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1946年1月28日付朝日新聞(大阪版)
七条署事件の真相
既報=二十四日京都七条署附近における紛擾事件は今後の日華鮮提携にとりまことに悲しむべき不
一、京都駅に掲出の「旅日京都華僑聯合会出張所」「 |
二、彼らは兇器を手にして署長室に乱入、われらは馮手のためなす術もなく たゞ彼等のなすまゝであつた |
三、暴力団は署長が彼ら不良徒輩を使嗾し協力を求めたことは「親分頼むぞ」の一言を |
四、駅前に回答の結果をまつてゐた当方一同のものは、事態の危□をみて救援に赴かんとするので辛うじて抑制し阻止した |
五、四時半頃また〱暴力団が白鉢巻で日本刀、竹槍、鳶口、棍棒等を振回し「支那人、朝鮮人をやつつけろ」と呼号して来り七条署附近にゐる中華人、朝鮮人に危害を加へ来り重ねて事件をひき起す結果となつた |
華僑青年隊□□□山氏談 今回の事件はまことに日華提携のため□
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第三国人の犯罪 犯罪の一般的増加と凶悪化、集団化という終戦直後の特異な現象はすべて終戦という結果がもたらすものであった。またこれら犯罪者の多くは外国人(非日本人)とされた朝鮮人、台湾人等のいわゆる第三国人であったことも特質のひとつといえよう。
特に東京・大阪・神戸・横浜などは第三国人が多数居住していた関係からそれが最も顕著にあらわれたのであった。これらの第三国人の犯罪取締りについては、のちにGHQから刑事裁判権の付与、警察権等が明示されたが、終戦直後の取締りは容易でなく、「ヤミ市」や土地の不法占拠等のほか集団的不法事犯があいつぎ、ついには警察署が襲撃され留置中の被疑者が奪還されるなどの事件が発生した。
これらの集団による警察署襲撃事件としては、二〇年の市岡署襲撃事件をはじめ被疑者奪還を企画した二一年一月ニ八日の西淀川署襲撃事件、同年三月一三日の曽根崎署襲撃事件①、同年一二月額田署に対する留置人即時釈放要求などがある。
なお、二一年三月、大淀区田辺製薬工場で発生した集団強盗犯人の逮捕に際し、犯人の銃撃によって大淀署八田信吉巡査が殉職した。
① 二一年三月一三日、曽根崎警察署はヤミ市場の一斉取締りを実施中、第三国人七人を検挙したが、直ちに、約一六〇余人の朝鮮人・台湾人・中国人らが被疑者奪還を企て、けん銃・こん棒などを持ち同署を襲撃した。制圧にあたった警察官一八人が全治三週間の重軽傷を負った。 |
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桜橋・産経新聞社裏
泉大津市 花野久治(四八歳)
三食たべさせてもらえるという魅力で、敗戦直後上阪、大阪・桜橋の建築現場に三年間住み込んだ。産業経済新聞社のウラ手にもう一カ所輪転印刷の工場を新設する仕事だったが、ある日、周囲がにわかに騒然とした。新聞記者やカメラマンが色めきたって飛びだしていく。「なんや、事件か」と、仕事をほうり出してあとを迫うと、曽根崎署が朝鮮人や台湾省民に包囲され、小石やレンガを投げこまれていた。警官は六尺棒(警杖)をもつだけで丸腰。手をこまねいて見ている。どうなることかと思っていると、ほどなく進駐軍のジープや装甲車が到着した。ただちに付近の道路は全面通行禁止。装甲車は曽根崎署前の十字路に位置を構えると、上部の入口から兵隊が顔をのぞかせ、ゆっくりと機関銃を一巡させる。かたわらを、五、六人で一組になった日本人警官が六尺棒をかついで走っていく。その緊迫した空気、威圧感にブルッとふるえたものだが、どうしたわけか、この出来事があとになって報道されたという記憶がない。カメラマンのフラッシュは、あれほどあちこちでたかれていたのに……。「え?「どうしたわけか、この出来事があとになって報道されたという記憶がない」って、新聞には載らなかったってことなの!?」
「せやけど、個人の証言やで。鵜呑みにはでけへん」
