象徴詩としての「ふさぎの蟲」の三 | 現代短歌とともに

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の三

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の三

第百五十五行

南無妙法蓮華経……お岩稲荷大明神様……

 苦しい、苦しい、汗が流れ、る

 

 当行、前段は、お岩稲荷からの祈祷の声のようだ、後段は、白秋の苦悩だろうか。

 記号言語として、「汗が流れ、る」で読点「、」が強調される。白秋、読点にも意味を持たせている。当行では、白秋の苦悩を象徴させているのだろう。

 

象徴主義は、フランス、ロシア、ベルギーを起源とする19世紀後半の芸術運動。文学では1857年に刊行されたシャルル・ボードレールの「悪の華」が象徴主義の起源とされている。辞書的な定義でいえば、「直接的に知覚できない概念、意味、価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形態によって間接的に表現すること。ハトで平和を、白で純潔を表現させる類」(三省堂)

 

白秋の「ふさぎの蟲」が象徴詩であることを論じてきたが、最終行の意味を考えた。

ははははは……………………

ははははは……………………

 

 白秋、何を云わんとしているのか。「相違ない」が「菅原伝授手習鑑」からの引用であれば、関連する演目から探そう、

 

「歌舞伎美人」

一、天満宮菜種御供(てんまんぐうなたねのごくう)

◆陰謀を企む藤原時平の“七つの笑い”が眼目

 平安時代の延喜帝の御代。身に覚えのない謀反の嫌疑をかけられた右大臣菅原道真に、太宰府への流罪の宣命が下されます。左大臣藤原時平は道真を弁護しますが、勅命には逆らえず、道真は引き立てられていきます。実はこれは道真を陥れるために時平が仕組んだ罠。時平は、天下を狙う大願はまもなく成就と、高笑いするのでした。

 一人舞台に残った時平が本心を顕し、大笑いをするところがみどころで、幕が引かれる中も続く笑いが見逃せません。以上

 

 白秋、自己の胸中をこの笑いに象徴させた。

 

 「ふさぎの虫」が象徴詩であることの例証だろうか。