苛める側と虐められる側と、イジメによる児童の自殺を激増させる日本社会の現代教育について。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   突然のトラックバック、お許し下さい。 
   
友人・知人という他人はともかく 
家族・親族に病気の人がいるってことは 
目に見える部分でも見えない部分でも
非常に厄介なもんだ。 …俺としても。
自分と他人の区別ってことも簡単なようで難しい人も多い。
怪我も病気も やっているのは本人なんだけど
それが果たして、自分だけの問題なのかどうか…っていう意味でもな。
人間の命の期限ってやつは、本来は自分でコントロールできない。
できないんだけど、おかしくしちまう人もいる。
   
94歳 という年齢で自分の親が亡くなる分には 
納得はできなくても、それなりに あきらめもつく。いずれはな。
それは「産まれて死ぬ」という道理
(正確には「創られ、産まれ、育ち、死に逝く…」という道理)
があるので、親は子供よりも先に死ぬ。当然のことだ。
ところが、親よりも先に子供が死ぬ…
ってことは、自然界の道理に反している。 
不慮の事故とか事件や事故、災害惨事の災いに巻き込まれた場合も 
行方不明という問題にしても 
自分の子供が自分より先に、この世からいなくなるとか 
どこにいるのか判らないということは 
あきらめようがない…と思う。
俺も36歳のにして親になって、そういう人の気持ちが少しだけ判ったよ。
あってはならないことなんだ。できることなら、誰においても。
だから、親よりも先に勝手に自分の息の根を止めるってことになると 
それはもう、道理に叛しているどころか何よりも罪深い、重罪。
人間は誰もが決して、勝手に産まれて勝手に死ぬように創られてはいない。
その自然界に対する叛逆行為は
肉体を動かす魂の成長を完全に止めてしまうので
そういう死に方をした者は決して安住の場へ導かれることもない。
この世を必要としなかった身勝手な者が 
何を あの世が必要とするものか…。
生きるってことは義務であり、人間は死ぬためだけに生きているわけではない。
自然界の道理や宿命、掟ってことは 
立派に教育されて変に出来あがった現代人の頭にあることより、もっと厳しい。
最近の人間だけだよ。自分本意に呑気なのはな。
   その他、参照 ☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10017216084.html
   
それでも、ここ最近の報道、マスコミ、メディアってのは 
「イジメによる自殺が全国で相次いでいる…」などという浅はかな言い方で
またしても若い世代を
「…ああ、自分だけじゃなかったんだ」という気持ちにさせちまうのか? 
次々に10代の子供の自殺を便乗させてる。
報道による殺人。メディアによる虐殺。大人の常識による純粋さの迫害…。
連中も“カネモウケ”…というより、喰ってくために必要な仕事なのかも知れないけど 
アホだよ。文部科学省様や全国の教育委員会の名誉ある爺さん婆さんにしても 
現代人の子供、児童、学校生徒、義務教育の中に縛られている心が 
今まで通りの教育を もう必要とはしていないことに誰も気づけない。
   
俳優の岸谷五朗 さん主演の『みにくいアヒルの子 』ってタイトルのテレビドラマだったか、
北海道の田舎で少人数の生徒に教えていた教師が 
やがて都会の小学校へ赴任したあとの教育現場を描いた内容だったんだけど
あの第一話で 
冒頭の小さな分校で愉しくやってた仲間。その自分の教え子のうちの独りが 
親の離婚の都合で東京へ転校させられちまう。
んで、岸谷さん扮する学校の先生は 
ある日、ばったり都会の朝の公園で、その子供と出会う。
田舎から突然に転校させられた子供は友達もできずにイジメにあってるわけなんだけど 
それに気づかなかった若い教師は
自分の立場や日常の愚痴を うっかり、その子供に言ってしまう。
「…大人になっても虐められるの?」
「ああ、そうさ。大人も大変だよ」

