○からハミダシて当然だよな。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

  
  
今年の2月25日に、(つい先日だけど、一応、期日は大切だ)
トップにあるウェブログのタイトルを
   
   “Mind Resolve” ~ 今日の屈折 
 
としてみた。
んで、翌日。
    
   “Mind Resolve” ~ 心の日銭
 
これはイマイチ、ピンとこなかった。
んで、     
 
  ○からハミダシて当然だよな。  2006年 3月 1日(水)
 
  そりゃぁヤボな野望だ            3月 2日(木)
 
  愛と情熱の SAD(O) CITY より     3月 3日(金)
 
  五臓の織り成す喜怒哀楽          3月 4日(土)
 
  飴ほおばって鞭で叩かれんなよ     3月 5日(日)
 
てな具合に、この五日間、色々に工夫してみた。
んで、今日は、
からハミダシて当然だよな
の、説明。
…というか、書いた内容が、そこへあてはまった。
便利なタイトルを思いついたので、このページで改めて遣わせてもらう。
これがまた、“mind resolve”にピッタリなんですよ、奥さん。
 
でも今日は、最後まで読むのに、ちょっとだけ覚悟が必要になる・と思う。
「ちょっとだけ」であって、
「かなり覚悟が必要ですよ」という内容は、
まだ世の中に公開していないので、
そんな大したことではないかも知れないけど、
とくに、全国の英才教育家の人や、日頃、
教職という仕事をしている自分がスバラシイと思っておいでの学校の先生や、
カウンセラーという肩書きだけで中身のないような人には、
ちょっと覚悟が必要になる…
まぁ、そういった類いの人達は最期までマトモに読めないだろうけどな。
ご豊富な御「知識」様が色々に邪魔をしてしまって。
大丈夫、フツーの人なら読める・と思う。
理解に苦しむような箇所、難解な項目などあれば、
あとでコメント欄で質問してくれ。
何でも応えるよ。
俺なりに。
もっとも、マトモに理解できる内容かどうかって問題の方が多いかも知れないけど、
それはそれで仕方ない。
 
でも、俺は俺で、書く内容に少しずつ進歩してる・つもり…と思ってる。
なぜなら、今日ここに、読者であるあなたの存在があるからね。
どうもありがとう。
  
  
   
     title:  ○からハミダシて当然だよな。  
   
   
   世の中、まるく見えても実はイビツな多角形をしてる社会組織。
   そこにひしめきあってる人の群れが単一な動き方でしかない今の日本。
   責任を擦りあったり、陰口を叩いて丸く納まってみたり…。
   妬みも恨み辛みも、自分と他人の比較も、己の権利の主張も、
   やがて、憎悪や嫌悪、妨害や横暴と伴に、人々の魂を蝕んでゆく。
   「そんなところには いつまでも居すわりたくない!」
   っていう人にも、まだ逃げ場がある人は大勢いる。
   いや、むしろ逃げ場をつくって当然だ。
   おかしな○【丸】の中に無理やり押し込められてても、
   窮屈なら そこから逃げて当たり前。利口な判断だ。
   …眼に視えない世界の連中も自分が居心地いい場所を捜し求めてるほどだ。
   でも、生きている人間の怒りや哀しみ、喜びや驚き、憂いっていう感情てのは、
   すべて肉体から始まってるってことだけは忘れないようにしといた方がいい。
   五臓の成せる業だ。…泣くことも笑うことも、怒ることも、考えることも悩むことも、臆病になることも。
   人によって、その表現方法も様々だ。 
     
参照ページ http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163605.html  
              
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163650.html   
   
   誰も怒りたくて怒ってる人なんて本来はいないだろうし、
   人の喜びや悲しみも何もないところから突然に湧いてくるもんじゃない。
   この自然界が人間の五臓(心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓)と対象に創られていることについて、
   今ここで誰が誰に「理解しろ!」と押し付けたところで、
   そんなことは「うん、そうだね」と簡単に素直に受け入れられるもんじゃない。
   勉強しすぎたアタマが邪魔してるばかりじゃなく、
   一人一人が持って生まれたモノがちがう。
   まったく違う。決して同一ではない。
   まったく瓜二つに見える双子の人がどんなに愛称よくて通じ合っていても、
   中身(魂)までも同じではない。絶対にちがう。
   それを世の教育は、社会の常識は、同じように、均一に揃えようとする。
   そこから はみ出して当然だ。
   誰も不良や出来損ないじゃないし、LD児や学習障害児ではない。
   たとえ見える部分で多少の違いがあったとしても、
   本来は何の役割も持たず、何の役目も貸されずに産まれた人なんていない。
   たゆまない努力が好きな人は、それを続ければいいし、
   いつかそうすることが必要なくなった時は、
   やめて別の、もっと自分に合うことを選べばいい。
   …何、今日は随分と柔らかく重い槍っぽいじゃん。きもちわりぃな…
   
