白秋の江戸情緒と紺蛇目傘
白秋の江戸情緒と紺蛇目傘
「ふさぎの蟲」第百五十二行
昼間の光に薄黄色い火の線と白い陶器の笠とが充分にダラリと延ばした紐の下で、畳とすれすれにブランコのやうに部屋中揺れ廻つて居る、地震かしらと思ふ内に赤坊が裸で匍ひ出して来た、お内儀さんが大きなお尻だけ見せて、彼方向いて事もあらうに座敷の中でパツと紺蛇目傘を拡げる。
当行、重文、主述関係が成り立つ、対等の資格をもった文章が二つ以上含まれているもの。
五文となり、主語が「お内儀さん」、目的語が「紺蛇目傘」で、他動詞が「拡げる」。白秋は、彼の美学の心象図を文字化したものだろう。
白秋の意図は、象徴詩の手法で、白秋の心象絵図をえがきだすことだとすれば、「紺蛇目傘」がその象徴語となる。
また、注目語が「大きなお尻」で、生殖器によって象徴される豊饒力になり、対称語が後の「睾丸」となる。
第一文と第二文では、当行の主役である「笠」が「白い陶器の笠」で、「薄黄色」と「白」が「揺れ廻つて居る」。
白秋が二階の書斎から、隣の下座敷を覗いている訳だが、白秋の幻視で間違いないだろう。普通、電灯は居間の中心に据えられる。それが、「畳とすれすれに」「部屋中揺れ廻つて居る」のだから、「座敷の中でパツと紺蛇目傘を拡げる」のは物理的にあり得ない。戯奴である白秋のマジックということだろう。
「紺蛇目傘」が「事もあらうに」と大事であることを示すので、象徴語であることが確認できる。
紺蛇目傘とは、地色が紺で白の蛇の目の舞踊向けの傘。単語を分解すれば、「紺」「蛇目」「傘」となる。
この「紺蛇目傘」の参考詩、「紺」が「むらさき」に対応する。
東京景物詩及其他
雪と花火
夜ふる雪
蛇目の傘にふる雪は
むらさきうすくふりしきる。
空を仰げば松の葉に
忍びがへしにふりしきる。
酒に酔うたる足もとの
薄い光にふりしきる。
拍子木をうつはね幕の
遠いこころにふりしきる。
思ひなしかは知らねども
見みえぬあなたもふりしきる。
河岸の夜ふけにふる雪は
蛇目の傘にふりしきる。
水の面にその陰影に
むらさき薄くふりしきる。
酒に酔うたる足もとの
弱い涙にふりしきる。
声もせぬ夜のくらやみを
ひとり通ればふりしきる。
思ひなしかはしらねども
こころ細かにふりしきる。
蛇目の傘にふる雪は
むらさき薄くふりしきる。
注、歌舞伎「助六由縁江戸桜」
黒の紋付に江戸紫の鉢巻、蛇の目傘をかざした助六を描く。白秋が「東京景物詩及其他」の序文に「わかき日の饗宴を忍びてこの怪しき紺と青との詩集」と書いているように「紫」へのこだわりが偲ばれる。
雨あがり
やはらかい銀の毬花の、ねこやなぎのにほふやうな、
その湿つた水路に単艇はゆき、
書割のやうな杵屋の
裏の木橋に、
紺の蛇目傘をつぼめた、
つつましい素足のさきの爪革のつや、
薄青いセルをきた筵若の
それしやらしいたたずみ……
ほんに、ほんに、
黄いろい柳の花粉のついた指で、
ちよいと今晩は、
なにを弾かうつていふの。
四十三年七月
注、杵屋(きねや)、料亭のことだろう。
爪革(つまかは)、下駄の前部分にほこりや雨時の泥跳ねを避けるために、指の部分につけた革製の覆い。
筵若、えんじゃく、初 代 市川莚若
初代市川左團次の女婿、1886–1940。
それしやらしい、上品で優美な様子。
次に「蛇目傘」とは、神の使いの蛇の目をかたどっていて魔除けとされた。
「傘」とは、「翳す(かざす)」から来たとみられている。 頭部や身体を雨雪や日光から守るために覆い、影をつくる用具という意味らしい。
童謡の参考詩、
あめふり
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
白秋の詩が好まれるのは、オノマトペが素晴らしいからだろう。冷戦の時代、「核の傘」という言葉が使われた。懐かしい言葉だ。