写経屋の覚書-なのは「今回も警察署襲撃事件を見るよ」

写経屋の覚書-はやて「今回はどこの県の話なん?」

写経屋の覚書-なのは「山形県の尾花沢派出所が襲撃された事件なの。じゃ、山形県警察史編さん委員会『山形県警察史 下巻』(山形県警察本部 1971)のp948~951を見るよ」

写経屋の覚書-山形948
写経屋の覚書-山形949
写経屋の覚書-山形950
写経屋の覚書-山形951

四、闇米買い出しの朝鮮人による尾花沢巡査部長派出所襲撃事件
 終戦後間もない昭和二二年(一九四七)一〇月二〇日午後三時ころ、米の買出し取締りに不満を持っていた朝鮮人七名が、楯岡警察署管内の尾花沢巡査部長派出所を襲い、窓ガラスその他を破壊した上、警察官三名に重傷を負わした事件が発生した。
 当時、本県警察部においては、食糧事情のひつ迫と新米期の出廻りに伴う米の買出しを強力に取締っていた。
 そのころ、尾花沢町(現在市)には約六〇名の朝鮮人が定住していた。これらの朝鮮人は定職とてなく、いわゆる闇商売をして生活していたが、尾花沢町を中心とした各村は米の生産地であったから、これら地元朝鮮人と連絡をとり、京阪地方や京浜地方の朝鮮人が米の買出しに多数入り込んだ。その数は次第に増加し、常時五、六十名、多い時には一〇〇名に達することもあった。時の楯岡警察署長は警視安達六郎で、尾花沢には巡査部長派出所があり、巡査部長清野伊勢司(三〇)が、巡査堀兵之助(五二)、同小林富士夫とともに勤務していた。必要に応じて近くの駐在所を繰り上げ、数名の集合勤務の態勢をとっていたが、多数の朝鮮人の買出し部隊を取締るには手薄であった。
 昭和二二年二月一日山形県訓令第六号による改正県警察官定員表によると、事件当時の楯岡署の定員は次のとおりである。

 警視一、警部二、警部補五(保安一、経防一、司法一、公安一、神町一)、巡査部長一六(署二、派出所三、保安一、経防一、司法一、会計一、公安一、神町五)、巡査一〇九(外勤三二、保安一、経防三、司法四、会計二、内勤五、公安二、神町六〇)、合計一三三名。

 右のように定員の上では多数であるが、なにせ神町警備隊に半数の警察官がさかれるので、他の派出所はどうしても手薄になっていた。
 こうした警察官の手薄に乗じ、日ごろのうつ憤を晴らそうと、前記昭和二二年一〇月二〇日
        本籍 朝鮮慶尚北道安東部八総面四の二七六
        住所 山形県西置賜郡小国町 金達俊事  近藤正雄(二六)
ほか六名は、尾花沢町の飲食店戸田屋こと戸田常蔵方で、酒を飲みながら派出所襲撃を相談し、同日午後三時ころ、右七名は派出所に行った。丁度その時清野部長らは外出し不在であったが、彼らはこれを奇貨として派出所内に侵入し、窓ガラス、椅子その他の器物を破壊し、派出所の門標を取り外して奪いいったん引き上げた。その後午後三時五分ごろ清野部長と堀巡査が帰ったが、右の状況を見て驚き、ただちにこの状況を本署に報告した。丁度そのころ前記七名の朝鮮人が再び派出所にきて、清野部長に対し「一〇月一一日尾花沢駅で米の取締りの際、鮮人に対しぐずぐず言うものはけん銃を撃ってもよいと部下に激励したのは何事か」と詰問し、ののしった。この時尾花沢町在住の朝鮮人三十数名も派出所に集り、口々にこれを声援した。そのうち興奮した鮮人林善沢は、机の上にあった小火鉢を清野部長の顔めがけて投げつけるなどの暴行をはたらき、事態は拾収できないような混乱状態におちいった。
 急報に接した楯岡署では、全員の非常召集を行ない、公安主任高橋勇警部補以下七名を第一陣として尾花沢に向け出発せしめ、鎮圧に当たったが、その間経済防犯係巡査小山精司が暴行鮮人のため胸部打撲傷を受けた。ついで第二、第三陣を貨物自動車で出発させる一方、隣接新庄警察署の応援を受けこれが鎮圧に当たった。さらに事態の険悪化に件い神町進駐軍のMPに応援を求めて容疑者の逮捕に当たり、二九名を進駐軍の命令によって逮捕した。
 これらの被疑者は留置取調べの上、暴力行為等処罰に関する法律違反・傷害・器物毀棄・公務執行妨害被疑事件として、同月二三日送検した。
 この事件で警察の受けた損害は、次のとおりである。

