音楽は貴族のものではなくて ─『新・平家物語(三)』(吉川英治)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 『新・平家物語』には、たびたび麻鳥(あさとり)という男が登場します。生家は宮中舞楽部、つまり音楽一家に生まれました。しかし、その身分を捨て、傀儡師(くぐつし=旅回りの芸人のようなもの)をするような人です。

 

 その麻鳥がいった言葉。

(同じ楽器を持って、人を楽しませるなら、もう、堂上人のすえただれた宴楽に侍して、浅ましい思いを忍んでいるよりは、青空の下で、貧しくても、心から歓んでくれるちまたの人びとの中で、笛も吹きたい、鉦や鼓も打ってみたい)

 (吉川英治、『新・平家物語(三)』より)

 

 映画「ショーシャンクの空に」の名場面を思い出しました。

 刑務所にモーツァルトのアリアが流れ、目に見えぬ音楽が見えるかのように、囚人たちが音楽の流れる空を見上げる場面。音楽は、格式ある場で、かしこまって聴くだけではない。本当にそれが必要な人のために、みんなの空の下に流れるものだ。そんなことを感じました。

 

 さて、麻鳥はこの後、要所要所で現れ、『新・平家物語』に色を添えます。

 また、折に触れ、紹介していきます。