などという、教師本人としては何の悪気もなく、普通の受け応えだった。
ところが、(ドラマの中で)その言葉を聞かされた子供は翌日、身投げをしてしまう。
画面は、新聞紙面の片隅。ヨリ。
次のシーンは、その男教師が都会の教育現場に挑むハツラツとした顔から始まる。
俺は毎週、あのドラマを観ながらボロボロ泣いてた。
かつて、イカすバンド天国という番組で
ブランキージェット・シティ(だったか)の10週勝ち抜きを紹介していた顔は 
ソリを入れたリーゼント頭に、目は血走って、「このひと誰?」という、
“あの姿”からは想像もつかない奥行きある芝居の数々…。
エディ・コクランの“サマータイム・ブルース”に乗せ、原チャリ・バイクで通勤する若手教師。
小さなミドリ亀を大切に飼っていた。
あの物語も早、10年むかしのドラマになった。
ところが現実の世界では、文部科学省の嘘の把握
「児童の自殺は年々増えているのに、ここ数年イジメによる自殺は一件もない」
   
もしも今、これを読んでいる小中高生のみなさん、
誰かが誰かを悪者にしないと小さくまとまれない意識、常識には
はめられるなよ。
あなた達は、好き好んで大人が用意した そんな狭いところに生きるべき存在ではない。
もっと広い世界で、もっともっとのびのびと自由でいいじゃねぇかよ。
自分の人生が長いか短いかは判らねぇけど 
いっ時でしかないよ。狭苦しい日常に生きてる時間なんてのはな。
だから、ヘンな世界へ引っ張られんな。
テレビや新聞で言ってることなんて間に受けんなよ。
あんなモノを見て読んでると、アホな大人…最近の教師や政治家のように
吐く息が臭い、魂が腐りかけた人間になっちまうぜ。
常日頃、不平不満を吐いたり、他人の陰口や非難・中傷、イヤミを言ってるような連中は 
長生きはしないし、この世に生きていながら魂の成長を止めている。
わざわざ自分で心を醜くして、その肉体までも苦しい状態へ持っていっちまう。
簡単なことだ。相手を馬鹿と決めつければ馬鹿は自分に返ってくる。
邪気も正気も回すのは己次第。病気や怪我の苦しみも、やっているのは自分だ。
見てみなよ、世の中、大人連中の社会は、
いま自分がどうして生きてゆけばいいか判らない連中でいっぱいだ。
俺の知ってる中には
「明日の朝どうか目が覚めませんように」
と、毎日そう祈ってから寝てるって不真面目なオバサンもいたぜ。
そんな大人と一緒になって自分を滅亡させるな。
どこに見習うモノがある? 誰の何を指導できる者が何処にいる? 
いねぇじゃん。見渡す限り。
生きてるのか死んでるのか判らないような中途半端な奴ばっかりだ。最近の大人はな。
他人に迷惑じゃなけりゃ、なにをやってもいいんだよ。
自分が思う通りに精一杯の力で生きてくれ。独りで勝手に死ぬな。
アホな大人社会のマネなんかすんじゃねーよ。カッコ悪いんだよ。
もったいねぇじゃん。大人より利口なのに。
今はまだ。
   
   
さてと。 (次は大人の番だよ、覚悟しな
団塊の世代と呼ばれる人たちが日本の社会に大勢いて 
その人たちが産まれ育ち、義務教育を経て学校で学び、社会へ出て 
社会の一般常識の中で結婚して家庭を築き 
そこにまた大勢の子供が産まれた時期もあった。今の少子化時代とは大違い。
戦前、戦時中なんてのも、10人兄弟なんてザラだった。
その後、粗末なモンを喰ってた時代から豊かな時代へ…。
言葉では、「ベビーブーム」とか、
『こんにちわ赤ちゃん、ワタシがパパよ♪』の時代とかな…。
そんな中、丙午という世代は 
1966年 前後に産まれた人たちよりも人数が大幅に少なかった。
「ヒノエウマ…この年に、あまり子供は造らない方がいい」という流行だったのか? 
そんなことは もうどうでもいいけど 
確かに、小中学~高校進学の際には人数が少なく、
中学校の校舎が少ない地域でも、その年に産まれた前後は8組あっても 
丙午の世代は多くても一学年でせいぜい5クラス程度。 
俺もその年の生まれだ。今年、40歳になる。
戦後、巷の画一化教育の常識社会の中では 
人数が少ないことで競争心が芽生える者も少なかったのか 
爆弾の投下率の分析統計データを基に用意された偏差値教育がどうであろうと、一般的に 
「欲がない」とか「のんびりしてるタイプの人が多い」などと言われてもきた。
   
