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新潟日報社襲撃事件 前記坂町事件は、意外な進展ぶりを示した事件であつたが、さらに、その報道記事にいいがかりをつけた朝鮮人一味は、ついに新潟日報社を襲撃するという事件にまで発展した。
昭和二十一年九月二十三日付新潟日報夕刊は、前記坂町事件を取り扱い、「MPも出動坂町で深夜の乱闘」と題し、「朝鮮人三〇名からなる買い出し部隊が、やみ米一五俵(約九〇〇キロ)を輸送しようとしたのに対し、警察官が取り締つたところこれに反撃を加えて乱闘となり、警察用自動車を破壊し駐在所の電話線を切断、警察官側に負傷者を出したが、MPがかけつけ、一四名が検挙された』という記事(要旨)を掲載し、翌二十四日の朝刊にも報道した。読売新聞もまた同様の記事を掲載した。
当時朝鮮人は、全国的な組織として朝鮮人連盟を結成して団結し、各地における個々のできごとに対しても、常に連盟の名において介入し、一方的に彼等の立場のみにおいて解決しようとしていた時代であつた。
九月二十六日、朝鮮人連盟新発田支部委員長(尹建)以下一五名、韓国僑民会総務部長(蕭泰栄)ほか一名が新潟日報社を訪れ、読売新聞社代表をも呼んで両者代表と会見し、「坂町事件は、朝鮮人が主体でひきおこされたものでなく、新聞発表は事実と相違している。これは日・鮮離間を企図したものであり、朝鮮人の名誉をき損した。よつて社説で朝鮮人連盟と韓国僑民会に対し陳謝するとともに、即時ラジオ放送を通じ、代表責任者から県民にむかつて新聞報道は事実無根であつた旨の声明を発表せよ」と迫つた。日報社側は、社長不在を理由として即答をさけ、「二十九日まで猶予されたい」と答えて了解を得たが、その後新聞社側では、和解する必要を感じて僑民会幹部を通じ、約束の日の前日(二十八日)同会董総務部長ほか二名の幹部を新潟日報社に招いて話しあつた。その際読売新聞社側は、不確実な記事であつたことを認め、社説的な謝罪記事を掲載することで話しあいがついたが新潟日報社側は、「すべては事実が決定することであり、真実がわかりしだいそれによつて取り消すべき点があれば取り消すし、謝罪の必要があれば謝罪する」と、留保の態度に出たため、僑民会幹部は、「事実はすでに明白であるにかかわらず、解決をひきのばすことは誠意のないことだ」として、和解を拒否した。
翌二十九日、朝連新発田支部長尹建以下一八名は、前回約束のとおり新潟日報社を訪れ、松井編集局長外三名の代表者と会見し、二十六日の返答を求めた。これに対し日報社側は、「警察当局と進駐軍情報部について調査中であるから、その結果に基いて善処する」旨を答えたところ「事実は明白なことである」として譲らず、両者の意見が対立し、交渉が長引く形勢になつたため、朝連側の一人がいきなり松井編集局長に向かつて茶わんを投げつけたのを合図とし、いつせいに
日報代表者に暴言を浴せ暴行を加えようとして室内は騒然となつた。この物音で、社外に待機していた残余の朝鮮人も社内の各室に乱入し、いすをなげつけ電話機をたたきこわし、活字ケースをけとばすなど暴行の限りをつくし、見積り額三〇余万円に及ぶ損害を与えたほか、松井編集局長を新潟市内の僑民会事務所に連行したので、所轄新潟警察署においては進駐軍とも連絡し、一味全員を暴力行為等処罰に聞する法律違反の現行犯として逮捕した。
この事件は、終戦以来各地で朝鮮人などの横暴が重なつていた折でもあつて、社会的にも大きな反響を呼んだ。
二十二年三月四日、新潟地方裁判所において、暴行した一味のうち九名に対し、暴力行為等処罰に関する法律並びに業務妨害罪により、辛鐸升に対しては懲役十月、他の八名に対しては懲役六月(いずれも執行猶予三年)の判決が言い渡された。「新潟日報と読売新聞の坂町事件についての報道に対する異議申し立てが発端やったんやね」
「たしかに前回見た坂町事件の警察史の記述だと「大阪市吹田区旭町二丁目居住の中国人、元料理店主、慕金英(三七)など一一名及び朝鮮人一名、計一二名を検挙」ってあるから、尹建たちの「坂町事件は、朝鮮人が主体でひきおこされたものでなく、新聞発表は事実と相違している」って抗議は正当と言えそうだよね」
「ってことは、警察史にあるような「いいがかりをつけた」とは言えへんってことなんかな?」
