男と女の中間。 変異の類似について。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
   
いきなり、なんの前置きもなく書くけど…
   
   
この世には、男と女しかいない。
本来、その中間は ありえないし、あってはならないことになってる。
先天性で、生殖器が両性あるように見えてしまう子供が産まれてしまうことについて、
現代日本人の『教育によって破壊された母体』の現状を
これまでも幾つかのページで事実を書いてきた。
http://ameblo.jp/badlife/theme-10001938445.html
http://ameblo.jp/badlife/theme-10001995009.html
   
要するに、ここ30年、40年、50年の間に渡る義務教育現場で、
人体に直接的に多大なる影響を及ぼす“学校給食”をはじめとする食べ物、
そういう現代【いま】の日本人の食生活の問題と、
ここ数十年に渡り、日本という国の中での教育や宗教が教えてきたことの嘘やデタラメを含む、
男女平等思想を強調しすぎた社会の常識。
見えないモノを信じない科学のデマカセ、進化論のデッチアゲ。また、
人間の心と身体と自然界の関係をトータルで捉えられない医学、医療の画一化マニュアル、
それに従って人間の身体を部分的、統計学的に診て、勝手に決めつけ、浅はかな判断を下す、
そのように考えさせられてしまう人々の常識。
それをよしとする病院病棟、診療所、その他各医療施設の、大手製薬会社との馴れ合いシステム…。
   
そういったことが、世界に恥を晒すかのごとく、戦後の日本経済が膨張するに伴い、様々な弊害を齎し、
現代女性の、その母体の中にある子宮の構造、位置が、
本来あるべき状態ではなくなってしまった。
そのために、生まれつき皮膚がドロドロになった全身アトピーと言われてしまう子供や、
未だもって原因不明のダウン症と言われる人や、
見た目は正常に産まれたはずの幼児が突然死してしまうとか、
肛門がない、耳がない、眼が一つ、心臓の弁膜が異常、不正常…などの
奇形児出産が増加している。今なお。
また、3000グラム以上で産み落とされる子供も少なくなり、
その“産まれ曜日”も土日祝祭日の人が、あまりいない。
そして、男も女も不妊治療が盛んに行われるようになった今、
流産しないように子宮口を縛る措置や
胎児と母体の細胞の連結をグズグズにしてしまう24時間体勢の点滴(など)の末、
吸引分娩、鉗子分娩などによる胎児の股関節脱臼や首関節の障害。そしてなにより、
医療保険を適応するためだけの、不必要な会陰切開。また、
未熟児の命を守るために開発され、精巧に造られた保育器の普及も含め、
そうしたことが母子共に、その のちのちの人生に
どのような影響を及ぼしているかが、
つい最近までは あまり問題にされては来なかった。
果たして、そういうモノが本来の人間の出産なのか? 
また、正常な肉体の妊娠なのか? 
   
今現在、このことに疑問を持つ素直な人も世の中には増えてきた。
たとえば、「ダウン症」という病名(…これもどっかの博士の名前か?)をつけられてしまう人が、
双子でもなく 三ツ子でもなく、
それぞれが違う子宮の中…異なる胎内に育てられながら、
そこに微妙な相違はあるにせよ、
どうして同じような顔で同じような体型になってしまっているのか? 
それは決して見た目ばかりでなく、
一つ一つの動作、行動にも考え方にも類似点が多く、
云い方に問題あるかも知れないが、
あたかもコピーされたかのような状態になって生きている。
…法律に守られた手厚い保護、管理、観察の中で。
   
そういう“変異の類似”がどうして出来てしまったのか? 
また、どうして、時代を重ねるごとに増え続けてしまっているのか? 
人々は、あらゆる物事の出来た結果だけを見て、騒いで、
それに対処、対応することに必死にはなるものの、
出来上がる以前。カタチになる前の状態については考えようとしなかった。
宗教も、教育も、医療も、行政も…。
ただ漠然と「産む人が高齢の場合に多い」とか「原因はよく解かっていません」
などということを病院の先生方も医学書に書いてある通りに話をするが、
実際の医療現場や、現代医学の知識、学識のある人達ばかりでなく、
人間がカタチ創られる以前、母親の胎内に宿される以前の、
その育つ場所。人間の母体という肉体の中の環境が、
どうなってしまっているのか?
このことについても、それを正しく理解し、認識しようとする人もいなかった。
   
