


神戸朝鮮人学校事件起こる 「外国人登録令」の適用以来、在日朝鮮人は外国人として種々の制限を受けるようになったが、一方朝鮮人には外国人としての法的地位が確立しておらず、その生活や就職・教育などをめぐって多くの問題をかかえることとなった。例を教育問題にとろう。
戦時中在日朝鮮人の子弟は、当然のことながら日本語による教育を受けていたため、帰鮮しても母国語(朝鮮語)を話せない二世がすくなくなかった。このため帰国する者を対象とする、国語(朝鮮語)講習会が各地で開かれたのであるが、こうした講習会や講習所は、やがて朝連などにより民族教育を行なう学校に成長して行った。これらが学校としての形態を備えたのは概ね昭和二十一年春ごろのようであり、在日本朝鮮人連盟○○学院、あるいは朝鮮建国国民学校などと呼ばれ、独自の施設を持つものと日本の公立学校に間借りするものとがあった。たとえば、建青が昭和二十一年二月神戸に設立した朝鮮建国国民学校は、東部指定校を吾妻小学校、西部指定校を真野小学校(当時いずれも国民学校)とし、写真第Ⅲのような新聞広告をもって教師を募集した。
朝鮮人学校はこうした経緯により誕生したのであるが、その後昭和二十二年三月に「教育基本法」ならびに「学校教育法」が公布されたため、文部省では昭和二十三年一月二十四日付をもって「朝鮮人設立学校の取扱いについて」各府県知事あてに通牒を発し、続いて三月一日「各種学校の取扱いについて」追牒した。
この二つの文部省通達の内容は「朝鮮人学校は、私立小学校または中学校としての設立手続きをとって正式の認可を受けるか、または各種学校としての認可を受けよ」というものであった。当時本県における朝鮮人学校は四三校(生徒数七四六三)で、そのうち朝連経営(北鮮系)のものが四一校(生徒数七一六二)もあるのに対し、建青経営(南鮮系)のものはわずかに二校(生徒数三〇一)にすぎず、北鮮系の学校が圧到的多数を占めていた。しかし、実情は、そのうちのどれをとっても認可がおりる条件と実体を備えておらず、閉鎖以外にとるべき道はなかった。「このへんは朝鮮人学校閉鎖命令までの流れやな」
「そうだね。次に文部省の閉鎖通達を受けた兵庫県の対応についてふれるの」
文部省通牒を受けた兵庫県では、事の重要性から慎重な態度をもってこれに臨んだが、兵庫軍政部からの勧告もあって、ついに同年四月十日全県下の朝鮮人学校へ閉鎖命令を出し、公立学校施設を使用しているものは十二日までに立退くよう通告した。これにより建青設立校ならびに尼崎市・三木町などほとんどの朝連系学校は平穏のうちに立退きが履行されたが、神戸ならびに姫路の四校はこれを不満とし、その代表四〇名は、四月十四日指令撤回陳情のため県庁におしかけ、徹夜の座り込みを続けた。翌十五日には応援員を得て、さらに気勢をあげるに至ったため、生田警察署(神戸市警)は、住居侵入現行犯として七〇名を検挙したのである。その後も引続き交渉が続けられたが結論を得るに至らず、四月二十一日神戸市長はついに裁判所に対し東神戸朝鮮初等学校(二宮小学校内)、灘朝鮮初等学校(稗田小学校内)、西神戸朝鮮初等学校(神楽小学校内)の三校に校舎返還の仮処分を申請し、同月二十三日一斉に執行することとなった。執行は予定どおり行なわれ、東神戸校は事故なく終了、灘校は若干のトラブルがあったが、警備の警察官が排除しこれを完了した。しかし西神戸校では激しい妨害にあい、ついに執行不能となったのである。
県ではこれに伴う善後策を講ずるため、四月二十四日午前九時三〇分から県庁知事室において、西神戸校の仮処分執行問題と、二十六日に予定されている朝鮮人の抗議集会対策を協議した。参集者は
県 側 岸田知事・吉川副知事・堀教育部長・田中渉外局長・中田視学官
市 側 小寺市長・関助役
市警側 田村公安委員長・古山警察局長・小山保安部長・村上警備課長
国警側 井手警察長(二十三日大阪府に発生した朝鮮人による府庁占拠事件調査のため中途退場)・三宅警備部長
検察側 市丸検事正・田辺次席検事 .