小学校5年のとき、クラスの一部で
誰かを悪者扱いすることでひとつにまとまるという意識があった。
“意識”と云っても、それは無意識なんだけど 
今になって想うと、普段の生活の中で
自分の自由が利かないことが多いために、その反動がイジメの加害者を生み出す。
その原因の根本には、
人間の肉体と同時進行の成長にあるはずの精神が、肉体との不釣合いを起こすことで 
そういう結果に結びつくわけなんだけど http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163650.html
人間の営み、日常生活の中で、精神的に満たされない問題ってのは 
すべてにおいて、肉体(全身の筋肉と血液の循環)の異常に過ぎない。 http://ameblo.jp/badlife/entry-10002850915.html
そういう問題を完全に無視するように、まったく差し置いて (普通では気づけないかも知れないけど
「なぜイジメたの?」
「どうしてそんなことをするの?」

そういうことをイジメ加害者の本人に問いただしてみても、そんなことは判らない。
ただ、誰かを悪者にすることで何かが発散できる…というくらいのことでしかない。
虐められる側の人が感じる脅威としては 
どんな小さなことでも肉体的な欠陥について非難・批評されることと 
勝手に決めつけられた言葉に簡単に当てはめられてしまうこと…などがある。
たとえば、「禿げ」という“ひと言”も、横で聞いていて 
●●ちゃんの頭が禿げてるね」などという場合は 
自分のことではないので安心する。ところが、誰とは言わず、
ただ単に「10円ハゲ」という言葉や黒板に書かれた文字というものは 
もうそれを聞いて見た瞬間から、本人にとっては地獄だ。
誰も自分のことは見てもいないのに、人の目が気になる。
その瞬間から陰にこもる。 
その瞬間から肉体も苦しくなってくる。
心が悩めば肉体は病み、肉体が病めば心が悩む。
人間の肉体と精神は、この世に産まれる以前から 
常に同時進行で動いている。
肉体は心のオーヴァーコートだよ。
だから、どんなに精神が おかしくなっても 
“肉体の異常”を判らないことには、精神鑑定しても意味はない。 
それを統計のデータと照らし合わせる浅はかな医学、教育、学識の数々… 
   
10人10色。朱に交わっても、みんなが同じ赤い色に染まるわけではない。
あの諺も、もう嘘だ。今の世の中には どこにも通用しない。
水は法縁の器に従い、人は善悪の友による。
これは自然界の道理だ。
水という物質は、河なら川で、茶碗なら茶碗で入れられた場所の形とおりに 
どうにでも変化する。
この自然界では同じように人の心も、
悪い意識や邪まな流れの付き合いの中で醜くもなり 
時として己の愚かさに気づき、そこからまた形を変えることもある。
それは誰が教えたとか、誰に教えられたとかには関係なく 
生きている人間の成長の中にある。
肉体と心(精神)のバランスが人間としてマトモであるならな。
…簡単に書いてしまってるかも知れないけど
難しいと思い、考え、特殊なこととして捉えてしまうなら 
それは被さってるフィルターが厚すぎるのかもな。
こう云ってしまう俺にしたって、注意すべき点は 
すべての人間の頭が同意、同等、同じ程度ではないってことだ。
莫迦もいれば利巧もいて、同じ教科書で同じ時間に同じように教えても 
そこにいたすべての人間がテストの答案用紙に全問正解を なぞれはしない。
教育者という者のほとんどすべては、まず、こういうことが解らない。
解らないから、自分の頭だけにあることで何者も何事も決めつけようとする。
そんな義務教育の旧い古いシキタリの中に 
俺も来年から自分の子供を進学させると思うと… 
あ~あ、嫌になってくるよ。
「一龍くんのお父さんは、学校の先生をブン殴って逮捕されたよ」
そんなふうにならないように気をつけないとな。 (冗談 / 半分だけ。
俺は気が済んでも、そんなお父さんでは子供が迷惑してしまう。
…セーブ。まぁ、落ち着け。先は長い。誰も今日 死んで終るわけではない…本来ならな。
   