   んで、俺が小学3年の時、こういうことがあった。
   習字…書道の時間…“みんなで楽しい給食”の前の時間だった。午前中。
   担任の女の先生が、
   「まず、半紙を横に二つに重ねて折りなさい。
   次にまた二つに折って、更に二つに折って、もう一回二つに折って。
   それを開いた時に、これくらいの枠が出来ます。
   その半紙を横にして、左の枠から順に、縦に自分の名前を細い筆で書きなさい」
   ちゅうことで、当時、ひとクラスに男女合わせて42人いた生徒は、
   俺を含めて先生に言われた通りに、毛筆で名前を書く。
   真剣に書く。丁寧に一行一行を埋める。
   みんなが一斉に並んでそうする。
   誰も手を抜くことはない。
   自分だけの自分が書いた自分の名前だ。
    
   で、先生は、
   「書きあがった人から先生の所へ持ってきなさい。
   並ぶときは、次の人から少し間をあけて、前の人が先生と話し終わるまで離れているように」
   
   「ん~ん、なんだか今日はいつもの授業と雰囲気が違うな」
   子供ながらに そう思った俺。
   みんなもスゴイ緊張、緊迫感。
   「何が はじまるんだろう?」
   
   んで、俺の順番が来た。先生は一言、
   「どれが一番うまく書けたの?」
   「うぅ~ん、これかなぁ…」
   素直に正直に答える俺。
   「どうして?」 (やや怒り口調で)
   「?」
   そのマンツーマンの指導の意図が読めない俺。しばしの混乱。
   「…どうしてって、どれがいちばん旨く書けたか訊いたから、
   自分がいいと思った三番目のヤツを指差したんじゃん」(俺の心の中)
    
   「ダメ。もう一度、書き直しなさい。
   そうしたらまた持って来て見せなさい」
   
   「なんなんだよ」
   心の中で呟いて不服そうな顔をしてる俺。小学校3年。
   んで、その当時はまだ真面目だった俺は、
   云われるままに、また丁寧に“お習字”をして、
   再び列へ並ぶ。
   前の生徒と先生のやりとりを見ると、
   なにやら盛り上がってる。
   優等生も劣等性も、みんな2回目は褒められてる。

   よし、俺の番が来た。「今度こそは!」
   先生、どれが一番うまく書けた?」
   「これです」(…今度はぜんぶ、旨く書けたつもりなんだけど、
           やっぱり真ん中のが一番イイ!) …やや自惚れてる俺がいた。
   
   「ダメ。」
   「(えっ? なんで?)」
   「お前、自分で、ここ(左)から書いて、練習したんだから最後の名前が
   いちばん上手に書けたんじゃないの? そうでしょ!」
   
   さぁ困った! 南、沈黙するのみ。
   
   「それが判らないなら、もう一度、書いて持ってきなさい」 (自分の机に腰掛けたままの先生)
   
   てな具合で、画一化教育ってのは おそろしい。
   みんなが全員、最後の最期まで同じ答えを出すようになるまで繰り返す。
   そういう授業があった。かつて。
   事実、俺が体験してきた義務教育の授業の中の一つだ。
   俺は今でもハッキリと覚えている。
   たとえ、その先生が高齢になって、惚けてしまって忘れても、
   俺は絶対に忘れないし、忘れてやらない。
   なぜなら、そのあとの給食が、すべて、いっきにマズくなったから。
   「忘れてください」と言われても忘れない。
   喰いモノの恨みは恐ろしい。 (そういう問題じゃないだろ!)
   
