ゆるしたい
と思うのは、
ゆるせないことがあるから。




「ゆるせない」をしたいと
自分が思っているところに
「ゆるす」ことをしようとすると
どうしても
「やらねばならない」となってしまう。

本心と思考が対立してしまう。

見たい方を見ている自分の頭を
「こっちを見るんだ」と
ぐいと強引に向けさせるような感じで
つらい。





本心は、そのままの自分。
意欲の本体。
それをしたい、だけなので
その結果の利益/損失は
考慮してない。

ゆるせない、をしたいので
ゆるせない、をしてる。
それで自分を成立させている。




思考は、サバイバルのために
最も利益の多いと思うものを
選択をしたがる。

「思う」だけで
本当に最も利益が多いかどうかは
わからない。
だって、まだやってないから。

ゆるすと、きっと尊敬される。
ゆるすと、きっと嘲笑されない。
ゆるすと、きっと変人扱いされない。
ゆるすと、きっとすごいね、と賞賛される。
ゆるすと、きっと安心できる。

そんな期待を持って、思っている。





意欲と思考の目的地が同じなら
協力し合える。

でも、目的地が違うと
騎馬と騎手の行き先が違う
みたいになって、
どちらかを我慢させないと
進めなくなってしまう。

そのため
ゆるせないことを
ゆるそうとするのは
どうしても苦行になってしまう。





ゆるしたいって
その件への執着することなく
生きていきたいってこと。

逆に見ると
心底「自分らしい」と感じる暮らしをすると
その件へ執着することの価値が薄れていく。

それなら
ゆるすことを目的とするよりも
その先にある理想の暮らしを目的とすれば
気持ちよく生きられる。




実現の手段には
・その件を徹底的にやる
・その件に関する感情を吐き出しつくす
などがありそうだ。


ゆるせない/ゆるしたいを感じたら、
その先にある本丸は何かに
目を向けていきたいですね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、
サバイバーズコーチ常楽でした。


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