内田也子のブログ

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細々と読書を続けていましたが、いつの間にか映画の忘備録のようになりました。

久々ドラマ「Tシャツが乾くまで」を見た私は、そのドラマの古本屋のシーンを思い出し、三島由紀夫でも読んでみようかな〜と思いました。(図書館に予約している本は順番が来ないし、三島の小説は薄いしね)


昔は「金閣寺」「仮面の告白」「潮騒」「首飾り」(短編)あたりは読んだと思います。


この本の裏表紙には

こういう夫人に愛された

男こそ仕合わせである。


1957年、「よろめき」という流行語を生み、

社会現象となった不倫小説。

と、書かれてありました。


上流階級の躾の良い家庭に育った28歳の節子は、親の決めた男と結婚し子どももいたが、婚前に夫以外の男と唯一度交わした接吻を忘れられずにいた‥‥。


姦通という背徳を犯しても、汚れることを知らない聖女・節子の不倫の辿り着く先は。




「美徳のよろめき」


著 三島由紀夫〈新潮文庫〉

昭和35年 P195


三島文学を「三島の美学」なんて言ったりするようですが、この小説は著者の願望じゃないかと私は思いました。


本文より

節子はもう少しで彼女を苦しめそうなところへ来ている目前の男の顔をつくづく眺めた。その引きしまった顔つき、その暗い目、髪の若々しい艶を節子は好いていた。(略)

わけても土屋は、節子の恋の条件をなす、不得要領な異性の性質を持っていた。彼は大変純潔で、そして狡そうに見えた。彼が初心らしく口ごもって、内心何かを企んでいるように見えるとき、いつも節子は、危うくその企らみをも愛してしまいそうになる。それから又、節子は彼の不機嫌な顔が好きだった。投げやりな話しぶり、急に上品になったり急にぞんざいになったりする話し方が好きだった。


も〜〜退屈なマダムのイカれポンチじゃないですか、、


いえ、人妻と言えどもタイプの異性に惹かれるのは致し方ないと思いますよ。いつまでも乙女のように異性に恋焦がれる気持ちを持ち続けられるなんて、羨ましくさえあります。


しかしですね、節子には経済的な生活感がまるで無いのです。家には女中さんが居て、息子は手がかからず、夫は仕事で帰宅が遅く、家に居てもすぐに眠ってしまう都合の良さ。笑


妻がどんなに若い男性にやきもきしていようが夫は全く気づきません。節子はデートのためにシーズンごとに数着洋服を新調し(当時は仕立て)旅行と外泊の口実を友人と口裏を合わせ、、


それでも、三島文学では節子の精神は美徳なのです。自分の心のままに突き進む潔さはそうなのかも知れませんが。


高度経済成長期へ向かう日本の憧れだったのでしょうか?



そう言えば、今朝のテレビ番組で「恋愛キャンセル」(恋愛より自分優先)の日本の若者たちの恋愛事情を特集していました。


昔バブルの頃は「三高」が求められたようですが、今は「三安」が求められているとか?

安全、安定、安心

ま〜、自然災害多いですからね。


それにしても、若者の恋愛、結婚離れは

ちょっと寂しい気がしますが、

それも個人の自由なのでしょうね。


もう、不倫をどうのと言う気もない自分に気づきました。



襲名とは、一人の俳優が新たな名を名乗る儀式ではない。

「襲」とは、重ねるという意味を持つ。

つまり、襲名は、先人より受け継いだ芸の命に自らの芸を重ね、一つの名に新たな命を吹き込みながら、歌舞伎という日本の至宝を未来へと手渡していく営みにほかならない。

(映画「襲名」PFより)




「襲名」


監督 三池崇史

祝幕 村上 隆

2026年 97分


(「襲名」PFより)

歌舞伎の源流は、戦国時代末期から江戸時代初期に遡る。当時、派手で奇抜な身なりの男たちがアウトローな振る舞いをすることが一種の社会現象となり、彼らは「傾く(かぶく)という言葉から「傾奇者」と呼ばれた。(略)