前頭部長さ一〇センチ、深さ骨膜に達する割傷、右大腿部打撲傷および後頭部打撲傷(全治一か月)
                  巡査部長  清野伊勢司(三〇)
右拇指打撲傷(全治三週間)     巡  査  堀兵之助 (五二)
胸部打撲傷(全治三週間)      巡  査  小山精司 (二二)
 派出所器物の損害状況
   木製椅子    一基    一五〇円     硝子戸    七枚 五〇〇円
   窓硝子    四九枚  六、四五〇円     警察署の門牌 一枚 三〇〇円
   瀬戸火鉢    一個    一五〇円      計      七、五五〇円
                                (村山警察署沿革誌による)

 この事件に対し、時の県警察部長藤本好雄は次のような談話を発表し、この種事犯に対しては断固取締る旨の所信を明らかにした。

 「警察としては、こういうような集団的威力で警察の執行や施設を破壊するものは徹底的に取締る。警察は集団威力に対しては決してビクビクしない。どれだけの人数をくり出してもやる。この事件を契機として米の買出しをするものを絶滅することにする。売る人もこれからないように協力してもらいたい」       (昭和ニ二年一〇月二二日付山形新聞)


写経屋の覚書-フェイト「この事件も闇米買出しの取締、没収が発端なんだね」

写経屋の覚書-なのは「1947年10月22日付朝日新聞(東京版)にも事件の事は載っているけど、内容はほぼ同じだから省略するよ」

写経屋の覚書-はやて「「神町警備隊に半数の警察官がさかれるので、他の派出所はどうしても手薄になっていた」ってあるんけど、「神町進駐軍のMP」って出てくるから、進駐軍警備のことなんかな?」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。で、闇米を没収された朝鮮人たちが派出所を襲ったってわけ」

写経屋の覚書-フェイト「東北は米の産地だから、どうしてもこの手の事件が多くなるんだね。でも日本人だって闇米の買出しはしてるよね?」

写経屋の覚書-なのは「当然だよ。人口比から見ても日本人の方が多いよ。ただ、朝鮮人・台湾人は取締や没収に対して抵抗したり、この事件のように復讐や米奪還のために警察を襲ったりするってことなの」

写経屋の覚書-はやて「日本の支配から解放されたし、日本の法律や官憲がなんぼのもんや!って意識があったんやろね」

写経屋の覚書-なのは「法秩序についての強制力を持つ官憲の権威が揺らいでいたわけだからね。この『戦後朝鮮人の集団不法行為』シリーズでは、そういった終戦によってもたらされた地位や意識に基づく事件を取り上げて、一般的な犯罪事件は取り上げないんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「『戦勝者意識による暴虐事件』っていうやつだね。一般的な犯罪、凶器を使用しての集団強盗や殺人事件は別に『戦勝者意識』を持ってなくても起こるし、終戦直後の特殊事件じゃないってことなのかな?」

写経屋の覚書-なのは「うん。優越意識に起因する各種犯罪、官公署襲撃・集団押しかけ・要求、警察権類似行為、朝鮮半島の南北抗争に関係する朝鮮人同士の抗争、闇物資の買出し・販売取締への抵抗、大規模酒類密造の取締への抵抗ってあたりを『戦後朝鮮人の集団不法行為』と定義してるの」

写経屋の覚書-はやて「ん?優越意識に起因する各種犯罪ってどんなんなん?」

写経屋の覚書-なのは「たとえば朝鮮人が「敗戦国民のくせに生意気だ」なんて理由で日本人を殺害したり物資を奪った場合だね。先に見た直江津事件があてはまるよ」

写経屋の覚書-はやて「そういうことなんか。なのはちゃん、わたしなぁ、このシリーズ入ってから、その朝鮮人の不法行為ってやつの定義について、どうもすっきりせんかったんよ。これではっきりしたわ」

写経屋の覚書-フェイト「朝鮮人の犯罪=『暴虐事件』じゃないってことだね。そりゃ、よく考えれば日本人だって一般的な犯罪事件を起こしているわけだし、朝鮮人の一般的な犯罪を見ても意味がないよねぇ」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。『朝鮮進駐軍』なんてヨタじゃなくて、実際に朝鮮人はどんなことをしていたのか?を見たいわけだからね。じゃ、今回はここまでにするね」

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