白秋の新生への思い | 現代短歌とともに

白秋の新生への思い

白秋の新生への思い

「ふさぎの蟲」第百五十三行

かと思ふと何時の間に帰つて来たのか末の弟の中から博多節か何か歌つて居る。

 

末の弟とは、四男の北原義雄で美術系を専門とした出版会社のアトリヱ社の代表。

 長男は、生まれてすぐ死んだ。次男が白秋で三男が鐵雄、慶応義塾大学中退。白秋と阿蘭陀(オランダ)書房(のちのアルス)を創立。芸術雑誌「ARS」や日本初の写真雑誌「CAMERA」を創刊。 「日本児童文庫」シリーズや、文芸・美術一般書、写真関係書、『白秋全集』をはじめとする白秋の著作の大半を出版した。

 

 博多節、俗謡の一つ。博多の花柳界で歌われる歌で、「ドッコイショ」と「正調博多節」の二種ある。どちらも純粋な博多起源ではない。「ドッコイショ」は歌の中に「ドッコイショ」、終わりに「ハイ今晩は」の囃子詞(はやしことば)がある。明治二〇年(一八八七)頃、山陰の石見地方から移されたもの。

 

当行、「厠」が注目語。川の上に設けた川屋の意とも、家の外側に設けた側屋の意ともいう。

 当集でも、初出だ。何故、白秋が世俗語を出したのか。歌語で満ちた耽美から、下世話な下ネタに落ちるのか。

 身体で分けるなら、上半身と下半身になる。美と醜、耽美と快楽、本音と建前だろうか。

 白秋としては、両立させたいのだろう。参考文として、東京景物詩及其他の「余言」を上げる。

 

われら今高華なる都会の喧騒より逃れて漸く田園の風光に就く、やさしき粗野と原始的単純はわが前にあり、新生来らんとす。

 

 以後の活躍は素晴らしい、現代でも彼の詩は歌われ続ける。白秋がこの「ふさぎの虫」で「新生」を思ったことは間違いない。だが、謹慎の身だから、「戯奴(ヂヤオカア)」のふりをすることで、彼の決意を述べたのだろう。