それでも、この日本においては、少子化は治まらないし、
人間の子供については何も解からない親や教育者の浅はかな考えの中で、
学習障害児として扱われる児童も増え続け、
それに対応する専門家や資格取得保持者の普及、管理施設の運営なども、
今後、必要以上に増え続けてゆくことになる。(…全体を視て、俺の予測。)
そもそも、学習障害児だとかLD児などと
医者や学者が勝手に決めつけた範囲に子供たちの人生を押し込めているけど、
俺は断じて、そういうことを議論している大人が許せないし、
勉強をいっぱい し過ぎた大人達の頭がどうかしてる…と、強く憤りを感じる。
問題は脳波の異常でも脳神経の障害でもなんでもない。
本人たちの肉体(先天性の筋肉の変形)に問題があるだけだ。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10004026965.html  ~
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163605.html  
   
この世に誕生して、出来てしまった結果を見てどうのこうのと話を煮詰める以前に、
必ず原因があったし、そういう子供を産んでしまった母親も、
それを仕込んだ父親も、
自分の子供に土下座をして誤った方がいい。
「言うこと利かない」からと無闇に怒鳴りつけたり殴ったりする前にな。
   
   
俺のかつての大親友も、今は脱サラして、障害者養護施設の福祉職員をやってる。
東大を出てから勤めた高校の教師を辞め、
ある日を境に盲学校に務めている先生も知人にいる。
今は付き合いがなくなったが、聾唖者の友達もいた。
21歳くらいまでの一年間だけ、学童保育の現場にいた俺も、
幾度か障害者の学校にも訪問して、そういう施設の人や子供達との交流もあった。
それでも、そういう子供を持つ親の思いは、
その子供を産んだ親にしか解からない。
他人には絶対に解からない。
またそれは、そういう親を持つ本人、子供にも解からない。
産まれついて、「目が見えない」「耳が聞こえない」という問題は、
今にはじまったことではないが、
そういう定めを背負って産まれてしまった人に対しては、
昔から様々な研究、開発が成されてきた。
しかし、人間の眼球が肝臓という臓器と関連を持つことや、
五感のうちの、「耳」という“臓器の出先機関”が、
腰にある腎臓や腰の筋肉の一部と両方の手首に直接的に関係していることについては、
今はもう失われつつある、“かつての正しい東洋の医学”の幾つかと、
俺のこのサイト、“mind resolve”以外では、誰も知らないし、解らない。
   
人間の肉体。身体の中の細胞連結には、ある一定の基準で定められた、
各々の臓器にまつわる血液循環の路線がある。
それは、全身の筋肉の中に、大きく別けて20本。
日頃、自分の使っている肉体の管理・保管を行き届かせるために、
知っておくべきものとして、基本的には12本。
何か支障を来たした部分を治すためには、14本。
武芸や武道とは別に、人間の身体と自然の関係を更に詳しく知る必要がある人なら、
その20本以上の経脈についても知識を深め、今後の人類のために貢献してみてもいい。
でも、そういうことを正確に判りやすく解説した文献も、
もうほとんどなくなってしまっているし、普通の書店や図書館にはない。
だから改めて、そのことに勉強する必要がある人もいなくなってしまったし、
学問や鍼灸などの資格取得のお勉強とは別に、
そういうことを自分達人間の営みの中に活かそうと考える人も
いなくなった。…というより、そんなことができない世の中になってしまった。
必要以上の余分な知識、学識が多すぎるために。
そして世の中には、奇病難病、奇形児出産が増大する。
   
