写経屋の覚書-なのは「今回も前回に引き続いて『新潟県警察史』を見るよ」

写経屋の覚書-はやて「ってことは、他にも事件があったんやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。坂町事件って言ってね。ヤミ米の買出し取締がきっかけなの」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、それってウィキにもあったよ。参考文献は『新潟県警察史』と『在日朝鮮人運動』って書いてるね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。じゃまず新潟県警察史編さん委員会『新潟県警察史』(新潟県警察本部新潟県警察史編さん委員会 1959)のp1053~1056を見るね」

写経屋の覚書-新潟1053
写経屋の覚書-新潟1054
写経屋の覚書-新潟1055
写経屋の覚書-新潟1056

 坂町事件  終戦後満一年を経た昭和二十一年九月二十二日、羽越線坂町駅においてやみ米輸送の取締りをめぐり、警察官と中国人及び朝鮮人との間に乱闘を演じたいわゆる坂町事件が発生した。
 戦時中国内の労力不足から、その対策として内地に移入された中国人・朝鮮人その他従来から日本内地に住みついていたこれらの者は、終戦とともにその態度を一変し、警察力の不足と国内法令が彼等に適用されるかどうかの解釈が確立されていない間げきに乗じて、米のやみ取引・酒の密造などを公然と行い経済取締りの〝癌〟となつた。しかし、取締法令適用の点が明確でなかったが、現実には取締りが必要であったため、取締りに当っては常に物議をかもし、結局相互の力関係でその場がきまるという、全く実力闘争の時代であつた。
 当時、県下下越方面には、新発田市に朝鮮人連盟の事務所を置き、その勢力下に岩船郡保内村・金屋村・北蒲原郡乙村を根拠として約二〇〇名くらいの朝鮮人が住みつき、坂町・平木田両駅を中心に山形県方面及び岩船郡下のやみ米を集荷中継して関西方面へ列車輸送し、全く人もなげな態度であつた。一面、国内食糧事情は極度に悪化し、食糧の配給統制は、進駐軍の命令によって戦時中以上に強化され、供米完納は至上命令として警察もその一翼を負わされ、全力をあげてその供出を督励した。
 当時、坂町駅からは一日五〇俵のやみ米が流れるといわれ、これを徹底的に阻止しなければ管内の供米はとうてい完納することができないと認められた。よつて村上警察署においては、警察部の通達もあつて徽底的な取締りに乗り出した。
 事件当日(二十一年九月二十二日)午前○時五十分ころ村上警察署の加藤巡査部長は、署長の命によつて巡査七名を指揮し、羽越線と米坂線が合流する管下の坂町駅構内においてやみ米輸送の取締りに当つた。そのとき、大阪行列車に乗車すべくホームに待つていた鮮・華人四・五〇名は、取締員の姿を見ると大部分が姿をかくした。加藤部長は、これに目を止めながらも、中ホームの先端に、中味が米と認められる荷物七・八個を積んだ運搬車を発見したので、ホームの待合人に「これはどなたのものか」と尋ねると、一五名くらいの一団の中の一人が「おれのものだが、おれは中国人だ」と答えた。さらに身分証明書の提示を求めたところ、他の者はいきなり〝なぐれ!!たたけ!!〟と叫びながら、加藤部長にとびかかつてきた。加藤部長は素手でこれを防ぎながら電灯の近くへ導いたので、これを知つた斎藤巡査が援助し、二人で制止しようとつとめているとき列車が到着し、その列車から二〇名あまりの鮮人が下車して彼等に加勢し、加藤部長と斎藤巡査は警棒まで奪われて乱打された。彼等はさんざん暴行を加え、列車の発車まぎわに全員が飛び秉つて逃げてしまつた。加藤部長らは傷を負いながらも鮮人二名を逮捕し、本署に引き揚げてこの状況を署長に報告した。