   んで、今日の義務教育の現場には間違っても、
   そういうことはないと思うけど、
   おそらく、たぶん、きっと、それ以上の内容の授業が あるんじゃねぇかと思う。
   なんせ、その当時の先生方がみんな、校長や教頭になってる時代だ。
   「師を見て育つ教え子」
   
   学校教育に対する単なる俺の偏見で、ここで話が終わるなら、
   きっと、全国の小中学校に陰湿なイジメも登校拒否も非行も差別も…
   ないだろう…と思いたい。
   でもある
   在るし、已まない。
   どんどんエスカレートして、カッターナイフで同級生の首を切る子供までいる。
   スゲェ教育現場だ。
   教団の上に立つ先生の半数以上が精神安定剤を常用してる。
   子供たちの親も呑んでる人が多い。
   この現状を今の文部科学省は、どこまで把握してるのか?
   
   よし、反論のある人は、コメント欄に自分の名前を楷書で書いて、
   順番に並びなさい。
   
   俺は「ダメ。」とは云わないよ。
   本来の素直で正直な人間でありつづけたいからな。
   
   でも、先生。 (…今日は全国の学校の先生に向かって云ってる。)
   先生もずっと今まで、同じような思いで生きてきたでしょ。
   「どうしてこれが違うんだ!?」
   って、自分の本当の意見は、通らなかったことの方が多い。
   それが教育そのものだとは云わないけど、
   なんか、全体的に違っちゃってきたよな、今はもう。
   体罰なんて体罰のうちに入らないことまで体罰の扱いにされちまう。
   イジメなんて、子供たちの間に、ほんとはどこにもなかったのに、
   誰かが誰かを悪者にしていないと纏まっていられなくなっちまう。
   
   俺なんて、しょっちゅう、先生に平手やパンチを貰ってた。
   「歯を食いしばれぇ」とか云ってな。
   中学生の時は毎日のように竹刀でケツを叩かれてたぜ。
   授業中にクラスメートの野球グローブで思い切りブン殴られたこともある。
   その先生は、俺の隣に座ってた生徒の足を彫刻刀で刺したこともある。
   即日、教頭と一緒に、マスクメロン持って家まで誤りにきたってさ。
   女子高の男の先生で、何人もの生徒と肉体関係を交わしてた人も知ってる。
   それが悪いわけじゃない。
   相手が求めてくることを拒まないだけだ。
   そういう優しい先生だった。
   
   できないことは「できない」でいいじゃない。
   解らないことは「解らない」でいいじゃん。
   その方がラクだよ。
   
   できるフリ、解ってるフリをすることの方が何倍も苦しいし、
   素直で正直な人ほど、柔軟で何でも受け入れられる。
   但し、身体が云うこと利かないと大変だけどね。
   
   だから、今まで知らなかったことを今になって知ろうとする、
   その覚悟がいることも、
   一時の恥でしかない。
   知らぬは末代の恥になる。
   
   「何を?」って、
   俺のページを開いて読んでることがだよ。
   
   俺は、ある人に代わって、書き続けてる。
   世の中の混沌とした部分が、
   医療や教育の現場の末端から、少しずつでも、
   最初にあった当たり前の通りに戻って、
   今より、より多くの人が楽しい顔に変わっていけるようになる日が来るのを夢見て、
   俺は書きつづける。
   攻撃はやめない。
   
   果敢ない抵抗だし、
   軽率に、軽々しく感じる表現もあるし、
   偽善者的な解釈も多いかも知れないけど、
   俺は自分を変えるために努力なんてしなかったし、してない。
   元に戻ることが変えるなんて苦労になっちまって、
   俺以外の人にも大変なこともあるかも知れないけど(おそらく)、
   俺は、「頑張る」のはキライだ。
   頑張っても何にもならない人の方が多い。
   最初から違うんだ。
   要領のいい人も、センスのいい人も、馬鹿も利口も。
   馬鹿が何年、何十年、努力したところで、利口にはなれない。絶対に。
   反対に、利口な人が努力しても馬鹿にはなれないし、
   生まれながらに社長の人は、物乞いや奴隷のような存在にはなれない。
   努力しても無意味だ。
   魂(頭の程度)の階級は、この自然界の中でキッチリと決められている。
   それは、灰皿を湯呑みにできないように、
   湯呑みを灰皿として使うことはできないように、
   物事の道理だ。
   それを捻じ曲げて、湯呑みを灰皿のようにしてしまう経済社会や教育がおかしいのであって、
   そこにいることが苦しくなって、「辛い」と思う…考えることは、
   間違いではないし、当たり前だ。本質とは合わねぇえんだから。
   ちょっと外れ過ぎて、何か物を盗んだり、他人を傷つけたりしてしまうのも無理はない。
   さもすれば、自分で自分の息の根を止めてるアホもいる。
   