人間の肉体、すべての筋肉には、各々の臓器(五臓)と関連する血液の流れがある。
その血液の流れを促す“動力の源”は、呼吸も、心臓の鼓動も、脈も、細胞分裂も、
決して、人間の造る電気や磁力、磁場とは違い、
一人一人、自分が生かされている場所で、
地球の自転と公転に従って規則正しく動く、
自然界の支配による力(エネルギー)によって動かされ、生かされている。
決して、一個人の意志、勝手な気持ちや考えで動いているわけではない。人間というモノは。
誰もが、自分では勝手に産まれては来れないし、本来は勝手に死ぬこともできない。
自然界の稲やその他の交配の時期が四季の中で完全に決められていることと同様、
精子と卵子が受胎した瞬間に、
十月十日【とつきとおか】を経て産まれる日が決められている人間は、
その一人一人の寿命(死ぬ日)にしても、既に完全に決められている(受胎の瞬間に)。
自然界の道理の中で、そういうふうに創られているはずの人間。
その肉体の中に、これまた、ある一定の取り決め、構成がなされた形での、
心、魂、精神(…表現がどうあれ)というモノが入っていて、
それは世界共通基準で、人類に与えられた人間の魂の“出し入れ”と、
その使われ方(役目・役割)の順番がある。整然として。…本来はな。
そういう意味での父親と母親とか、上司と部下とか、先輩、後輩の関係…
ということが社会を構成していた(…この自然界で人間が生きるために必要な階級があった)
はずなわけ・・・・なんだけどぉ、
こんな云い方だと、ほとんど誰にも伝わってないか? 
んでも、俺は絶対に、どこかの宗教思想っぽくは書いていないので、
そのうち、もっと判りやすく表現できるようになってくると思うし、
そういう人もまた、この世に現れるかも知れない。
なぜなら、自然と人間の関係、この地球上に生息する人類の在り方は、
誰にも曲げられないし、その基本原則は永遠に変えられることはないからな。
   
んで、人間の五臓と対象に創られている自然界。
自然界と対象に創られている人間。
それは、たとえば、
地球上の水分量(四季を通しての湿度も含め)が平均して65パーセントということと、
人の身体(人間の肉体)の水分量が、およそ65パーセント。(地域によって多少の誤差はあれど)
また、草も木も動物も虫も魚も、地球上のすべての動植物の数が60兆種類あって、
一人の人間の身体の細胞の数も60兆ある。
骨は215本(だったか?)でも、それを連結する関節部分。
そのの特殊な筋肉に覆われた関節は、
人間の身体に365ヶ所ある。で、一年が365日。
その一日一日、24時間の日の流れ、一週間の曜日というものは、
世界共通基準で、日曜日を先頭に、「月」「火」「水」「木」「金」「土」。
これが順番に、太陽の「日」の光りと「月」の引力に恵まれて生かされる人間の、
「心臓」「腎臓」「肝臓」「肺」「脾臓」の相互関係と密接な関わりがある。
   
参照ページ http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163650.html  ~ 
そういう意味で(まだ他にもあるけど)、自然界は人間の五臓と対象に創られている。
そしてそのために、五体満足、正常な人間の手足の指が5本ずつあることも、
眼が二つ、鼻が一つで穴が二つ、耳も目の脇の両側にあって物音や人の声を聞くことができるし、
口の中のベロも、ストーンズのマークのように必要以上に長いということもない。
そういう口の構造…正常な唾液の分泌も、味覚を感じる舌も舌の裏側も、歯茎や顎の関節筋肉も、
すべてにおいて、この自然界に生きられるために備えられた道理の中にある。
そしてまた、何不自由なく食べた物のカスが便や尿として体外に排泄される道理も、
すべてが五臓の動きを基準に創造されている。
それを創った者が何者かは別として、
世間にありがちな「遺伝子情報」のウンヌンとか、
ダーウィンの進化論をはじめとする学説や、数多くの宗教思想にあった曖昧な部分は、
普通一般の人に疑問を抱かせないようにテキトーに ごまかしている部分が多い。
要するに、出来た結果を見て判断し、難しく複雑に考え、
そういう勉強や研究をすることはできても、
形づくられる前の状態については何も解からないし、解らなかった。
にも拘らず、“解らない”ということを認められない人も多い。
世間にはそれほど、他人の迷惑にはなるものの、役に立たない知識や学問の常識が多い。
そのために世の中の人は、学者ばかりでなく、
自分という人間が何なのかさえ解からない。
そんなことで、他人や地球の歴史のことが解かるはずがない。
ただ、「解かったフリ」「できるフリ」はするものの、
そういう見栄や体裁、大義名分が先に立つ常識が、
自分達の生活や人生を雁字搦めにして、人々は日々、悩み苦しみながら生きている。
病気についても、経済の問題についても。
   