 村上警察署では、このにがい取締経験にかんがみ陣容を強化してこれに対処するため、取締計画を再検討していたところ、その日(二十二日)の午後になつて、坂町と金屋の両駐在巡査(いずれも坂町駅周辺の駐在)から「朝鮮人と中国人がやみ米を運搬している」との報告が本署にもたらされた。これによつて本署からは、河津警部補以下一〇名の私服警察官が午後四時ころ坂町駅前におもむき、やみ米がかくされたと認められる丸屋旅館の各室を臨検した結果、精米三俵分(約一八〇キロ)をリュックや麻袋に詰めてあるものを発見、在宿中の中国人二名(内一名は女)に所有者を尋ねたところ、「その者は金屋村方面に出ている」と答えた。そこで、同駐在巡査からのさきの報告の件とも関連があるものと認め、その中国人をも自動車で任意同行して金屋村にむかつた。
 金屋村では、かねてから鮮華人と連結を待つやみブローカー高橋兼太郎が注目されていたので、これをおとずれ承諾を得て屋内を検索したところ多量のやみ米を発見したが、いずれも「中国人からの預り品だ」と主張する態度に出た。このとき戸外が急に騒がしくなったので出て見ると、朝鮮人と中国人一四・五名がまきや棒を手にして、「君達はわれわれ中国人を取り締まる権限をもつているか」とか「丸屋にあった米をなぜ待つてきたか」などとくちぐちにののしりながら襲
いかかってきた。警察側は彼等に傷害を与えることをさけるため極力防御の態度に出たところ、彼等は勢いに乗つて警察官を駐在所前に追いつめ自動車を破壊し、警察官の警察手帳をとりあげ、なぐるけるの暴挙に出たうえ、やみ米を他の自動車に積みかえて河津警部補ひとりを坂町駅前丸屋旅館へ連行し、「殺してしまえ」と意気まく始末であったが、河津警部補は責任者として取締りの必要性を明確に述べたうえ、話し合いのうえで解決した。
 一方、河津警部補が連れ去られた金屋駐在所では、加藤部長以下がはぎしりしながら本署へ状況を報告し、朝鮮人並びに中国人の検束を要望したが許されなかった。金屋村警防団では、警鐘を鳴らして団員を召集し警察を援助するため出動したが、あくまで控え目の態度にある警察官の制止によって手が出せず、かえってとびぐちや木刀類を彼等にとりあげられ、そのうえ彼等は駐在所に侵入し、施設・備品を打ちこわすという破目になってしまった。こうした状況を見かねた金
屋村の遠山医師は、電話で進駐軍の新潟軍政部へ米軍の出動を要請するなどのせつぱつまつた情景も見られ、事態はますます険悪化してきたとき、河津警部補から「話は解結したから坂町駐在所へ全員集合するよう」に、との電話指示があつて警察官全員は引き揚げた。
 事が意外に拡大したという報告をうけた石井署長は、全署員を召集して午後五時過ぎ坂町駐在所にいたり、徹底的取締りを行うべく県本部と連絡を続けながら対策をねり、新発田警察署から二〇名の応援警察官を得て待機していると、進駐軍新潟部隊から情報部長のほか軍政部係官が到着したので情況を報告し指示を乞うたところ、情報部長一行は、朝鮮人と中国人のたむろしいている丸屋旅館にいたつて彼等に対し、「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければなら
ないこと、警察官のやみ米取締りを拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を告げ、石井署長に「責任をもつて取り調べるよう」にと指示して帰任した。連合国軍から取締りの直接指示を受けた警察官は、確信に満ちたものとなり、なおも反抗の挙に出る彼等と乱闘の場をくりひろげながらも、大阪市吹田区旭町二丁目居住の中国人、元料理店主、慕金英(三七)など一一名及び朝鮮人一名、計一二名を検挙して彼等の根拠を破壊することができた。
 彼等の身柄は、その後村上署から新潟署に移され、軍政部員が取調べに当つたが、県外追放と再び本県内でやみ米の買い出しを行わないという誓約だけで釈放された。

