ゆるせないことで
生きずらくなっているから
ゆるしたい。

ゆるすことで
生きやすくなりたい。

こんな感じで
ゆるすことを目的に
したりする。

そうして、
ゆるすこと自体を
目的にすると苦しくなります。

だって、ゆるすことは
しあわせになるための
手段のひとつだから。






荒地を目的もなく
整地する人はいません。

ゆるすことを目的にするって
そんな荒地を用途も決めずに
整地することと同じ。

整地したその土地を
どう使う?

ゆるすことも、
ゆるすことができたら
どんな自分になると思う?
を見ていきたい。





執着を手放せたら
自由な自分を感じられます。

その執着を手放すことが
ゆるすことなら、
自由な自分になったら
どんな生き方をしたい?

どんな生き方にあこがれる?
どんな暮らしをしていたい?
どんな気持ちで仕事していたい?

どんな状況や環境なら
心に平和を感じられそう?

こんな問いに詳細に答えていくと
ゆるす目的が見えてきます。



そして、
本気で実現したいものが見えてくると
ゆるしたいことをゆるすこと以外でも
それは実現していけることも
見えてきます。

ゆるすこと以外も
手段があるとわかると
そのゆるしたいと思うことの
重要度が下がります。

執着やこだわり度が下がるわけです。

その時点で、もう自由度が
上がってます。
生きずらさが減って
生きやすさが増えてますね。





思考だけの理解ではなくて
心の感じや
身体の感じでも
理解できたときに
「そうか」と
腑に落ちる経験を体験します。

すばらしい体験ですね。




ゆるせたかどうか
よりも
ゆるすことで
何を得たいと思っているのか、
それが大切です。

なので
ゆるすことは
自由への唯一の方法
ではなくて、

自由やしあわせを感じる
ひとつの方法です。

そうして整えてあげると
楽になりますよね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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