   
世間一般、「普通に男の子を産んで育てた」という息子を持つ母親の気持ちは、
その男の子をかつて出産したという経験のある女性にしか解からない。
稀に…戦争孤児として誰一人として身寄りもなく、
「結婚してからも子供に恵まれなかった」という女性が、その養子に、
やはり孤児である男の子、女の子を もらい受け、立派に育てあげたという人が、
どこのどんな家族よりも堅い絆で結ばれた家庭生活を送っている事実もあるけど、
男の子を産んで育てたという母親の、自分の息子を思う気持ちは、
産んで育てた経験のある女性でないと解からない。
俺も男として産まれたけど、女ではないので解からない。
それでもそれが、どういうことなのか、「少しでも理解したい」という暇がある人は、
漫画『ハイティーン・ブギ』の全巻でも読んでくれ。
あの中には、そういうことが大切にされ、見事に表現されている。
ローリング・ストーンズのような登場人物が出てきてしまう一部のパクリ(?)を除いては、
あの物語を描いた人(漫画家)も、天才だと思う。俺はな。
   
   
この世には、男と女しかいない。
そういう当たり前が当たり前ではなくなってきている時代、
単に趣味の領域や、食べていくために必要な手段(芸能・演劇など)は別として、
途中から自分の肉体を改造してしまうような人が
世の中には増えてきた。せっかく男で産まれてきたのに。
最近は、「性同一性障害」という言葉もあって、
その人達の人権も社会に認められる傾向…にはある。(若干。)
それでも、どうして、そういう人が実際に産まれ持った肉体は
男なのに、
その肉体に宿る精神、心の中で、“女性の部分”を強く感じてしまうのか? 
その事実の理由、原因を克明に説明できた者も今まではいなかった。
そもそも、それ(自分の中に強く女を感じる心境)を
他人である第三者が確信を持って理解できるる事実であるかどうかさえも、
認められないような、今まではそういう世の中だった。
「そんなバカな…」という感じで。
だから、そういう人を子に持つ親は、
「自分が何を間違えたのか?」
ということも考えてしまうほど、
親は子供について何も解からないし、
他人は絶対に他人のことを解かるものではない。(俺も含めてな
   
んで、 (…そう云いながらも、強行的に話を前に進めさせてもらう)
まず、そういう人達は、どこに問題があるのか…あったのか? 
幼い頃の本人達は、その一人一人が非常に悩んだ時期、思春期もあれば、
そういう性格(?)を材料にされ、様々に苛められたり、偏見、差別を受けて生きた人も多い。
それでも社会に出てから、あるいは、
最近のメディア等における情報伝達スピードの発達によって、
「自分だけじゃないんだぁ…」
と気づいて(決して悟ったわけではなく)、
そこからある日突然、開き直ったかのように、
女に成りすまそうとする人もいる。
実際、そういう友人知人が俺にも何人かいるし、(普通はいない
世の中には、一見、気が強そうで、それでいて女の魅力を全身から放出するような、
“893好きのする女”という女性もいるようだけど、
それとは反対に、なぜか俺は、
そういう人達(釜やゲイの類い)に好かれるタイプ…らしい。(まず、顔つきの第一印象 とかが…
  