の一五名であった。ところが協議の最中、県庁内外に集まっていた朝鮮人約一〇〇名が突然知事応接室に乱入し、机・椅子・電話器等を破壊したうえ、境の壁を打破り知事室へなだれこんだのである。会議中の三宅警備部長・小山保安部長はそれぞれ国警県本部・神戸市警察局に電話で逮捕鎮圧を指令した。知事室に乱入した一団は、電話線を切断して外部との連絡を遮断したうえ、室内の器具を破壊する等の暴行を続け、先に検挙した朝鮮人七〇名の身柄釈放と学校明渡し命令の撤回を迫った。交渉はやがて数をたのむ強要・脅迫となり「殺せ、殺せ」の怒号と殺気が渦巻いた。完全な監禁状態の中で、一同の生命の危険を感じた市丸検事正は、止むなく要求を容れて七〇名の釈放を約し、次席検事を退場させて釈放手続きをとらせた。ついで、岸田知事が命令撤回の文書を交付し、古山警察局長もまた当日の朝鮮人の行為に対し、検挙をしないことを応諾するのやむなきに至った。この間、前記両部長の指令によって出動した神戸市警七九七、国警応援三三九、計一一三六名の警察部隊は、県庁内外にあふれた朝鮮人にさえぎられ、内部の状況が全く不明のため如何ともし難い状態に置かれ、手の下しようがなかった。それぞれの責任者から約束をとりつけた交渉団は午後五時ごろ知事室を出て、県庁周辺に集まった朝鮮人六〇〇〇人に対し、約一時間にわたって交渉経過報告を行ない、喚声をあげて全員引揚げた。「え!?朝鮮人集団が乱入して外部との連絡を遮断、監禁状態で脅迫と強要して撤回させたの!」
「しかも、この件での検挙をしないように取り付けとる。せやけど、官憲の権威を蔑ろにして安寧秩序を乱すマネしといてただで済むはずあらへんよ」
「管理局に集団乱入して逮捕者を釈放させたようなもんだからね。当然、GHQも黙ってないよ」
その夜、知事をはじめとする関係者および甲南・芦屋・西宮の神戸基地管内各自治体警察長は神戸基地司令部に招致され、憲兵司令官シュミット中佐から、同基地司令官メノア代将の発した非常事態宣言を伝達され、
一、全警察官は憲兵司令官の指揮下に入る。
一、本夜中に、朝連および民青の本部・支部・分会役員の氏名・住所を調査のうえ憲兵隊に報告し、M・Pの検挙に協力せよ。
一、本日以後、県庁・市役所・検察庁等に入った朝鮮人は、理由を問わず逮捕してM・Pに引き渡せ。
一、検挙した者はすべて軍事裁判に付す。
など八項目にわたる軍命令を受けた。
神戸市警および国警県本部では直ちに警備本部を設けて、非常召集を発令、国警二二三名、神戸市警二〇四〇名計二二六三名が出動してM・Pに協力、一斉検挙に着手した。
翌二十六日には第八軍司令官アイケルバーカー中将が横浜から空路来神し、「暴力と強制のもとで行なわれた知事や検事正との協定や約束は一切無効であり、かつ、このたびの事件は明らかに占領政策および占領軍の安全に脅威を及ぼす行為であるので、軍事委員会または軍事裁判所に付することを命じた」という旨の声明を発表した。
この非常事態宣言は、四月二十八日午後三時に解除され、シュミット中佐から口頭でその旨が伝えられたが、この時国警県本部および神戸市警察局は
一、二十四日のデモ関係者の徹底検挙を実施せよ。
一、一〇人以上の朝鮮人集会は禁止せよ。
一、検問所を設けて朝鮮人が神戸市へ入ることを阻止せよ。
一、屋内・屋外を問わず、いかなる場所も朝連に使用させてはならない。
などを厳命された。
事件の捜査は、四月二十九日をもって一応峠を越した。同日までに検挙した人員は一五九〇人であり、最終的には一七三二人にのぼった。取調べの結果その罪状によりA級九人は軍事委員会で、B級三〇人は軍事裁判所で、C級九七人は神戸地方裁判所でそれぞれ裁判に付された。なお、軍事委員会に付された者の罪状は「駐日占領軍の安全および占領目的に対する有害な行為」であり、七人の者が重労働一五年から同一〇年に処せられ、無罪者は二人であった。一方、B・C級はほとんどの者が懲役二ヵ月執行猶予二年の判決を受けた。
朝鮮人学校の閉鎖をめぐる事件は、神戸のほか東京・大阪・岡山・山口の各地でも発生したが、その規模において神戸の場合が最も大きかった。朝鮮人学校問題はこれらの事件を契機として、文部省と朝連との間において急速な歩み寄りがみられ、同年五月私立学校認可申請という形で協定が成立し、神戸では西神戸・東神戸の両朝鮮初等学校が設立され、この問題は解決をみた。「日本警察はGHQ憲兵の指揮下に置かれて捜査検挙を行ない、検挙者は全部GHQ憲兵に引き渡して、日本の裁判所やなくてGHQ側の軍事裁判で処理する、ほんま非常事態やね」
「朝鮮人の集会の禁止どころか、神戸市への進入まで禁止ってすごいよね。で、朝鮮人が集団暴力で勝ち取った成果は全部ひっくり返されたんだね。当たり前といえば当たり前なんだけど」
「そらそうやんなぁ。逆に官憲側が暴力と強制で協定や約束を締結したんやったら思いっきり批判しよるんやろけど」
「そうだろうねぇ。で、兵庫県警察史にもあるように、最終的には文部省と朝連側の協議が始まって朝鮮学校の設立ということになるんだよ」
「所謂「各種学校」だね」
「この阪神教育事件は、結局朝鮮人学校の設立につながったし、また死者が出たこともあって、官憲の弾圧に対する抵抗と勝利みたいな感じで特筆されることが多いんだよねぇ」
「教育に関する単純な事件やったらええんけど、親北朝鮮の姿勢をとる朝連の政治的意図いうか思惑も混入しとって妙な色彩を帯びとるしねぇ…」
「じゃ、今回はここまでにするね」
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