   どこに、誰の自由意志を尊重するシステムがあるのか? 
   束縛ばっかりじゃねぇか? 法律に守られながらも。
   人にはそれぞれ、できることとできないことがある。
   その、できることとできないことの区別、判断がつかない人の方が多い。
   女も。男も。
   なんのための男女平等なんだ?
   俺には よく判んねぇーぞ。
   解る奴がいるのか?
   「人間みな平等」「男女平等」、
   なんのために?   
   雇用機会均等法、男の育児休暇、
   格好だけのハウス・ハズバンド、見せ掛けだけのフェミニズム…。
   なんで夫子家庭に援助が少ないの? 
   どうして過労死(精神異常死)や自殺はオジサンばっかりなの?  
   なんでみんなと同じようにやらないといけないことばかりなの? 
   湯呑みに似た灰皿を作ったデザイナーや芸術家(偽陶芸家など)は誰なの? 
   普通の土では育たない野菜がなんであるの? 
   どうしてそんな毒がいっぱいの食物を売ってるの? 
   誰が買ってるの? 誰が食べてるの? 
   この先もずっと食べ続けてどうなるの? 
   脳味噌や身体の細胞は大丈夫なの? 
   俺も農家の後継ぎだ(一応な)
   ゲセねぇ問題は まだまだいっぱいある。
   
   そんなことを無理やり押し付けてる教育も宗教も、日本経済も、
   そこから生じたゆがみやひずみ、弊害の責任は、
   ぜんぶがぜんぶ、政治家に問題があるわけじゃない。
   「やればできる」「みんなと同じようにやってりゃ安心」とかいう、
   大衆の意識に問題がある。まずはな。
   それでいて、今まだ努力すれば何とかなると思ってる。
   ご立派に勉強したアタマで。
   本という本を虱潰しに読んだ大辞典の見事な完成品のような格好で。
   中身は豊富に溢れんばかりの知識の泉でも、
   外見の肉体はボロボロじゃん。
   どうしてそんなに知識は宝なのか? 
   毒でしょ。農薬や麻薬より兇いよ、今の、学問の知識 詰め込み過ぎた状態は。
   学識中毒症。
   宗教戒律雁字搦め後遺症。
   それに伴う筋肉障害。
   スゴイ難病。
   しかも集団で。
   付けて治す薬はなくても、漬け込み直すセミナーや自己啓発塾は いっぱいある。
   胃の辺りが気持ち悪くなるほどにまで。
   そうなるともう重症だ。
   博士号も凡人にも区別がない。
   目から鱗が落ちたあとに、エラ呼吸がはじまるかも知れない。
   これは面白い、みんな半漁人だ。
   水中出産の誤りもこれで弁明される!
   どうして普通に産めないのか?
   誰の何のマネをして、のちのちの身体を苦しめるほどのことを
   やってのけるのか?
   なんでもそうだよ、合う人と合わない人がいる。
   どれもこれも一緒じゃぁない。
   出産なんて、それこそ決められた時期、決められた場所、決められた相手が必要なのに、
   教育や宗教の戒律や規則は重んじて守っても、
   自然界の基本的な決まりは平気で破ってる人間様、様、様。
   どうして?
   やっても「できない」じゃん。
   できるほど立派じゃないじゃん。どの人も。
   
   
   だったら、
   本来の自分のままがいい。
   素のまま生のまま。
   シンプルでいいじゃん。
   カッコつけてると、嘘ばっかりになっちまう。
   逃げ場所をつくればつくるほど、
   そこは逃げ場所ではなくなってしまう。
   
   
   
   俺は今、全国の学校の先生と友達になりたい。
   そして、全国の医者のうち、正しく人間を知ろうとしてる人と
   親密なお知り合いになりたい。
   そして、その人達と酒を酌み交わしたい。
   「ダメ。」…か? 
   駄目だろうな、こんな俺じゃぁな。
   
   また出直してみるよ。
   
   じゃぁね。
   
   
   
   
   
   P.S. 伊丹哲也さんのLIVEで逢おうぜ! 
   
       …ストーンズのドーム初日の日はダメだ。忙しい。
       遊園地で子供と一緒に思い切り遊ばなきゃならない。
       佐渡にはないからな。遊園地も。ゲーセンも。