俺は、チェット・ベイカーのような中性的なジャズ・ヴォーカルや、
ミック・ジャガーの巧みなファルセットで歌われるリズム&ブルースは好きだけど、 
「おまえは どう見ても男にしか見えないよ」という某起業の広告写真や、
オヤジ臭い感じのする厚化粧の、そういう御釜の人は、どうも好きになれない。 あら、スゴイ比較だわねぇ
それでも、それとは別に、たゆまない努力、研究を重ねたわけでもないんだろうけど、
持って生まれた天性(?)のように、
その、普通のオンナ以上に しなやかな手つきでグラスを運んでいる姿とか、
側に寄った男性(俺じゃない)がムラムラとしてしまうような人は、
まぁ許せる。
仕方ない。もう、この世に存在してしまっているんだから、
そういう人がソープランドで真面目に働く人生もあっていいじゃないか。
…改造人間として。
   
んで、事実は事実として書いている俺のサイトも、
どこまでが事実で本当のことなのかを疑問に思う人もいるかも知れないけど。
ゴメンナサイ。ほとんどは事実で、現実社会に在ることなんです。
すべて、俺がこの眼で実際に視て訊いて確かめた内容に基づいて書いている。
(…残念ながら、そういうお店は利用したことがないけど、そこで働く人を知ってるので…)
それでも、世の中にはまだ、俺が知らないこともいっぱいあるので、
その方が多いので、
今後は、このサイトで色々な人と交流してゆく中で、
様々なことを初体験したい…とも思ってはいる。一応な。
   
んで、話を “下駄が外れた”所から元に戻して、 
(「下駄を外す」:かつての国鉄職員用語の一つ。
最近また、その手の夢をハッキリと視てしまった。
佐渡には鉄道がないけど、都会のみなさん、ご注意!)
自分の心の中に、どうしても女を感じてしまう人が存在する事実は、
やはり、お母さんのお腹の中にいた時の状態に問題がある。
人間が、先天性で魂が異常だとか、先天性で心に障害があるということは、
本来は決してない…あってはならないことなんだけど、
ここ数十年の間、そういうことまでもが増えてきてしまった傾向にある。
なにによってか? 
無論、先に述べた戦後教育による弊害や、
ほかのページでも様々な解釈で書いてきた、
本来の人間には必要以上の教育、
それがつくりあげた社会常識による公害被害の諸々…
の問題を言及すると、また長くなるし、切りもないけど、
具体的には、その胎児が母体に存在する前、
受胎の瞬間に・・・・・問題があった。
   
父親と母親の先祖霊というモノは、本来は決して偏ることはなく、
バランスよく配列されて、一人、人の中に魂としてある。
その魂、心というものが、朝昼晩にコロコロコロコロ変わる理由には、
その肉体を支配して動かすために入れられた魂の構成が、
通常は、過去に生きた“5千人分”という取り決めがある。自然界の道理として。
…という、一説ではなく、事実がある。
それでも、このことは実際に誰の目に見えることでもないし、
これまでの教育や、どこの宗教思想の中にも出てはこなかったことなので、
「解かりにくい」というより、全然サッパリ解からないことかも知れないけど、
専門家以外の一般の人が、パソコンの中のICチップの配列や、その構造が解からないように、
ある特定の者以外には解からないようになっている。
実は、俺にも解からない。
ただ、それをよく知る人に、基本的な物の道理として見せられてきたので、
ある程度までは話を進められる。
…ひとつ、断っておくけど、『ユングの集合無意識』とかのアホな話は絶対に思い浮かべないでくれ。
ああゆう『推測の嘘』も、精神世界全般の暇な連中も、
今はもう世の中に害を及ぼす傾向にはあっても、
これからの時代を生きる人間にとっては役に立たない。
俺が書いていることは学問ではない。
   
