カイユボット「バルコニーからの眺め」
この背中は何を語っているのか。
この絵はバルコニーの窓辺に立ち
背を見せている女性と、椅子に座る男性を描いた
「バルコニーからの眺め、(室内-窓辺の女性)」
である。
この黒い背中が気になるのだ。
この場面の少し前に、
二人はテーブルに向かい合い、何を話したのか。
男性の行動に女性が説明を求め、
詰め寄ったのか、
男性は痛いところを突かれながらも、
のらりくらりと言い訳をしたのか。
部屋の空気はさぞかし暗く冷たかったことだろう。
男性は新聞に目をやり、
俺は何も知らない、と言わんばかりに、
平静を保とうとしている。
女性は許さない、と言って、
唇をかみしめているのかもしれない。
とても重苦しい雰囲気が漂っている。
この私の解釈は、
大きく外れてはいないような気がするが、
どうだろう。
見たところ、とても豪華な住まいのようだ、
きっと裕福な環境にある二人だと推測できる。
しかし、このようなことは珍しいことではない。
長年、連れ添った夫婦の間にも、
恋人同士の間にも、
起こりうることだ。
こんな、誰もが経験したことがあるような、
日常の一コマが描かれている、
この絵がグッと身近に感じられた。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
この二人の和解をひたすら祈るのみ・・・・・。
ピサロ「羊飼いの娘(小枝を持つ少女)」
ピサロは農民の暮らしを
とても大切に考えていたようだ。
今回、取り上げるのは
「羊飼いの娘(小枝を持つ少女、座る農家の娘)」
である。
この娘は何歳ぐらいなのだろう・・・・・
20歳は過ぎていない、
まだ幼なさが残っているようで、
10代ぐらいかもしれない。
何十頭もの羊の群れを
こんな幼さの残る娘が誘導するなんて・・・・・
持っている小枝はその時に使うものか。
その仕事はこの娘にとって
かなりの重労働なのかもしれない。
そんな作業の合間のひと休みか。
小枝をいじりながら休んでいる。
それにしても、
この草むらと娘の姿が溶け合って
一つになっているところが落ちつきを感じさせる。
娘の着ている紺色の上着と青いスカートも、
何とも言えない深い味わいをだしている。
そして周りの森や雑草などに溶け込んでる。
また、頭にかぶった赤い帽子と、赤い靴下が、
周りの青い色彩に対して目を引き、
大きなアクセントになっている。
とてもいいセンスだ!!
そして、ピサロが描く人物には優しさが溢れている。
これはピサロの人柄がそうさせるのだろう。
蛇足だが、
印象派の画家達の中でもかなり年長者のピサロは、
温厚な人柄だったようで、
画家仲間の誰からも好かれていたらしい。
なるほど、うなずける。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
この緑いっぱいの静かな農村へ・・・・・。
ピサロ「林檎採り、エラニーにて」
今回もまた、点描画を取り上げる。
どうやら私は点描画に取り憑かれてしまったようだ。
どこがそんなに良いのだろう・・・・・
今回はカミーユ・ピサロの
「林檎採り、エラニーにて」である。
エラニーはパリの近くの小さな村のようだ。
ピサロはこの地が気に入り、
果樹園や牧場、農民の暮らしなど、
牧歌的な田園風景を描き、
人生を閉じるまで、20年ほどここで過ごした。
この絵を観ていると、
のどかな風景が点描によってさらに
大きく広がりを感じさせてくれる。
畑の真ん中にある林檎の木には
良く見ると、実がたくさん生っているようだ。
この家の主人が長い棒のようなもので、
実を落としていて、
2人の女性が、それを拾っている。
その近くには、奥さんらしき人が
その様子を眺めている。
鮮やかに色づいた地面は
敷きつめられた絨毯のように拡がっている。
そして、籠の中は
林檎でいっぱいになっている。
収穫の秋とは、
こんなにも人の心を豊かにするものか。
ここは急速にすすめられたパリの近代化を
シャッタアウトするかのような別世界だ。
ピサロの
“自然豊かで穏やかな田園風景と、
そこに住む人々の素朴な暮らしを大切にしたい“
という気持ちが伝わってくる。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
この秋いっぱいの別世界へ・・・・・。
スーラ「オンフルール港の入り口」
フランス・ノルマンディー地方にあるオンフルールは、
中世ヨーロッパの木造建築が立ち並ぶ
古い港町である。
最近は、
パリから日帰りで行ける観光地として、
日本人旅行者も訪れるようになったぐらいだ。
その風情のせいか、
たくさんの印象派の画家も訪れていたようだ。
ジョルジュ・スーラもその一人である。
その時に描いたのが、
この「オンフルール港の入り口」である。
スーラと言えば点描だが、
今回は風景画である。
港の入り口だけあって、
黒い煙を吐いた貨物船や
白い帆を張った帆船などが何艘か行き来している。
奥に見えるのは灯台のようだ。
海面には白い灯台やポールの影が映り、