んで、俺は子供の頃、(親の都合で)何回か転校して 
イジメた側と、虐められた側と、両方の経験がある。
単に仲間ハズレにされるとか、誰かに嫌われるとか、そんなことは どうだっていい。
たとえ、とことん嫌われても、自分より優れた能力を持っている者に対しては 
憧れとか好意も抱いてきた。
「オレはアイツが嫌いだ」とか、「好かない」「気に入らない」「ウザイ」「見るのもイヤ」… 
ということは誰にでもある。
俺にもあった。今でもある。
あるいは、そういう感情や非難・中傷の目で見られることも、今でもある。
でもな、そういうことは一日の中で数時間もない。数分だ。
目の前にもいない奴のことを いつまでも考えてても 
ワラ人形か“コックリさん”(?…最近は『デス・ノート』とでも言うのか?)じゃあるまいし 
人が人に何か影響を及ぼせるほど立派な奴なんて、今はもう国会議員にもいねぇよ。
ビビたるもんだ。
誰も彼もが中田やイチロー選手とかゴジラ、アイルトン・セナとかベッカムになれるわけじゃないし 
ブラッド・ピットもジョニー・デップもヘップバーンも 
はじめっから、みんなと一緒ではないよ。一緒なら、あんなふうには注目されないし 
マザー・テレサにしてもジョン・レノンにしても、自分の望みがすべて叶った人間じゃない。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10006141376.html
云い方は申し訳ないけど、誰か学校の先生に憬れて教師になった人ってのは 
そういうことに気がつくのも遅いよな。オメデタイことに。
「ナニサマ?」というより、何者?ってことだ。 
…お受験合戦まっしぐらの奥様連中の大好きなヨソ様か? (これも韓違い。) 
   
とにかく、何か一つの言葉に決めつけるってことは危険だ。
それがもし、「先生」という枠の範囲で世間に決めつけられた存在、指導者であるなら 
自分の口から出てくる言葉や評価の仕方、決めつけ方が 
のちのち相手の人生にどんな影響を及ぼすかを見通せないと 
端的に決めつけた言葉を吐き捨ててはならない。
誰がどう受け止めて、どう感じるかは本人でないと判らないし 
勝手に決めつけた言葉の意味を相手が理解できるかどうかは 
その相手にしても解らないことの方が多い。
小さな子供に大人が「ダメだよ」って言うことにしたって 
本人は「何がどうダメなのか?」 疑問で頭がいっぱいだ。
   
「あなたの卑しい根性を6年生になって私が受け持ったときは
徹底的に叩きのめしてやるから、覚悟してなさい!」

と、新築校舎2階の階段付近の廊下で、通りがかり俺に言っていた女の教師もいた。
誰かが誰かを虐めるという問題をクラス全体の問題として捉え 
それを自分の教育理念や思想と経験に照らし合わせて解決に踏み切ろう…
などという考えの教育者もいる…いたかも痴れない。
それも、今となってはどうだっていい。
人間が人間を指導することに自分が何か勉強や経験してきたことが役に立つという、
そんな時代はもう、とっくの昔に終ってる。  http://ameblo.jp/badlife/entry-10015242278.html
子供を産む場所さえ地域限定にしてしまう厚生労働省と 
児童の自殺に頭を抱える校長先生を激増させる文部科学省? 
なんのための少子化対策だ? 
ああぁ、明日の日教組の“お茶会”も、また同じメンバーだけだな。ご苦労なこった。
   