無論、自分の中にあるモノ(親の代のずっと前の先祖から受け継いだ魂)が、
過去において、どこでどうして何をして、どのような形で生きて死んだのか…。
そういうことは、現実に生きている人間には絶対に解かってはならないこととされている。
そんなことが解かってしまうと、仇同士も透けて視えてしまうかも知れないし、
かつて憎しみあった仲が蘇ってしまうかも知れない。
だから、今生においては、絶対にそれが解からないようになっているし、
5000という数で構成される一般的な人の魂の中には、
男もいれば女もいて、それはそれなりに、ある一定の修行をへて、
この世で再びまた、人間の肉体を持って存在できるように、
透明度をもって(…クリーンな状態にされて)、
一人一人の人間のという肉体の容器の中に入れられてある。
だから、それぞれが持って生まれた能力は違うし、
決して、誰も彼もが同一なわけではない。
クローンというモノは、本来は自然界に存在しないし、
そんな“物”は生かされない。決まりから外れているので。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10002652176.html
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10002853744.html
   
んで、
男も女も、人間の持って生まれた能力が一人一人ちがう事実は、
自分が生きて、生かされてゆく上において、社会の中で、家庭の中で、
非常に重要な役割を持っている。
それがどんなに勝手きままな性格であろうと、
本来は、何の用もなく産まれた人はいない。
だから、自分の側にいる人が、たとえ ゴキブリ以下に思えたとしても、
その、思った人も思われた人も、それだけで終わってしまうのではなく、
どうしてそう思ったのか? 
何がそのように思わせたのか? 
自分自身が自分に訊いて尋ねるように考えてみる余裕を持ってみてもいい。
まず、ハッキリとして判る事実は、自分と他人がまったく別、違う存在なんだってことが分かる。
そしてその相手を認める以前に、
自分自身というものが何なのか? 
何をするために この世に存在して生きて生かされているのか?
どうしても解らない人は、豆腐の角に頭をぶつけて死んでみればいい。
少しは自分以外の存在の有り難味に気づくことができる…かも知れない。
   
さて、そういう人間(?)の心、魂ということについては、
実際には、肉体が健康であればあるほど、意識もしないし考えることはない。
健康な人に、そんな必要はないし、そんな話に付き合うほど暇でははない。
だからここで、自分には関係ないと思える人なら、
俺のサイトに書かれていることは読まなくてもいい。
有意義に、何不自由なく、五体満足で、その人生をまっとうできるなら、
自分自身の中身が何なのかなんて考える必要はないんだ。
そういう意味では、本来、町の精神科の藪医者も、
嘘 800 ~1,200 を並べ立てるカウンセラーという職業や水子寺も、
世の中には必要ない。
ところが、人々が悩み苦しむその心が、肉体に問題あることや、
人が自分の心に抱える問題が、あまりにも肉体に影響するために、
もう何百年、何千年という以前から、人間はみんなが心身症のような状態。
そしてそれを餌にするように、様々な宗教宗派の思想や占い、易や八卦も流行り、
科学も経済も、医療も教育も、それを解消するための努力を重ねてはきた。
でも、だいぶ道を外れてしまって今日に至る。
   
かつて、いつの時代までだったのか、日本人と、
アメリカやオーストラリア大陸にいた先住民の人達は、と
そういうところにはなるべく嵌らないように生きてこられた。
別に、アボリジニーやネイティブ・アメリカンとかイヌイットの人達とか、
その3者に限定するわけではないけど、
16世紀頃までは、世界中の至るところで、
自然界と人間の営みがバランスがよかった…という意味で、
地球という人類の“容れ物”の使われ方も、今よりは少しマトモだった…はず。
ところが、最近(?)は、
戦も略奪も好き勝手放題で、経済や科学の発達や開発も
本来の人類の発展とは逆方向に進んでいる。ほとんど全部が。
そんな中で、地上に降る雨や雪の激しさの異常は、かつてないほどになってきたし、
本来は限定されていた人間の生息場所も、生活しにくい状態になって来てる。世界中で。
   