「ま、この時点で新聞社側が逮捕者の内訳を正確に把握できていたかどうかって問題はあるんだけどね。読売新聞の記事は」
「かんじんの新聞記事はあらへんの?」
「残念だけど、東京の国会図書館に行かなきゃ確認できないんだよねぇ」
「それは残念だね。抗議の結果、読売新聞の方は謝罪記事を載せることにしたけど、新潟日報の方は返答を引き延ばしたんだね」
「そうなの。それでついに朝鮮人側がキレて暴行・破壊をしてしまったって流れだね」
「んー、たしかに新潟日報側のやり方はええこと
「そうだよね。先に手を出した方が負けになるんだし」
「それに、「社説で朝鮮人連盟と韓国僑民会に対し陳謝」はええとしても「即時ラジオ放送を通じ、代表責任者から県民にむかつて新聞報道は事実無根であつた旨の声明を発表せよ」って、なんぼなんでもちょっと調子乗り過ぎやで」
「そうだよね。嵩にかかって過剰な要求をしてるんじゃないかって思うよ。ま、そういうわけで朝鮮人たちは暴力行為等処罰に関する法律・業務妨害罪で逮捕されて、懲役刑が言い渡されたの」
「坂町事件と
「前回も言ったけど、坂町事件が特異なんだよね。どうして軍政部員が取り調べたのかよくわからないし。そうそう、『在日朝鮮人運動』と『在日朝鮮人運動の概況』も見ておくよ」
篠崎平治『在日朝鮮人運動』(令文社 1955)p264
附録第一
重要特異事件一覧表
昭和二十一年 自九月二十二日 至九月二十九日 | 新潟県岩船郡金尾村及び新潟市 | 新潟日報社襲撃事件 (主食取締) | 岩船郡金尾村において所轄警察署が中国人及び朝鮮人が関係する主食取締を行つた処中国人一五名、朝鮮人約五十名がこれを妨害し警察官七名に軽傷を与え更に巡査駐在所に侵入して器物毀棄等の暴行をなしたので警防団、隣接警察署、進駐軍等の応援によりこれを鎮圧し被疑者十五名を検挙した処同月二十九日朝鮮人十九名が新潟日報社を訪れ記事の内容が事実に相違すると記事の取消と謝罪を要求したが納得のゆく回答を得られなかつた事に憤激し新聞社員三名に軽傷を与え窓ガラス、椅子等多数を破壊する暴行をなしたので全員検挙した。 |
坪井豊吉『在日朝鮮人運動の概況』(法務研究所 1959)p237
(三)新潟日報社襲撃事件
九月二二日岩船郡重尾村で、警察官の主食取締を中国人一五名と朝鮮人約五〇名が妨害し、警察官七名を負傷させた。さらに駐在所を襲撃して暴行破かいをおこなつたので、警防団や進駐軍の応援で鎮圧し一五名を検挙した。ところが二九日、朝鮮人一九名は新潟日報社におしかけ、この事件の報道記事は事実に反するから取消せと迫り、社員三名に暴行の上暴行破かいをおこなつたので、その全員を検挙した。
「あれ?事件発生場所が『在日朝鮮人運動』だと「金尾村」、『在日朝鮮人運動の概況』だと「重尾村」になってるよ?正しくは金谷村だよね?」
「うん。どういう経緯で間違ったのかは分からないけど、おかげでネット上の坂町事件や新潟日報社襲撃事件についての記述の引用元が分かるんだよ」
「?あー!金尾村って書いとるサイトは『在日朝鮮人運動』から引用、重尾村って書いとるサイトは『在日朝鮮人運動の概況』から引用しとるってことやな」
「そういうこと。他のサイトのコピペってこともあるんだろうだけど、遡っていくとどの参照元に行きつくかわかるってことなの。古典文学や史料の研究と同じ手法なんだけどね」
「それってどういうこと?」
「『平家物語』や『太平記』のような古典って、基本的には写本で受け継がれていくんだけど、写本を繰り返すうちに誤字や脱字、写し間違いとか追記、改竄される事が多いの。だからその誤字等の有無で、いつの時代に写本されたかとか、どの写本を写したかとかが分かったりするの」
「伝播史いうか系統が分かるってことやね」
「へぇ。そんなことがわかるんだ」
「研究の基本なんだけどね。それはともかく、この事件も朝鮮人組織を代表した集団の暴力行為、不法行為だけど、新聞記事への正当っぽい抗議が発端になったものだし、よく言われる横暴とは少し違うってことは分かったよね」
「結果的に暴力行為に訴えた点はダメだけどね。あと過剰気味な要求も」
「せやな。それに言うまでもあらへんやろけど、朝鮮進駐軍とも何の関係もあらへんね」
「じゃ、今回はここまでにするね」
大阿仁村事件
生田警察署襲撃事件
大滝事件
富坂警察署襲撃事件
七条警察署事件
直江津事件
坂町事件