『新・平家物語』総集編 | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

「・・・源頼朝は弟の源範頼・義経らの軍を派遣して平氏と戦い、摂津の一ノ谷、讃岐の屋島の合戦を経て、ついに1185(文治元)年に長門の壇の浦で平氏を滅亡させた。」

 

 ある高校の教科書では、この程度の記述です。

 でも、本当はこの1行の中に多くの武士の言葉があり、彼らの威勢も怖れも雄叫びも哀しみがあります。それを『新・平家物語』が、全16巻というボリュームで描きました。

 

 私がこれまで読んできた本の中では、もっとも長編の物語でした。

 読み終えた達成感も一入でした。

 

 最終巻・第16巻の最期に、一人の無名の人物の存在が浮き上がってきます。

 そこまでの16巻は、この最期の一場面のためにある、とも感じられます。

 『新・平家物語』が16巻もある、私にとっての理由です。

 

 ブログに最初に取り上げたのが1月6日、それからの19回を並べてみました。

 よろしければ、のぞいてみてください。

 

◆おれの鏃(やじり)は、いったい、何を求めようとして・・・(第1巻)

 

◆もう弓矢で戦わなくても、世は、そのまま地獄よ・・・(第2巻)

 

◆青空の下で、貧しくても、心から歓んでくれるちまたの人びとの中で、笛も吹きたい・・・(第3巻)

 

◆たれの場合も、出発は正しくて美しい・・・(第3巻)

 

◆母の髪の毛は子をつなぐという・・・(第4巻)

 

◆政子という人の子の、たましいが、そうわたくしに教えました・・・(第5巻)

 

◆平和というのは、この姿の中にあるものだ・・・(第6巻)

 

◆母以外にはない大きな愛の掌であるにはちがいない・・・(第6巻)

 

◆これほどな人びとが、これほど心をいためても、一個の人間の死を、どうにもならぬ・・・(第8巻)

 

◆麻鳥は心の王者。自分は、心の貧者だった・・・(第9巻)

 

◆花の雌しべも、何かに結びつく風をを待つではございませぬか・・・(第10巻)

 

◆ああ、嬶(かか)の顔が見とうなったわ・・・(第11巻)

 

◆智者は逆に、相手の智に、もてあそばれ・・・(第12巻)

 

◆どうせ落ち目の運命ならば、この落日のように、荘厳でありたいものだ・・・(第13巻)

 

◆家に、鼓があり、庭に花が作れるぐらいな坪さえあれば・・・(第14巻)

 

◆人の驕(おご)りや栄花のたどり出す道とは、なんと、変哲のないものか・・・(第15巻)

 

◆大河の濁りが常に返れば、魚も自然おのれの住む瀬に返ろう・・・(第16巻)

 

◆これから先、お汝(こと)たちが、旧主の怨みをはらさんなどという考えを起こしたら・・・(第16巻)

 

◆何が人間の、幸福かといえば・・・(第16章)

 

 ↑お気に入りの本棚に鎮座する、全16巻の『新・平家物語』