これは、全人類の地球そのものの使い方の問題で、
そのことを学者や学識高い人が、どんなに環境保全・保護を唱えても、
しばらくは治まるものではない。
地震も、異常気象も、大気変動も、山火事も、墜落・脱線事故災害も・・・・。
どこもかしこも、ゴミはゴミで一掃しなくちゃならないような状態なんだけど、
そんことが各地で繰り広げられる中に、人間が、正常に、
平穏無事に生きていられるわけがない。
   
「いや、昔とはそんなに変わってはいないよ」
という意見を平気で吐くような学者アタマの人もいるけど、
それはそれで特殊異常神経のようなもんで、ノーマルな人間とは思えない。俺はな。
どこに、何も変わらず変貌も遂げずに住みやすい場所、
生きて生かされ暮らしやすい場所があるのか? 
どんなにカネを積んだとしても、
自分の周りで起こるべくして勃る自然界の変化を喰い止められる者はいない。
   
だから一個人、オカマや鍋のフタがどうあろうとも、
それはそれで“時代の清算”のひとつだ。
本来の男か女かハッキリとした区別が判らなくなるほど、
学問の知識や教育の思想は人類を破壊してきた。
   
そういう意味で、あの人達は、ここ何百年かにわたる人類の犯した罪の犠牲者なわけ。
本人達の中にも、既にそのことに気づいている人もいる。
   
どうして自分の肉体とは別に、自分の心の中に偏りがあるのか? 
   
とくに男が女っぽい場合は、その肉体に“変異の類似点”がある。
まずは声。
人間は、それぞれに特徴があるはずの声も、
女の人の悲鳴というものは似たり寄ったりで、それはそれでまた意味のあることなんだけど、
いわゆるオカマの人の声も、男なのに、みんな似ている。
変異の類似、奇形の類似。
それはどういうことなのか。
声というのは、人間の魂の・・・・
   
   
   
いやぁ、これ以上 書き進めると問題あるかも知れない。
書く先がかなり視えてしまって、自分では対処できない問題に繋がる。
決して社会的な面での差別的な内容ではなく、
今後この世に生きていられるかどうかの話になっちまう。
読む人にとっては中途半端で疑問が残るかもしれないけど、
人間の中に入っている事実の問題は、あまり洗い出さない方がいいかも知れない。
そうでなくても、俺のサイトはヤバイ。
   
あまり無責任にならないように最後に付け加えておくけど・・・・
   
目に見える範囲、開いてみて判る範囲で、
出来てしまった結果の肉体の奇形や身体の異常については、
見えるから、判りやすいし、なんとか対応のしようもあって、
世の中に法律があり、保護があり、補助金があり、募金や運動もあり、
そういう人達の生活が成り立っていくようにして、考えているか知れない。
ところが、
肉体を支配する精神、心、魂の異常変異は、
見えないし、判りにくいために、本人たちでないと、
それがどういうことなのかさえ、
通常のハッキリと区別ある男の人や女の人には理解できないことだ。
それでも、事実は事実として、本人たちの中に、普通の男女とは異質なモノがある。
たとえばそれは、同性愛者とも別だ。あれはあれで別のヘン・・・・。
これも問題あるな。これ以上はヤバイ。
   
んで、逃げ道は、世間の結婚できない女性のように幾つもあったわけじゃないんだけど、
肉体の中の目に見えない変異は、自分で治しようもない。
形づくられる以前に問題があったために…。
でもそれは肉親が悪いわけではない。
かといって、その特質を世間に対する恨み辛みで終わらせることもない。
実際にそういう特質を生かして立派に働いている人もいる。
女性よりも女性らしく。
だから、世間の目立たない所へ隠れる必要もない。
むしろ堂々と、
「オレは、おまえたち普通の人間に、
明日の人類子孫繁栄の崩壊が見えるように存在しているんだ!」
といわんばかりに、とことん、やれるとこまでやってみりゃぁいい。
それは決して、開き直りではない。
生存の権利…というか、(そんな権利もないはずなんだけど)
既に存在して生きてしまっている以上は、勝手に死ぬわけにもいかない。
今のまま自分と闘いつづけて生きるしかない。
次の時代に生き残ることは気にせずにな。