「桐の花」「哀傷篇」「哀傷篇]の十三  白秋の道連れ入獄 | 現代短歌とともに

「桐の花」「哀傷篇」「哀傷篇]の十三  白秋の道連れ入獄

「桐の花」「哀傷篇」「哀傷篇]の十三
「四」の第一首詞書付
監房の第一夜
第三六十八首
この心いよよはだかとなりにけり涙ながるる涙ながるる

 当歌、「監房の第一夜」の思い。寝静まった夜、しみじみと過去の思ひでと父母への懺悔、俊子への哀惜だろう。
 白秋らしく、平かなで「是の心」と「子の心」を掛けている。詠嘆の「けり」で三句切れ。末二句がリフレインの叙情詩。

「是の心」とは、
ぜしん‐ぜぶつ【是心是仏】
1 人間の日常の心は絶対の理法をあらわす心でもあるから、仏そのものである、ということ。

2 仏の観想を成就した心はそのまま仏と一つである、ということ。

「子の心」とは、子の心親知らず

親は子供の真意を汲み取れない、という意味で用いられる言い回し。「親の心子知らず」をもじった言い方といえる。「親は子をいつまでも子どもであると思いがちだが、子は子なりに毎日成長し、様々なことを考えており、成長しているものだ」というような趣旨を込めて用いられることが多い。
白秋も十分、精神的には成長したが、入獄で心労を懸ける哀しみだろう。

いよよ、一字の「愈」、
[副]《「いよいよ」の音変化》ますます。いっそう。

「昔見し象(きさ)の小川を今見ればいよよさやけくなりにけるかも」〈万・三一六〉

はだか、白秋の心に隠すものが無くなった、「悪の華」からの脱却だろう、参考記事。
北原白秋「小学唱歌々詞批判」『芸術自由教育』(大正10年)より一部引用

児童の自然の叫びは尊い。凡て詩であり音楽である。

「はだかのもうもう(牛)がゐるよ。」これはまだ四歳になるかならぬ或る男の子の片言かたことである。然しこれはその子の立派な詩であって、その他の何でもない。この詩の中にはすぐれた驚異と愛と哀憐とがある。表現も自由で、真率そのものである、詩としての韻律も自然に整ってゐる。これは一例であるが、凡て児童はその三つ児の時代より常住坐臥に詩を歌ってゐるのだ。これは彼等そのものが詩そのものだからである。児童の無心に喜戯する傍にゐて、仔細に誰でもが静かに耳を傾けてゐたならば、それこそどんなに傑れた歌謡が彼等の口を突いて出て来るか、思半ばに過ぎるであらう。

涙ながるる、言葉は変えてあるが、本歌は西行の歌、参考記事。

「京都神社庁」
神社を知る 第1回  「神社を知る」
私たちの周りには至る所に神社があります。神社には様々な神さまが祀られていて、神社ごとに祀られている神さまが違います。
普段は無人の神社でも、一年に一度はその地域の人々が集まって必ずお祭りがおこなわれ、お正月にはその地域の人々が神社に詣でて手を合わせます。でも、そこにどんな神さまが祀られているのか、その地域の人でも知っている人はそんなに多くはないでしょう。「どんな神さま」かは知らなくても手を合わせます。それにこだわる人も少ないでしょう。
一神教(神はあらゆる力を具えた全知全能の神・一神の存在しか認めない宗教)の信仰者からみれば「日本人の宗教心は何といい加減な」と思うでしょうが、日本人にとってはそれがおかしなことでも何でもない、ごくごく当り前のことになっています。それが神社(神道)です。
宗教学者で秩父神社宮司の薗田稔氏(京都大学名誉教授)は、神道は「自然の中に神を見た信仰」だと言っておられます。
なるほど簡明な説明です。

江戸初期の伊勢の神主・出口延佳は「何となくただありがたき心」それが神の道だと。また、平安末期の歌人で有名な西行は伊勢の神宮にお参りして、

  なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

   (どなたさまがいらっしゃるのかよくはわかりませんが、おそれ多くてありがたくて、ただただ涙があふれ出て止まりません)
と詠んでいます。誰も何も言わなくても、ただありがたく、かたじけなく「思わず手を合わせてしまう」それが神道だということでしょう。
要するに、神道を薗田宮司の言葉にもう一言添えて説明すれば、「神道は自然の中に神々を感じた信仰」です。
日本は温暖な気候に恵まれて自然は豊かです。そこに生きる日本人は自然の恵みをいっぱいいただいて生活しています。時には恐ろしい災害もありますが、その時は恐れ慎しみ、しばらく我慢しておれば、やがて治まります。
自然は恐ろしい反面、たくさんの恵みを与えてくれるありがたい存在です。人々は、自然界の一つ一つの働きに人の力の及ばない何か大きな力の働きを感じて「ありがたい」「恐れ多い」と崇めてきました。
だから、我々の祖先は、世の中の隅々まで明るく照らす太陽を「お日さま」と尊称して特別な思いを抱き、また、海には海の神、山には山の神、水には水の神、木には木の神、草や石ころにまで神霊の働きを感じて、感謝と怒りに触れないための祈りを捧げて生活をしてきたのです。その「感謝と祈り」の生活が日本人の日常的な暮らしであって、そこに「神の説明」など必要とはしなかったのです。以上

 白秋は、禊(みそぎ)がしたかったと思う。罪や穢れを落とし自らを清らかにする、詩人故に自ら入獄しか思いつかなかつたか。次歌で俊子を憐れむが、本当に可哀そうだ。

 当歌の読み、白秋の道連れ入獄。