竹生島から三井寺へ.。湖北の観音様を訪ねる 其の13
竹生島から三井寺へ湖北の観音様を訪ねる 其の13三井寺金堂(国宝)竹生島の眼と鼻の先に宿をとったので、半日から一日がかりとなる竹生島の拝観が2時間足らずで済んだのは幸運だった。昼前には湖西を通って大津を目指すことに。琵琶湖1週は200㌔~250㌔と言われるが、つづらお崎から大津までは残り三分の一位か。湖岸に沿った道を進むと、海津桜で有名な海津。旧道の町並みは趣がある。暫く進むと、函館山のスキー場のリフトが見えた。冬場は若狭湾からの雪雲により、スキーが出来る雪が降るのだろう。 間もなく、高島市今津だ。「琵琶湖周航の歌」の作られた地であり、竹生島への定期航路もある。湖西の松林湖岸に黒松が続く白砂青松の景観。日本の風景に松は良く似合うのに、松くい虫の被害で少なくなったのが残念。山側にバイパスや、高速℃往路の様な「湖西道路」も建設されている。堅田で奥比叡ドライブウェイと交差。出発点に戻ったわけだ。坂本、この上が比叡山。園城寺(三井寺)667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれた。672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされている。 勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となった。 仁王門(重文) 三井寺金堂(国宝) 「三井寺」の由来となった井戸「閼伽井屋」(重文)「閼伽井屋」の格子を通して、内部の「閼伽井」を覗く、 近江八景のひとつ「三井の晩鐘」 梵鐘(弁慶引摺鐘)(重文) 一切経蔵(重文)「一切経蔵」内には「八角輪蔵」。輪蔵というのは、まわる書架と言う意味。 「観音堂」観音堂脇の見晴らし台。琵琶湖や湖東方面が望める。三井寺を後に紫式部ゆかりの花の寺「石山寺」も予定していたが、交代で運転してくれた友人の一人Fさんは京都から新幹線で横浜に戻る、次なる機会に訪れることを願い、湖北の観音様を訪ねる琵琶湖周遊の旅はお開きに。