海の静けさと明るい日の光を感じさせる。
それにしても、なんと柔らかく優しい絵なのだろう。
線ではなく、点だけで描く、
この一枚にどれだけの時間を要したことか。
この点の集まりが、
これだけの表情を表現しているなんて。
点描による技法がそう感じさせるのかもしれないが、
全てを包みこむような
この空の広さと、海のやさしさに癒される。
スーラもきっとこの優しい自然を求めて
この地に滞在していたのだろう。
私も訪れてみたい。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
この心やすまるオンフルールの港町へ・・・・・。
スーラ「化粧する若い女」
この絵の描き方は点描という描き方のようだ。
ジョルジュ・スーラは新印象派の創始者で、
この様に点描を用い、新たな表現を確立していった。
彼の作品は風景画が多いが、
肖像画はこれ一枚で、とても貴重なものだ。
更に注目すべきは
30歳ごろに出会った恋人を描いている。
それがこの
「化粧する若い女(白粉をはたく若い女)」である。
恋人の名はマドレーヌ・ノブロック。
化粧台の前で、パフをはたいている。
愛する人のための化粧は丁寧に心を込めて、
そして華やぐ気持ちを静めながら・・・・・
彼女の表情から、そんな心境が伝わってくるようだ。
洋服もまた、ドキッとするほど大胆で、
恋する女性の嬉しさのあらわれだろうか。
そして、彼女が右手に持ったパフの周りには、
白い渦が・・・・・
彼女のスカートにも淡いピンクの渦が・・・・・
これらの渦はいったい何を表現したのだろう。
それは、はちきれんばかりの若さと、
躍動感そのものではないだろうか。
画面全体が柔らかいブルーとピンクで
丸く包まれている。
まさに幸せオーラいっぱいの絵だ。
これこそ点描という表現方法ならではのものだ。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
この幸せで満たされた部屋へ・・・・・。
ゴーギャン「三匹の子犬のいる静物」
なんて可愛い子犬なのだろう。
中央にあるのは鍋のようだが、
仲良くミルクを飲んでいる。
この絵を描いたのはポール・ゴーギャン。
あのたくましいタヒチの女性を描き続けた
ゴーギャンが、こんな可愛らしい絵を描くなんて・・・
嬉しい発見だ。
この絵は「三匹の子犬のいる静物」である。
これは床ではなく大きなテーブルのようだ。
上には柄が入った薄いピンクのクロスが
掛けられている。
このピンクのクロスが、
この可愛らしい絵を
さらに明るく優しく包んでいる。
先ず目を引くのは、この三つずつの塊だ、
鍋に首を突っ込む三匹の子犬、
その前の三個の青いグラス、その横の果物、
そして手前の布の上に置かれた三個の果物。
これらが画面の中に、うまい具合に配置されていて、
心地よいリズムを作っている。
三、三、三 と。
また、この絵を観ていると、
日本の版画?
を感じさせる部分もある。
子犬、グラスや果物などが
くっきりとした黒い輪郭に囲まれていて、
日本の版画を感じさせる。
心地よい理由は、
そんなところにもあるのかもしれない。
何度も言うようだが、
あのゴーギャンが描いたとは思えないぐらいだ。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
この可愛い食卓に参加してみたい・・・・・。
ゴーギャン「四人のブルターニュの女の踊り」
四人の女性が腰に手をあて、踊っている。
ここはブルターニュ。
当時、ブルターニュといえば
フランス人が住みたい場所の
上位に挙げられ、避暑地となっていた。
この絵はゴーギャンが、民族衣装に身を包んだ
ブルターニュの女性達を描いた、
「四人のブルターニュの女の踊り」である。
この地方のポン・タヴェン村の農婦のようだが、
農作業の合間に踊って楽しんでいるのか。
この踊りはポン・タヴェン祭に踊られ、
頭には白い頭巾を冠り、
上半身は白と黒の民族衣装を着けて、
円陣を組んで踊るようだ。
これはその練習なのかもしれない。
この若い女性たちは
日常の野良着の上に、
それぞれの好みのスカートをはいている。
女性たちはとてもたくましく、
いかにもゴーギャンが描く女性のようで、
安心感さえ覚えてしまう。
ここは、パリの洗練された都会ではない、
自然がいっぱいで花が咲き、鳥がさえずり、
地味だが地に足が着いた確かな生活がある。
そして、この女性たちの
優しさと心の豊かさが伝わってくる絵だ。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
このポン・タヴェン村の民族踊りの輪の中に・・・・・
セザンヌ「石膏のキューピッド像のある静物」
ポール・セザンヌは石膏の像を使って
面白い描き方をしている。
この絵は石膏の像を描いた
「石膏のキューピッド像のある静物」である。
さて、なんてバランスの悪い絵なのだろう。
白いキューピッドの像は
体をひねり、立っている。
その姿は丸みを帯び、ロココ的な感じで、
優雅さ?
