写経屋の覚書-なのは「今回はようやく終戦直後の朝鮮人が関係する事件について見ていくよ」

写経屋の覚書-はやて「あ、『朝鮮進駐軍』検証の一環やね」

写経屋の覚書-なのは「うん。よく「朝鮮進駐軍の関与した事件一覧」とか言っていろんな事件を列挙する連中がいるでしょ。じゃ、それらの事件って実際にはどうだったのか?って見ていくんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「いつかは見なきゃって言ってて延び延びになってた事案だったよね?」

写経屋の覚書-なのは「そうなの。去年は戦後の日本在留朝鮮人の話とか国債報償金費消事件の話のような飛び込みの事案が多かったから、写経自体は進めてあったんだけど、なかなか手をつけられなかったんだよね」

写経屋の覚書-フェイト「具体的にはどう進めていくの?」

写経屋の覚書-なのは「各事件について、各自治体の刊行した警察史を中心に新聞記事や書籍等も見つつ説明していくの。ほんとは事件ごとじゃなくて、各警察史の記述を紹介しつつ説明していきたいんだけど、それだとまとめにくいんだよ…」

写経屋の覚書-はやて「作者としては、公式史料やなくて個人サイトやウィキ編集者が命名したような事件名をエントリーのタイトルに使うことになるさかい、どっか割り切れへんもんがあるみたいやでw」

写経屋の覚書-フェイト「で、でも、誰かがそういう事件を検索したとき、ここにヒットする可能性も高くなるわけだし、仕方ないことかもしれないよね…」

写経屋の覚書-なのは「にゃははw そうなんだよねぇ。じゃ、発生日時別に見ていくんだけど、最初に取り上げるのは『大阿仁村事件』だよ」

写経屋の覚書-はやて「大阿仁村?秋田県やんねぇ。そんなとこでどんな事件があったん?」

写経屋の覚書-フェイト「あ、ウィキじゃこんなふうに書いてるよ」

大阿仁村事件(おおあにむらじけん)とは、1945年10月22日に起こった事件である。

秋田県北秋田郡阿仁合町(現在の阿仁町)の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、1945年10月22日午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁町(現在の阿仁町)の集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、村人3名が重傷を負った。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧した。

写経屋の覚書-はやて「鉱山で働いとった朝鮮人労働者が、共同管理の栗林で栗拾いしたことから争闘が起きたんやね…つかただのトラブル・喧嘩(ちゃ)うん?」

写経屋の覚書-なのは「そう見えるよね。じゃ、参考文献として挙げられてる『秋田魁新報』を見てみるよ」

写経屋の覚書-451023秋田魁新報

1945年10月23日付秋田魁新報
栗拾ひから暴行阿仁鉱山朝鮮人労務者
北秋田郡阿仁合町阿仁鉱山の朝鮮人労務者十二名は廿二日午前九時頃同町より約四里山奥の同大阿仁村字藤蔭部落で同部落の共同管理になる栗林へ侵入無断栗拾ひ中を同村民が発見し同村は特別管理である由を告げて注意したことがキツカケとなつて口論となり果は鎌や棍棒で乱闘に及び地元民三名に相当の重傷者を生じた暴行鮮人は十一時頃同村を引揚げるに際し必ず復讐に来るとて午後一時頃今度は約四十名の多勢を以て来襲したが報告に依つて同午後一時三十分米内沢太田所長は部下五名を帯同、阿仁鉱山事務所より消防ポンプに警防団員を同乗せしめ鎮圧のため午後三時頃現場へ急行した

写経屋の覚書-フェイト「ウィキはこの記事を元にして書いたんだね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。でも実は続報と言うか詳報があるんだよね」