写経屋の覚書-はやて「中国人と朝鮮人のヤミ米買出し集団やったんやね」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?『在日朝鮮人運動』のほうは見ないの?」

写経屋の覚書-なのは「『在日朝鮮人運動』はね、次に起こった新潟日報社襲撃事件の項目に概略を書いてるだけだからね、ここでは触れずに、新潟日報社襲撃事件に触れる時に紹介するよ」

写経屋の覚書-フェイト「新潟日報社襲撃事件?」

写経屋の覚書-なのは「うん。この坂町事件の結果起こった事件なの。詳しいことは次回見るよ。で、この坂町事件は新聞記事にも載ってるの」

写経屋の覚書-460924朝日(大阪)

1946年9月24日付朝日新聞(大阪版)
買出部隊また暴れる
【新潟発】十二日午前零時四分羽越線大阪行列車が坂町駅につくや集団買出部隊約五十名が米十五俵をもつて乗り込まうとしたので村上署員が出動、取締りに当つたところ彼らは駐在所などを□□、電話線を切断、乱闘となり警官二十名が負傷したが首謀者十四名を検挙した

写経屋の覚書-なのは「十二日とあるのは二十二日か廿二日の間違いだろうね。こっちでは逮捕者は14名になってるけど、何人(なにじん)かまでは書いてないんだよ。『在日朝鮮人運動』では逮捕者は15人になってるんだけどね」

写経屋の覚書-はやて「警察は進駐軍軍政部から逮捕取締の承認が出るまではえらい弱気いうか低姿勢なんやなぁ…それに結局逮捕はできたけど、取調や処罰は軍政部でやっとるんやね。「県外追放と再び本県内でやみ米の買い出しを行わないという誓約だけで釈放」されるなんて甘いん(ちゃ)う?」

写経屋の覚書-フェイト「え?2月に出たSCAPIN756 Execise of Crimnal Jurisdiction:刑事裁判権の行使SCAPIN757 Review of Sentences Imposed Upon Koreans and Certain Other Nationals:朝鮮人及びその他の国民に言い渡された判決の再審理で、日本官憲が朝鮮人・台湾人に対する取締権限があるって明確になってるのにおかしくない?」

写経屋の覚書-はやて「あ!ほんまや!どういうことなんやろ?」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよねぇ。次回見る新潟日報社襲撃事件や8月に起こった朝鮮人の強盗事件だと、警察が最初から逮捕を躊躇してないし、処罰も日本の裁判所がやっているのに、どうしてこの坂町事件に限って軍政部が取調と処罰をしたのかよくわからないの」

写経屋の覚書-フェイト「経済事犯だからってことでもないよね?」

写経屋の覚書-なのは「うーん…他のヤミ米買出しの取締と逮捕は警察がやってるから違うと思うの」

写経屋の覚書-はやて「結局分からへんねんなぁ…まぁ、自治体によっていろいろ事情や状況が(ちゃ)うっていうんはあるんやろねぇ」

写経屋の覚書-なのは「うん。今度また触れると思うけど、兵庫県の場合、1946年1月16日付のSCAPIN605 Armament of Police Force in Japan:日本警察の武装の発出より早く、1945年12月30日に拳銃武装の許可が出てるしね。それと各自治体と軍政部の関係にもよるだろうしね」

写経屋の覚書-フェイト「軍政部が自治体の姿勢を評価していたり、中の人たちの仲が良かったら、連絡や意志疎通もスムーズに行くし好意的な措置を取ってくれるもんね」

写経屋の覚書-はやて「新潟の場合はそのへんがどうやったんかは分からへんけど。ま、何にしても、この事件も朝鮮進駐軍とは関係あらへんね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。じゃ、今回はここまでにして次回は新潟日報社襲撃事件を見るよ」

大阿仁村事件
生田警察署襲撃事件
大滝事件
富坂警察署襲撃事件
七条警察署事件
直江津事件