と、
艶っぽさ?
を備えているかのようだ。
片方の足はどうなっているのか。
とても不安定な感じだ。
遠くの方にはリンゴが転がり、
でも、それは床なのか、壁なのか・・・・
そして、近くの赤や緑のリンゴと
遠くの緑色っぽいリンゴの大きさは、
さほど変わらない。
遠くにあっても、近くにあっても
大きさは変わらないのだ。
そして、リンゴの赤や,緑、黄色の色にも、
何か意味があるのだろうか?
セザンヌはいったいどの場所から、
この絵を描いているのだろう。
今にも、全部が崩れてしまいそうな、この絵を。
こんなにも、観る者を悩ませ、苦しめる絵を描いた
セザンヌに問うてみたい。
何の目的でこんな絵を描くのでしょうか?
決して嫌いな絵ではないけれども。
また、他の画家たちは、この絵を観てどう感じたのか?
そんなことも、聞いてみたい。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
このバランスの悪い、この絵の中に・・・・・
セザンヌ「カード遊びをする人たち」
後期印象派のポール・セザンヌは
風景画、静物画、人物画などを描き、
時には同じテーマを繰り返して描いていた。
この絵は「カード遊びをする人たち」 で、
1890年から95年にかけ5枚制作していて、
南仏エクス・アン・プロヴァンスにある
薄暗い酒場のようだ。
二人の男がトランプ遊びをしている。
この二人の関係は、ここで出会った客同士なのか、
友人なのか・・・・・
そんなに若い二人ではないが。
さて、この絵を眺めていると気になるところがある。
それは、全体的に左の方に傾いて、
沈んでいるように見えるのだ。
テーブルのライン、上にかけられたクロス、
テーブルの上のボトル、正面の黒い柱などなど、
線で描かれたものは、全て左に傾いている。
これは何かを狙って
意識的に、そう描いたのか・・・・・
それとも、偶然か。
他には何かないかと探してみると、
向かい合った二人の男の腕は、
アルファベットの文字のようにも見えてくる。
動きのないただの静物画ではつまらなかったのか、
セザンヌはこの絵を観る人が、
それらを、どれだけ気付いてくれるのか?
そんなことも秘かに楽しみながら
描いたのかもしれない。
セザンヌ、なかなかやる人だ。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
この酒場の傾いたテーブルでカード遊びを・・・・・
ドガ「オペラ座のオーケストラ」
ドガといえば「踊り子」だが、
この絵は踊り子が上部 三分の一に、
残りはオーケストラが描かれている。
そのオペラ座の管弦楽団を描いた
ドガの「オペラ座のオーケストラ」である。
ドガにはやっぱり「踊り子」がついてまわるのか。
舞台は、パリの有名な歌劇場のひとつ、
パリ・オペラ座。
この演奏家たちの中には
ドガの友人が何人かいる様だが、
ドガは彼らをよりリアルに描きたかったのかもしれない。
まるで肖像画を描くように。
そしてこの様に、
やや斜めの方向から描かれているので、
演奏家たちの表情が生々しく良く分かる。
頬のふくらみ、指の動き、首の傾き、視線、などなど。
この様に、一生懸命に演奏している
友人たちの姿を描いたのは、
ドガの温かい友情の表れだろう。
観ている我々も引き込まれる。
まるで、その場に居合わせているかのように。
上部には明るく華やかな踊り子たち、
下には黒服の演奏家たちの姿。
この思い切った構図が斬新で面白い。
今晩の
「ひとりぼっちのウォークマンの」の旅は、
この有名なパリ・オペラ座へ・・・・・









