しあわせ中国: 盛世2013年/新潮社
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アメリカのフォーク歌手ボブ・ディランは、『Political World』(アルバム『OH MERCY』に収録)という曲の中で「We live in a political world(我々は政治の世界に生きている)」と歌っています。このことを否定することはおそらく不可能でしょう。“政治”の射程範囲は極めて広く、人間の生活にかかるほとんど全てのものを覆っていますからです。
悲しいことに、我が愛する文学も例外ではありません。
例えば、フランスの小説家ゴーチェのように「芸術のための芸術」を叫ぼうとも、出来上がった文学作品は全て政治的であり、イデオロギー的です。たとえ文学作品の中に政治的な言及がなくともそうなのです。
例えば、日本語で書かれた小説は、日本語で書かれたというだけで、日本という国家や歴史から自由ではありません。小説家が海外に住んでいたとしても、外国人であったとしてもです。
また、ある出来事や人物が書かれたということが政治的であり、書かれなかったことも政治的です。例えば、日本を舞台にした小説で外国人が登場したら政治的ですし、外国人が登場しなかったら、それはそれで政治的です。
世の中、政治、政治、政治、政治、政治、また政治です。ほとほとウンザリしますが、それが真実です。
このような視座に立つとすれば、文学から政治的、イデオロギー的なものを抜き出すことを目的とした批評(フェミニズム批評、ポストコロニアル批評、マルクス批評など)や、特定の政治体制やイデオロギーを賛美または非難するために書かれた作品(プロレタリア文学など)も、文学の政治性を真っ向から引き受けているという意味では、評価できるでしょう。
しかし、文学は政治の謂いでも、政治の奴隷でもありません。文学は政治から完全に逃れることはできませんが、政治を超越したものを表現することもできるものです。
上記の批評や作品は、政治性を受け入れてはいますが、政治を超越したものを拒絶または無視しています。それは、政治性を拒絶または無視することと比べて、優れているといえるでしょうか?
僕個人の意見を言えば、政治を超越したものにこそ、文学の価値があると思っていますし、政治的な物事に終始する批評や作品は、はっきり言って嫌いです。しかし、だからといって、文学の政治性から逃げるわけにもいきません。
というわけで、そんな作品にも飛び込んでみようとして選んだのが、本書『しあわせ中国: 盛世2013年』です。
本書は、明らかに中国共産党の批判を主眼に置いた小説。2008年のリーマンショック後、各国が経済的低迷に喘ぐなか、中国だけが独り勝ちを収めることとなった世界を描いた歴史改変モノです。
時は2013年、中国は今や盛世を極め、北京の街は幸福を感じて生きる人々であふれていた。香港出身の作家陳もその例にもれず、何の疑問を持たず北京で暮らしていた。
しかし、中国の現状に疑問を持つごく少数の人間が存在していた。彼らは人々があまりに幸福感を感じ過ぎていることに気づいていたのだ。
以前存在していた不満や不安はどこに消えたのか? どうも、その謎は消えた1ヶ月にあるらしい。実際には、2008年のリーマンショック後世界経済が「氷河期」に入ってから、中国政府が盛世を宣言するまでには1ヶ月のずれがあった。しかし、人々の記憶の中では、「氷河期」と同時に盛世になっていたのであった・・・
そんな中、陳はかつての友人であり、好きだったこともあった韋希紅に再会するが、韋希紅は、現状に疑問を持つごく少数の人間の中の一人であった・・・
エンタータイメント性(ミステリー性)もあって、意外と読ませる小説ではありますが、説明調なところが多かったり、登場人物たちがステレオタイプ的だったりと、どうしても熱中できないところがありますね。
やっぱり僕にこの手の小説は苦手ですね(笑)。でも、まあ、中国批判という目的はこなしていますので、興味ある方は読んでみてください。そして感想をお聞かせしてくれれば、嬉しいです。
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