象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二
象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二
第百五十四行
変だ、何だか何処かで火事でも燃え出しさうだ、空が焼ける、子供が騒ぐ、遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る……をや、俺の脳膸までが黄くさくなつて来たやうだぞ……犬までが吠え出した……何か起るに相違ない。
当行、注目語が「相違ない」。白秋が断言しているが、出典は「菅原伝授手習鑑」だろう。
「歌舞伎演目案内」より、
松王丸の重い決断
武部源蔵は寺子屋に菅秀才を匿っていますが、それが時平方に知れ首を討って渡せと厳命されています。身替りの子はと苦慮しているところへ、今日寺入りした美しい面差しの小太郎と対面、源蔵の思いは決まりました。やがて首実検役の松王丸がやって来ますがいずれを見ても山里の子ばかり、もう一人いるはずと迫る松王丸の前に差し出された首は・・・「菅秀才の首に相違ない」、そう告げて松王丸は立ち去ります。やがて小太郎を迎えに来た母が「若君菅秀才のお身替り、お役に立てて下さったか?」と叫ぶとそこへ松王丸も現れ「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい!」。なんと松王丸夫婦が我が子を身替りにして、菅丞相への旧恩・忠義を立てたのでした。以上
忠義のため、我が子を身代わりに死なせた、それも、「首実検という検認役もさせられた、その悲哀を「相違ない」で表現させる。
戯作者は、虚偽を云わねばならぬ苦痛を観客に共感させる。普通、嘘は自己を守るために使われる。だが、他利もある、この場合は菅丞相の為の犠牲だろう、
戯作者は,父親が「わが子」を主君の為差し出した、その苦しみを音楽的・暗示的な手法で情調を象徴化して表現した。白秋は、「相違ない」に象徴詩を感じたのだろう。「嘘こそ誠」、白秋の犯罪者としての在り方が象徴詩となる。新聞でも騒がれた。
白秋、大正に代わり、「桐の花」を売り出す、失意の作者の歌集だから注目されている。売れるに違いない。
白秋の生き方は、「宝石商人」、参考歌、
白き露台
四
私は思ふ、あのうらわかい天才のラムボオを、而して悲しい宝石商人の息づかひを、心を
アーク燈いとなつかしく美くしき宝石商の店に春ゆく
美くしく小さく冷たき緑玉その玉掏らば哀しからまし
いと憎き宝石商の店を出で泣かむとすれば雪ふりしきる
長年の謎「宝石商の店とは」、本屋さんのようだ、象徴主義の歌は注目されるだろう。