世の中の登校拒否について。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
たとえば、学校の先生ってのは、勉強しすぎて
頭の中が生徒や教え子より先走ってるから「先生」って名前で呼ばれてるんじゃねぇのか? 
そんなことは国語辞典に書いてないけど
新しい現代用語には書き加えてもらった方がいい。
  
  用語 先生【せんせい】
  意味: ①生徒より先走ってる無駄な知識(教養)が多い人の様。またはその呼び方。
       ②その他の意味は、多種多様の辞書や辞典にあるものと相違なし。
  解説: 人類の20世紀後半から、何らかの教育現場上で
       自分が教えている生徒や生徒の生活環境に
       噛み合わない関係を築いてしまう教育社会の
       ゆがみやひずみ(共に歪み)の中で
       必要以上に身につけた知識を先行させて先走ってしまい
       ほんとうに大切なことが見えなくなっている人の呼び方。知識の装い。
   
てなことで、21世紀は、多くの学校の先生より、生徒の方が精神的に余裕があるよ。
但し、肉体的な面では、遠からず、必要以上の知識、教育、教養によって
生徒(子供)の身体は、時代を追うごとに、精神との不釣合い、バランスを崩して
今後、多大なる教育公害の結果に苦しむ人々が増大してゆく…。
これは否定できない事実で、逃れられない事実でもある。
   
どこに問題あったのか? 
   
ヒトが環境の変化に順応できる・できないとか
学習障害のウンヌンがどーしたこーしたとか
それは、どれも“見た結果”だけで物を言ってるだけだ。
会議に会議を重ねて何の問題解決にも至らない学者の集まりこそ世の中の公害。
そんな机上の論争を面白おかしく展開しても
誰が何の本を出版しようとも
児童の登校拒否は増え続けるし
青少年の犯罪は日増しに激化する。
   
戦後の学校給食の問題も含め、
根本的に、人間が人間にモノを教えることの教え方に問題があったんですよ。
それはまず、
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004026965.html  仮題:“やればできるシステム” 【予告編】
このページ を皮切りにして
 
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163605.html
 
ここから長々と、現代教育の実態を浮き彫りにしてきた。
そういうことは幾つか他のページもあったけど 
実際これを読んで、何に反省したのか、自らに想い当たる節があったのか、
自分が教師、教育者であることを見つめ直してる人もいた・・・・よな。
   
俺は、今の日本の学校の先生方を攻撃してるわけじゃない。
もっともっと人間のありのままの姿を大事にしてほしいと願ってるだけだ。
自分の子供 も来年の四月からは小学一年生になるからな。
ただ、文部科学省の莫迦さ加減には厭きれてるよ。
人権尊重や男女平等の無理で過剰な取り決めに雁字搦めにされてる教職者や
全国の生徒、学生の生活そのものを解ってないし、
これほどまでに教育水準が高い国家とされて
これほどまでに教育機関が多い国の中で
無用なほどにまで設備投資や職員の数が多い。
文部科学省配下・監督下の教育関係者(職員・公務員)の数が
必要最低限の人数と、その能力に応じた月給の支払いを整えられるなら
日本経済も今よりちっとはマシな状態で安定するかも知れない。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10013032539.html  May 27, 2006
簡単に、「先生をクビにすりゃぁいい」って問題ではない。
どんなにマヌケで能力(物事を教える器)がない人であっても
ご本人たちにも生活がある。
「明日から山谷のドヤ街へ行きなさい」ってのも酷だ。
ご本人たちは本の虫になってた時間が長い分、肉体労働が向いてない人もいる。
精神状態にヘルメット(“守り”の態勢や自粛)は被ってるかも知れないけど、
工事現場で安全ヘルメットが必要な理由も意味も、よく判らないかも知れないだろ。
だから、少し時間(猶予期間)を与えて
自分がどうして何のために教職を選んだのかを
それなりの答案用紙をつくってやってテストしてみりゃいい。
「この人は本当に教職者に適合した人物かどうか?」
「この人は本当に未来の日本社会の指導者として役立つかどうか?」

