喪失を予感させた『ノルウェイの森』の上巻。
“喪失と再生の物語”と言われるこの小説は、下巻で、“再生”に向って歩み出すのでしょうか。
確かに、下巻の終末、主人公ワタナベが、再生に向って歩き出しそうな描写が現れます。
我々は生きていたし、生きつづけることだけを考えなければならなかったのだ。
僕は緑に電話をかけ、君とどうしても話がしたいんだ。話すことがいっぱいある。話さなくちゃいけないことがいっぱいある。世界中に君以外に求めるものは何もない。君と会って話がしたい。何もかもを君と二人で最初から始めたい、と言った。
しかし、その直後、物語は、次のように締めくくられます。
僕は今どこにいるのだ? でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ? 僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。
(村上春樹、『ノルウェイの森(下)』より)
「雨の中の庭」で濡れながら戸惑っているようなワタナベ。まだ「ノルウェイの森」をさまよっているようなラスト。
読み終わった後にすべてが終わってしまうような文章ではなく、何か余韻を残すような結末。また何かが始まりそうな予感。それも『ノルウェイの森』の魅力の一つです。
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