白秋のわが世さびしき片恋
「ふさぎの蟲」第百五十行
急に寂しくなつて、まじまじと下を向く、とまた生憎な、目に入るでもなく庭の垣根越しに向ふの長屋の明け放した下座敷が見える。
白秋、前行での俊子との「悪因縁」を思い起こす。俊子とは、手切れ金を払い別れ「縁切り」をした。そして俊子は、故郷に帰った。「大正元年八月二十六日午後四時過ぎ」の状況だ。
前前行で「また意久地なしの霊魂が滅入つて了」て、白秋の視点は、上から下へ下がってがってゆく。白秋「急に寂しくなつて、まじまじと下を向く」と、そこは現世が垣間見える。
そこで「わが世さびし」が思い起される。対応歌、
晶子の身長は166センチのようで、白秋が168で「身丈(みたけ)おなじき茴香(うゐきやう)」らしい。片恋なので、花が咲いても我が世では結ばれない。
晶子の対応歌、
乱れ髪
春思
かくて果つる我世さびしと泣くは誰ぞしろ桔梗さく伽藍のうらに
斎藤茂吉のさびし『さびし』の伝統によれば、
この『さびし』の語は、人間本来のある切実な心の状態をあらはすのに適当な語である。
白秋は「昼の思」でこう述べる、
涙を惜め、涙を惜め、高品なわかい心のそこひもわかぬ胸の秘奥に啜り泣けよ。芭蕉の寂びはまだうら若い私達が落ちつくところではない、少くとも世を楽しむメエテルリンクの悲愁と神秘な蒼い陰影の靄の中に寂しい心の在所を探す物馴れぬ Stranger の心持、その心を私は慕ふ。以上
白秋の「片恋」の片相聞歌と言えるだろう。
「わが世さびし」とは、かなわぬ恋の現世を嘆き悲しむ、
「芭蕉の寂び」を知る手がかりとして、「愁に住すものは愁をあるじとし」が含まれる名文、
芭蕉
長嘯隠士の曰、客は年日の閑を得れば
主は年日の閑をうしなふと。
素堂此こと葉を常にあはれむ。
朝の間雨降。
今日は人もなしさびしきまゝに、
むだ書して遊ぶ。其詞
喪に居るものは悲しみをあるじとし
酒を飲ものはたのしみを主とし
徒然に任するものはつれづれを主とす
さびしさなくばうからまし と、
西上人のよみ侍るは、さびしさを主なるべし。
叉よめる、
山里にこはまた誰をよぶこ鳥
ひとりすまんと思ひしものを
獨すむほどおもしろきはなし。
注、嵯峨日記、元禄4年(1691)4月18日から5月4日まで京都嵯峨の去来の落柿舎に滞在したときのもの。
長嘯隠士(ちょうしょういんじ) 木下長嘯子(1569-1649)。木下勝俊。細川幽斉に学んだ歌人。
西上人、西行上人。
「閑古鳥」「呼子鳥」はともに郭公の異名であり、「閑古鳥」は鳴く声の寂しさに重きを置いた名。
さびしさなくばうからまし、ここが肝要で、白秋が時たま「ひらがな詩」を書く手法で、漢字かな交じりより、意味が深くなる。日本語の面白さと言えるだろう。
最後に「昼の思」より晶子への賛辞、
而してまた公園の昼のアーク燈を、白昼のシネマトグラフの瞬き、或は薄い面紗のかげに仄かに霞む人妻の愁はしい春の素顔を。
注、面紗、ベール。