その審査基準の原案は、民間の親御さん。全国の一般市民のみなさんで作成すること。
巷のPTAや教育委員会には口出しさせんな。あんな連中には。
常日頃、自分の子供の命を大切に、丁寧に見守っている親が団結して
まっこうから体制に立ち向かうべきだ。
って、そんな余裕のある、心ある人は少ないかも知れないけど…。
「うざい」という子供(生徒)の言葉には、その裏側に
自分ではどうすることもできない問題を抱えてることが多いぜ。
それは、肉体と心のバランスが保てない大人も一緒だけど
生理がはじまった女の子なんてとくにそうだ。
戦後の過剰な栄養補給によって、初潮の時期が早まってしまった母体。
その女の子たち、女性から産まれた子供は、
またもや栄養豊富な食物によって
生理(妊娠や受胎の準備)が本来、人間の女性にあるべき状態を
メチャクチャにしてしまってる。
これはもう、一人二人の問題ではない。
画一化された教育の中では大勢の人間の肉体が破壊されてきた事実がある。
本来、女性の初潮というものは、15~16歳で始まるように
人間の創られ方の取り決めがあったわけ。
それを現代人は、進化でも退化でもなく、必要以上の教育で破壊してきた。
たかだかこの60年~百年間の程度だけど…。
この期間は既に、明日の人類繁栄繁殖に取り返しのつかない状態をつくってしまった。
あらゆる教育によってな。
「そんなに大袈裟に考えなくても大丈夫だよ」 パンチ! 
という学者アタマのアホもいる・かも知れない。
でも、そんな悠長なことを言ってる場合ではない。
少子化も、不妊症も、結婚しない男女も日増しに激化激増してるのが今の日本だ。
その上、男が女になろうとしてみたり 、 http://ameblo.jp/badlife/entry-10012669032.html
女が男に勝って社会で頑張ることが素晴らしいとされている現代人のアタマになってきた。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10003972375.html
青少年の犯罪にしても、幼児や児童の虐待にしても、
「お前は自分で産んだのに、それを殺めて、どうして平気な顔でいられる?!」という問題にしても、
人間の精神が肉体の異常に比例して
人間の心の容れ物である肉体は
人間の容れ物としての社会、この自然界の移り変わりに着いていけなくなっている。
去年より今年の方が酷い。
その前の年より来年の方がもっと酷い。
   
どうすんだよ? こんな世の中で? 
   
俺は できることなら、
自分の子供は義務教育は3年くらいにして
あとは自分でどうにかできるように
生きるために必要以上の知識を身につけないようにしてもらいたい。
今の世の中では、なかなか無理だけど、
実際には既に、登校拒否をしていても、
自分の生き方をしっかりと考えている子供も多くなってきた。
長い目で見て“危険な学校給食”も食べなくて済むから安全だ。
   
ある中学生(男子)で、学校で授業がやってる時間帯には登校しないんだけど
みんなが下校の支度をして、部活動が始まる時間帯になると学校へ来ていた人がいた。
部活動をしない生徒は帰る。
塾もあるし、色々の習い事とかもあるだろうから、みんな忙しい。
続々と校門を出て帰ってゆく。
なのにその生徒だけは、校門を出る人たちとは逆の方向へ向かって歩いていた。
毎日毎日、授業には出席しない。でも、
部活動は楽しいので、家でメシを喰ってから午後に登校する。
みんなと一緒にトレーニングをしたり、競技や大会の話に夢中になったり
部活動をやってる時間帯だけは普通の中学生だった。
んで、高等学校へは進学せずに、
自動車も好きだったのでクルマの修理工になった。
会社へ欠席する日はない。出社拒否なんてしない。
今でもマジメに働いている。
板金の技術もそれなりにイイ腕らしい。
しかも、社会人のスポーツ選手として、
かつての部活動で培ったモノを趣味に、無理のない充実した生活を送っている。
世の中には、そういう人(青年)もいる。
俺の知ってる“暴走族のあんちゃん”だった人も
学生時代はロクに学校へは通っていなかったものの、
今は白バイに乗って
命を粗末にしてしまいそうな若者を取り締まってる人もいる。
   
そういう人たちが単に立派だということではない。
自分が生きるために何が必要で、何が必要ではないことなのか? 
自分に合うことと合わないことの区別とか、
そういうことは、今の学校の先生も親も教えられない。
自分で見つけるしかない。
いいじゃねぇか、学校へ行かなくても。
関係ないじゃん、自分は自分なんだから。
親の期待通りになんて生きる必要はない。
親はいずれ先に死ぬんだし、親の人生は自分の人生ではない。
生き様には、それぞれに区別をつける必要がある。
みんなと同じようにできなくて当たり前だ。
最初から創られ方も役割も違うんだからな。
   
ただ、投げ出したり、途中ですべてを止めるようなことはすんなよ。
自殺なんて もってのほかだ
リストカットの傷跡なんて、
ヨボヨボ爺さんの刺青より みっともねぇぞ。
人間が生きる、生きている上で自殺未遂なんてことやってるヒマはない。
他力本願なボケ老人 のように惚けてるヒマもない。
忙しいでしょ、自分の好きなことをやらなくちゃならない限りはな。
それでも、どうしても、
自分が自分ではないと感じてしまうとき、
またここへ来て、俺が書いていることを適当に読んでみてくれ。
役に立たないことも多いかも知れないけど
不恰好な人間のままクタバルよりはマシかも知れない。
登校拒否をしている人も
なんで学校へ行きたくないのか自分を自分で解らない人も
自分が「この世に生きていてもいい」ってことを
自分の力で認められるかも知れない。
俺は君たちのために書くよ。
楽しくもなく、つまらなくもないような、こんな世の中だけどな。
   
たまにはロックンロールも聴いてみてね。
哲也さんの歌もいいよ。 
http://home.p02.itscom.net/fighting/
   
   
実は俺も大変なんだ。
登校拒否はあまりしなかったけど、ときどき
生存拒否をしちまいそうになっちまう。
おんなじだよ、みんなと。
   
無理しないで頑張ろうね。
「ああ、こんな生き方もあるんだ」
って、励まされることもいっぱいあるから。
じゃぁね。
   
   
   
   
   
   
   
   
   2002    一龍、まだ2歳の頃。