何が人間の、幸福かといえば ─『新・平家物語(十六)』(吉川英治)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

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「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 『新・平家物語』のもう一人の主人公、それは一人の庶民・麻鳥だと思います。

 

 清盛、義経、頼朝と、名だたる者たちが活躍し、そして消えていきました。

 しかし、無力な麻鳥と蓬(よもぎ)の夫婦は争いの世に踏み殺されもせず、今、吉野山の桜を見ながら、若草の上に腰をおろし、静かにゆっくりと時を楽しんでいました。

 

「何が人間の、幸福かといえば、つきつめたところ、まあこの辺が、人間のたどりつける、いちばんの幸福だろうよ。これなら人もゆるすし、神のとがめもあるわけはない。そして、たれにも望めることだから」

 (吉川英治、『新・平家物語(十六)』より)

 

 貧しいながらも人と人とが思い合って暮らす尊さ。

 主人公の一人、義経は、それを望みながらも、世がそれを妨げました。そこに哀しさがありました。

 麻鳥は、位階や権力とは無縁の中で、自分らしく生き、そこにあたたかさがありました。

 立場も人生も全く異なる二人が、この軍記物語を、ただの権力争いの物語ではなく、喜びも哀しみも、愚かさも尊さも伝える人間の物語に高めている、そう感じました。