音楽、舞踊、芝居が一体となった総合芸術として花開いた「歌舞伎」の歴史の中で、ひときわ鮮烈な光を放ったのが初代市川團十郎。(略)

その人気は絶大で、人々は團十郎を、特別な力を持つ存在と捉えた。

やがて團十郎の名称は、神格化された特別な名として定着したのである。


(「襲名」チラシより抜粋)

本作は、「十三代目市川團十郎白猿」と「八代目市川新之助」の親子同時襲名披露を正面から捉えた、三池崇史監督初のドキュメンタリー映画。

コロナ禍による約2年半の延期を乗り越え実現した歴史的瞬間の舞台裏を記録し、名跡を継ぐ者としての責任、父として子へ芸をつなぐ想い、次世代を担う新之助が、受け継がれた歌舞伎とともに未来へ踏み出す姿を映し出す。


さらに、襲名披露公演の祝幕を手がけた世界的アーティスト・村上隆による創作の過程も記録。




映画「国宝」で、敷居が高かった歌舞伎に触れる事が出来ましたが、さらにこの「襲名」はドキュメンタリー映画だけあって、幼い頃からその世襲に身を置かざるを得ない團十郎と新之助の舞台裏を覗いたような臨場感がありました。


バイオレンス色が強い作品の印象がある三池崇史監督ですが、感動を観客に押し付けない演出は、その壮絶な世襲を感じずにはいられず、胸に詰まるものがありました。


代々受け継がれてきた、歌舞伎十八番。

その舞台の美しさは圧巻でした。


次代を担う新之助の「ういろう売り」

その無垢な姿と賢さにはうるうるしてしまいました。



日本の伝統、笛、鼓、お囃子

ゲタの音、桜吹雪、


日本の美をしみじみと感じました。

今年の5月、城跡巡りサークルの一泊例会が「岐阜城」「大垣城」「苗木城」「岩村城」巡りでした。


私は一泊例会には参加していませんが、サークルメンバーのお姉様方数人が、もう一泊を計画して「関ヶ原」へも行って来たというのです。


今は「関ヶ原」も観光化され、歴史ファンは様々な楽しみ方が出来るようです。


メンバーのお姉様方の旅の話を伺って、私は何となく6月には図書館で見つけたこの「篝火」を借りていました。(それから、返却したり再度借りで今に至りました)


「関ヶ原の戦い」を描いた作品は沢山あるようですが、本書は石田三成と西軍諸将たちを主に描いています。




「篝火」


著 尾崎士郎〈六興出版〉

1982年 P217


天下の分け目「関ヶ原の戦い」の結果はご存知の通り、豊臣秀吉亡き後の天下取りで東軍•徳川家康の勝利で戦国時代がのちに幕を下ろす。


西軍•石田三成側の敗因は、様々な理由が研究されているけれど、敗北は「武運が無かった」で語られたりもする。


西軍(と思っていた)小早川秀秋の裏切りや、毛利軍の傍観、島津軍も動かず、実質的な兵が機能しない関ヶ原の戦場。

豊臣政権の官僚で実務や検地をしていた三成には敵が多かった。確実に勝利する確証が持てなかった一発勝負で、各武将たちは戦況を伺っていた。後から語られる「たら、れば」は数限りなくあるようだ。


この「篝火」では、三成の複雑な心情や本心を探る楽しさ、戦場の緊迫感や情景描写が描かれている。


かつて中央公論社の取材特派員として、海外の紛争にも触れている著者が、何度も関ヶ原へ足を運び「石田三成」の構想を練ったという。


作家として、様々な史実や遺留品をもとに場面を想像出来るのだと思うけれど、三成や武将たちが交わした会話や態度は、この物語のようだったのか?


いつの日か、自分ももう少し歴史に触れて、また別の角度から関ヶ原を読んでみたい。