相手の不完全を
受け入れることは
自分の不完全を
認めることにつながります。



逆に
相手の不完全を拒絶すれば
自分の不完全も
拒絶することになります。

そんな拒絶がある状況は
不完全=「悪」となり
息苦しい感じです。



過去の自分が思う完全は
現在の自分が実現してたりします。

自転車に乗りたいと
憧れてた頃の完全は
今の自分が簡単に自転車に
乗っている姿と同じかもしれません。

でも今の自分から見たら
過去の自分と
完全の水準が違うために
完全と認められないでしょう。

完全とは
不完全があるおかげで
見えるものです。



不完全は日常的にあるものです。

それを拒絶するのは
目の前にリンゴを置いて
「目の前にリンゴはありません」と
言うような矛盾が生じてしまいます。

いくらリンゴが無いと言っても
リンゴは目の前にあります。

移動させたり
食べたりしない限りは
リンゴは目の前から
消えることはありません。

有るものを
無いものとするためには
無いものとし続ける努力が
必要になります。

息苦しさの理由が
そこにあります。



不完全を
「あってはいけないもの」とせずに
「そういうこともあるね」とできる寛容さは
共同体感覚を育てます。

不完全な相手を
「ダメだ」と責めるより
支えようとすることで
相手も自分を責めるよりも
支えようとしてくれますね。

責め合う関係より
支え合う関係の方が安心できます。

そうして共同体感覚が育つと
しあわせを感じやすくなります。

なので
不完全を認めることは
しあわせをたくさん感じることに
役立ちます。




私が幼い頃、
父親にこう言われました。

「おとうさんは必ず約束を守るよ」

約束を必ず守る、
そんな完全を示してくれたので
父親はすごい人だと思いました。



確かに父親は
約束したことは
実際に守っていました。

幼い私との約束など
「明日はおんぶする」など
簡単なことばかりだったので
守るのも簡単だったのでしょう。



私が約束を忘れていると
父親から
「約束したのになんで守らないんだ」と
ひどく責められました。
「大事なことだから」と
1時間くらい言われたこともありました。

そんな感じで言われるほどに
約束を100%守る父親は
すごいんだ、との思いは
深まっていきました。



あるとき
「ゲームセンターで思いっきり遊びたい」
と言ったら
父親は「いいよ」と言ってくれました。

私は当時、ありえない条件で
約束できたことに、歓喜しました。



しかし、
いつになっても
ゲームセンターに
連れていってくれません。

「いつ連れてってくれるの?」
と訊くと
「今度、行けるときにね」と
言われます。

そんな感じで
何か月も経ちました。



「いつになったら連れてってくれるの?」と
ちょっと強めに約束の確認をすると
父親は「やっぱり、それはダメだ」と
言ってきました。

その後も、父親は
約束は守りたいけど
ゲームセンターはダメだと
思ったようで、
断られ続けました。

何度も断られ続け、ついに
「約束守るって言ってるけど
守ってないじゃないか!」と
激怒する私。

約束をちょっと忘れてただけの私に
1時間も説教したのは
何だったんだ?

約束の破りたかったのではなくて
忘れてただけ。

約束を思い出せば
その通りにやりたかった。

なのに、いきなり
「お前は親を困らせる子だ」と
見捨てる脅しをかけてくる。

そんなあなたが今、
堂々と約束を破ろうとしている。

そんな憤りを感じてました。



善人でいたい父親は
挙句の果てには
「そんな約束はしていない」と
言い出しました。

していない約束なら
反故にしたことにもならない。
そう考えたようです。

母親も
「おとうさんを困らせてはいけません」と
父親に加勢する。

納得できないが
見捨てられたら生きていけないので
煮え湯を飲む思いで
ゲームセンターの約束は
なかったものとすることに
同意しました。



その後、数年が経ち
中学生になった頃、
旅行に連れていかれたときのことです。

その旅行で寄った
遊園地みたいなところに
ちょっと大きめのゲームコーナーが
ありました。

そこを見つけた父親は
私に言ってきました。

「そういえば
ゲームセンターで思いっきり
遊びたいって言ってたよね」

え?
今さら何ですか?

「約束したから
今、遊んでいいよ」

約束?
そんな約束しなかったと
あなたは言ったのですが
それは何だった?

「思いっきりだから
いくら使ってもいいよ」

「自分は善いことしてるだろ」
そう顔の書いてある
父親のにやけた顔に
吐き気がしました。



かなり混乱しました。

父親は
「自分は約束を守る人」という
完全を維持継続するために
履行したくない約束は
そもそも約束ではなかった、
ということにした。

それを今、
「約束を守る人」=「善」を
形にするために
一度「約束ではなかった」としたものを
「約束したもの」に、しようとしている。

私はあなたの
「善」を形にするための道具か。



でも、
上機嫌になってる父親を
不機嫌にさせると
また「見捨てるぞ」と
脅してくるかもしれない。

旅行先なので
ここで見捨てられたら
どうやって帰るかもわからない。

また自分を人質にとられた気分だ。



お金を受け取って
ゲームをやったら
意外と楽しくて、

約束を反故にされたり
復活されたりして、
父親に都合よく利用されることも
忘れられるかもしれない。

そう思って
「じゃ、2,000円でもいいの?」と
訊いてみた。

すると父親は
「いいよ」と上機嫌で
千円札を2枚渡してくれた。



千円札1枚を両替機で
100円玉にした。

おもしろそうなゲームに
100円を投入して
遊んでみた。

だめだ。
まったくおもしろくない。

いくらやっても
気分は下がるばかり。

300円使ったところで
「もういい」と
お金を親に戻そうとした。

すると
「そんなこと言わないで
遊んでらっしゃい」と
受け取ろうとしない。

「遊びたいんだろ。だから遊べよ」
そう言われているようで嫌だった。
だんだん自分がみじめで
かわいそうになってきた。



いくら渡そうとしても
受け取らないので
「もういいっていってんだろ!」と
お金を投げつけた。

しまった、
これで見捨てられるのも確定か。
もう終わりだ。

全部を諦めたような気持ち。
頭の中は、真っ白になった。



意外にも父親は怒り出さず
「受け取らなくてごめんね」と
言ってきた。

母親は迷惑そうな顔して
「お金は大切にしなければいけません」と
言いながら拾っていた。

今思えば父親は
自分の都合で
「約束はなかった」としたり
「やっぱり約束だった」とした自覚が
あったのだろうと感じる。

自分に都合よすぎて
これ以上何かしたら
さすがに沽券にかかわると
思ったのかもしれない。



相手が
やると言って、やらない。

そのような不完全なことは
「有る」ことです。

「有る」ものを
「無い」ものには
できません。

「有る」ものを
どのようにしたら
共同体感覚の形成に役立つのか
の視点で見ることこそ、
しあわせを感じることに
役立ちます。

自分が相手に寛容になれれば
相手も自分に寛容になりやすく
なります。

寛容さを持つことは
しあわせを増やしてくれます。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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