写経屋の覚書-451025秋田魁新報

1945年10月25日付秋田魁新報
執拗に復讐企つ半島人栗拾ひ事件詳報
既報北秋田郡大阿仁村伏蔭部落山林に惹起した半島労務者と伏蔭部落民との乱闘事件の詳報が県警察部に到着した二十二日午前九時頃半島人集団労務者南洋鳳(三六)外十一名は同部落附近の山林に栗拾ひに来たところ部落民数名が「部落民所有の山林だから勝手に栗を採取することは出来ない」と抗議したことがきつかけとなり鎌や棒をもつて双方が乱闘を演じ部落民の応援が増加するや半島人たちは復讐する旨を残して引きあげた此乱闘で双方に二、三名の軽傷者を出したが急報に接して米内沢署では太田署長等警官は現場に急行警戒についたところ果せるかな午後二時頃半島人六、七十名は現場に大挙押しかけたのを警察官に阻止されて一たん治まつたかの如くみえたが米内沢署では半島人の不穏の空気が去りやらぬのを察知し椿事の未然防止に備へて同夜のうちに警戒陣の増強を期し二十三日夜明までには応援警察官十六名、警防団二十名、鉱山従業員三十名、附近部落民二十名を増援配置して待機した果して予想の如くこの日午前八時頃半島労務者八十名は警察官、鉱山指導員の阻止を斥けて伏蔭部落に大挙押しかけた急報により部落民は未然に危難を避けて自発的に附近山野に身を潜め姿を隠してことなきを得たが部落に押しかけた半島労務者は部落民が避難のため住家を空にしてゐるのを幸ひとして炊事をなして部落を徘徊し〝部落の男を皆殺してくれる〟等の暴言を吐き警察官と鉱山側の命令を聴かず依然として楽観を許さゞるものがあり警察官、警防団は警戒を続行する一方極力慰撫につとめた結果午後に至り漸くその殆どが寮に帰り四、五名が現場にゐて見張りについた、警察側は部落民にして半島人に傷害を負はせた者は必ず処罰する旨を約して漸く納得させ全員寮に帰らせたので午後五時には附近山林に避難中の部落民も警察官の保護を受けてことなく住家に帰りまた半島労務者も全員所属の阿仁鉱山に帰り二十四日から稼働することになつて事件は全く平静に帰したのである

両方とも加害者は処分 保安課長談
こんどの大阿仁村の事件について阿部県保安課長は語る

日本人側に於ても半島人に傷害を与へた者があるのでこれらの者に対しては断乎傷害罪として取調べの上処分するまた半島人側でも同様日本人側に傷害を加へた者は処分される事になるから関係者は当然取調べを受けねばならないし半島人と雖も不法行為と不法並に不穏行動をとつた場合は日本警察官において警察権を行使し断乎検束することが出来る

     ◇
菊池県刑事課長談 真相報告は未だ私のところに来てゐないので判つきりせぬが双方傷害を負つてゐるのだから現場と打合せ傷害罪として双方の関係者の取調べに着手する

写経屋の覚書-はやて「村民3名は重傷(ちご)て軽傷やん」

写経屋の覚書-フェイト「最初にはやてちゃんが言ったように、ほんとにただのトラブルが大きくなっただけっぽいね…」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。それに朝鮮人側も結局警察の説得に応じて退いているし、朝鮮人が日本の法規や官憲を無視して暴れた「暴虐」とは程遠いものだよねぇ」

写経屋の覚書-はやて「せやなぁ。「朝鮮進駐軍」とか「朝鮮人の騒乱」どころやない、ただのトラブルが暴力事件になったいうだけの話やん」

写経屋の覚書-フェイト「でも、このあとどうなったのかな?日本人も朝鮮人も平等に罰せられのかなぁ?」

写経屋の覚書-なのは「んー、現時点ではこの後の推移については調べきれてないんだよね…ま、どう贔屓目に見ても、日本の敗戦によって戦勝国意識を持った朝鮮人の暴虐ってとらえるのは無理があるよね。というわけで「大阿仁村事件」は、栗拾いのトラブルが傷害事件に発展したものだと結論するよ

写経屋の覚書-フェイト「…シリーズ1回目からこんなオチでいいのかな?」

写経屋の覚書-はやて「しゃーないやんw」

写経屋の覚書-なのは「ま、こんな調子でこれからも各事件を見ていくよ」