小学生だった頃の俺自身、教師連中からマークされ 
その扱いづらさから、何か特殊犯罪者のような見方をされていた時期もあった。
“転校してしまう”という経験においては、それを監督監視する側にしても 
やむなく、本人が卒業するまでを見届けられないので 
問題を起こしたあとで、いきなり違う学校へ転校してしまうことになると 
拍子抜けする者もいたり、自分の教師としてのメンボクなさや 
事を荒立てた始末の問題解決に不満足だったりと 
(今となっては、そういうことも、こちら側の想像でしかないけど
人間なんだから色々な考え方があったと思う。 
俺にしてみりゃ、「先公、ザマァミロ!」という感情のほかに 
「あ~あ、残念だったね。みんなと仲良くできなくて…」など。
んまぁ、子供ながらに複雑な心境だった。
それでも行く先々で、“素行資料”ってのは俺を“書類化”して着いてまわるので 
結局は、「あなたは前の学校でも問題児だった」というレッテルを
新規登校日のスタートの時点から貼られている。
“務所帰り”みてぇなもんだな。http://ameblo.jp/badlife/entry-10004026965.html
   
団体行動ができないのは今も変わりねぇけど 
べつに俺は開き直ったりはしてないし、子供のときも開き直るようなことはなかったよ。
「死にたい」と考えたことも何度かあったけど 
どこへ行っても息が詰まるような想いがどっから来るのか? 
俺は、そういうことを常々、自分から突きとめて生きてきた。
ひとつには家族の病気や、肉体の異常による精神の支障… 
親にしても兄弟にしても親戚にしても友人にしても 
結果的に自分が巻き込まれる問題を単に 
他人の所為にして終わりにはしない。
…それが誰も最初からできたわけじゃない。
他人に迷惑をかけてるってことが 
自分や自分の周囲にとっても、どれほどの迷惑になるのか? 
そしてまた、そういうことを根本的に許せない自分が 
その通りに同じことをやっちまう。
その悪循環の中で苛んで生きてるのは何も俺だけじゃないんだけど 
要するに、精神と肉体のバランスが崩れたときに
病気や怪我ばかりでなく 
人間は犯罪と背中合わせになることもある。
自殺もそのうちのひとつだな。
やっているのは全部が自分。他人ではない。
   
テキトーに大人が一生懸命にやってるつもりよりも 
自分がいま生きてる時間が真剣勝負の子供の方が多いよ。
たとえ独り、部屋の中で流行りのゲームに熱中してても 
あんなのは気晴らしでしかないんだ。
自分が本当に やりたいことが見つかるまではな。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
全国の教育者のみなさん、並びにカウンセラーと名乗る方々と 
教育関係の仕事に従事して、世間では
先生! と呼ばれている方々さん、
どうか、自分の人生を立ち返る暇があるなら 
誰も読みもしないような『自叙伝』なんて執筆しておられるヒマがあるなら 
やり直しの利かない人間の一生について、改めて考えてみよう! 
自分の命が果たして、指導者向きであったのか不向きであったのか? 
   
以下、あなた方のことをいくつか書いておきました。
…ご参考まで。

   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004026965.html  September 05, 2005
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163605.html  September 10, 2005
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163650.html  September 10, 2005
http://ameblo.jp/badlife/entry-10011185529.html  March 04, 2006
http://ameblo.jp/badlife/entry-10014839960.html  July 19, 2006
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003894276.html  August 31, 2005
http://ameblo.jp/badlife/entry-10002872663.html  July 16, 2005
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003972375.html  September 03, 2005
http://ameblo.jp/badlife/entry-10006173415.html  November 15, 2005
http://ameblo.jp/badlife/entry-10012067117.html  May 03, 2006
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10019953427.html  November 15, 2006
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10096120130.html  2008-08-04  
   
   
   
   関連リンク
   
みんなのテーマ
いじめによる自殺撲滅キャンペーン ~物書きに出来る事~