていたことについて、検閲体験を肯定的に捉えている人が多数派で、否定や反省をしていた人は少数派だったようです。

 

民間検閲支援隊の解散後に守秘義務がなかったにもかかわらず、民間検閲支隊で働いていた日本人の情報や証言は非常に少ないようです。このことも、検閲が行われていたことがあまり広まっていない要因のひとつだと思います。

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