「直江津?新潟県だよね」
「あー、聞いたことあるで。たしか国鉄(現在のJR)の直江津駅で起こった事件やろ?ウィキにも載ってたで」
「うん。じゃ、新潟県警察史編さん委員会『新潟県警察史』(新潟県警察本部新潟県警察史編さん委員会 1959)のp1048~p1049を見るよ」
直江津駅における朝鮮人の邦人虐殺事件 終戦直後の昭和二十年十二月二十九日、信越線の要所直江津駅ホームにおいて、衆人環視の中で一青年が朝鮮人に虐殺されるという、常識では理解できないような事件が発生した。すでに述べてきたように、終戦直後における国内の交遥は非常に混乱し、わけても列車の混雑ははなはだしかつた。この事件の発生原因は、このような列車の混雑にもあるが、なんといつても敗戦がもたらした所産である。
事件当目日(十二月二十九日)午後七時ころ、新潟発大阪行普通列車が信越線黒井駅に到着したところ、一見やみ屋と思われる三名の朝鮮人青年が、おのおの荷物をかかえて列車に乗ろうとしたが、満員のため乗りきれない状態であつた。そこで彼等は、懐中電灯で列車の窓ガラスをたたきこわして乗りこもうとしたところ、内部の乗客にこばまれて乗りこむことができず、やむなくデツキにぶらさがつて直江津駅までいつた。
この三名の朝鮮人は、中頚城郡八千浦村大字黒井に住む日本名、青山七竜(二五)、米村義雄(二一)、山本義雄(一九)で、いずれも戦時中直江津町の信越化学工場で働いていた者であるが、終戦と同時に解雇されてヤミブローカーとなり、この日も三名は農家からおのおの三〇キロ(二斗)くらいずつの米を買い集め、これを大阪方面へ売りに行く途中であつた。彼らは、列車が直江津駅に着くと車内に来りこみ、黒井駅で来るのをこばんだと思われる、京都市東山区清水四
所轄署では、報告によつて直ちに所在地署員を動員、駅にかけつけたが、胤森はすでにその場で絶命しており、朝鮮人の姿はなかつた。そこで、緊急手配したところ直江津町麓病院で傷の手当をしている、前記三人の朝鮮人をつきとめ、衣類の血痕などから加害者であることを認め、その場で殺人現行犯容疑者として逮捕した。
三名は、殺人現行犯として所轄検事局に送られたが、高田に進駐した軍政部が介在し、事件の結末がつかぬうちに三名とも逃走して事件はそのままとなつてしまつた。
「朝鮮人の取締権限が日本官憲にあるかどうかはっきりわからへんころの話やのに、日本警察が逮捕して検事局に送致はできてるんやね」
「でも、結局は進駐軍の軍政部が介入してグデグデになったみたいだね」
「そうみたいだね。進駐軍の方も明確なスタンスは打ち出せてなかったのかもしれないけどね。ま、1946年2月にSCAPIN756刑事裁判権の行使とSCAPIN757朝鮮人及びその他の国民に言い渡された判決の再審理で朝鮮人・台湾人に対して日本官憲に取締権限があるって明言されるまでの間、たしかに取締権限自体は不明確だったけど、決して日本官憲が取り締まれなかったということではないんだよ。そのへんは全国一律と言うより各地方の軍政部で事情は違っただろうとは考えてるんだけどね」
「あー、各地方の状況も
「前に見た兵庫県の場合、同時期の1945年12月でも日本警察が朝鮮人や台湾人を逮捕してたもんね。それだけじゃなくて全国より1ヶ月以上も早く警察官の拳銃装備が許可されてたしね」
「そういうことなんだよね。なのに、全然取り締まれなかったかのように言ってる人もいてね…」
「史料も読まへん人なんやね。誰なんやろ?」
「高山正之っていうんだけどね。ま、週刊新潮の巻末コラムで有名かなぁ。その人がチャンネル桜でヨタ言ってるんだよねぇ…4分00秒以降のところだよ」
「は?1945年11月にGHQが朝鮮人を戦勝国民として連合国と同じ扱いにしろと指令を出した?そんな指令見たことないで」
「ひょっとして、解放民族として扱う、っていうのを思いっきり曲解したんじゃないかな?」
「そこに続けて直江津事件と浜松事件の話なんかいな…え?浜松事件が5日間の市街戦で300名の死傷者が出たって?4月4日・5日の2日間やし、死者は3名、負傷者は13名か14名やで!何を根拠にこんなヨタ飛ばしとるんやろ?」
「はやて、浜松事件についてはここではあまり触れない方が…またネタにしなきゃいけないんだからここでネタばれはよくないよ。ともかく、この事件も朝鮮進駐軍とは全然関係ないってことだね」
「そやな。たしかに敗戦っちゅう状況から生まれた凶悪事件なんは事実やけど、組織的な犯罪
「そういうことだね。じゃ、今回はここまでにするね」
大阿仁村事件
生田警察署襲撃事件
大滝事件
富坂警察署襲撃事件
七条警察署事件