「だから朝日新聞(大阪版)と毎日新聞(大阪版)を調べてみたんだけど、載ってなかったの」
「ほんまに載ってへんねや!」
「どういう理由で記事にしなかった、あるいはできなかったのかまでは分からないけどね…でも、日本政府からGHQへの報告にこの事件のことが載っているの」
「日本政府からGHQへのの報告?このブログ以前に作者がHPで見ていたCLOのことだね」
「あー、日本政府とGHQの間で連絡調整をやっとった終戦連絡中央事務局(Central Liaison Office)の文書のことやな」
「うん。じゃ、1946年4月1日付CLO1505 Korean-Formosan-Chinese Attempt to Free their Arrested Compatriots:鮮・台・華人等の集団的犯人奪還事件発生に関する件から事件概要について日本語訳を見るよ」
3. 大阪府曽根崎警察署から報告された事件の概要について、以下の通り提出する。
a. 発生日時:3月13日午後4時40分ごろ
b. 場所:大阪市曽根崎警察署
c. 事件概要:主食販売の管理強化を目的として、約40人の警官隊が曽根崎署員から動員された。大阪駅前の青空市場で任務を遂行するうちに、米飯1杯を10円で販売していた7人(ほぼ朝鮮人)を逮捕し、警察署に拘引した。
すると、150人以上の朝鮮人、台湾人及び中国人が逮捕された仲間の奪還を企図して拳銃と棍棒で武装し、警察署を襲撃した。暴徒と侵入を阻止しようとする警察官の間に混戦が生じ、その結果およそ18人の警察官がひどく負傷した。
しかし、幸いなことに、大阪市配備の進駐軍憲兵の協力によって、警察官は発砲で暴徒を威圧し、暴徒60人を逮捕することができた。現在彼等は近辺の警察署に拘留され取調べ中である。「うーん、あまり詳しくないねぇ…」
「そうなんだよね。実はこのあとに詳報があるんだよ。5月27日付CLO2566 Korean-Formosan-Chinese Attempt to Free their Arrested Compatriots:鮮・台・華人等の集団的犯人奪還事件発生に関する件から事件の詳細についての日本語訳を見るよ」
2. 参照覚書で概要を報告した主題の事件に関して、大阪地方裁判所検事局は更に審理を行ない、その結果、後述の項目aに記された6人を拘置し、「暴力その他の行為の罰則に関する法律」の罪状で起訴し、裁判書類が大阪地裁で作成されている。容疑罪状に関する状況は以下の通り。
a. 容疑者
台湾人 コウエンセン(27)
同じく ゴウテンフク(28)
同じく チョウテンテイ(25)
朝鮮人 リエイフ(32)
同じく 金本一郎(25)
同じく リンケンソウ(29)
b. 容疑事項
1946年3月13日午後0時30分ごろ、大阪府の曽根崎警察署は主食商人の大検挙を開始して、規則に違反して肉野菜のごった煮露店などを大阪市のいわゆる梅田自由市場で保有していた台湾人カク□他10人を逮捕した。詳細は以下の通り。
(1) 同日午後1時ごろ、コウエンセンは10人以上と共に警察署長室に無理に押し進み、「逮捕された仲間を即時釈放しろ。さもなくば警察署を焼き払う」「友人たちの面子を潰した以上、お前にも手錠をかけて市場に引き出してやる」等々の恫喝的な言葉で山口コウタロウ署長を脅迫した。
(2) 午後3時ごろ、コウエンセンは30人以上を連れて署長室に突入し、逮捕された同胞を直ちに解放するよう要求した。署長はきっぱりと拒否し、彼等は隣室に入って偶々そこに居合わせたタカダトシイチ防犯部長の襟をつかみ頬を殴打した。他の数人は情報担当警官のヤマネタツジロウを囲んで腕を激しくねじあげた。
(3) 午後5時ごろ、暴徒の力で逮捕者を奪還するため、6人の容疑者は何百人もの仲間と警察署を包囲し、暴徒の頭目となったコウエンセンは数人の仲間と共に署長室に突入し署長を脅かそうとして、署長を取囲んで声を張り上げて脅迫し激しく圧迫した。他の容疑者金本一郎とチョウテンテイは多くの仲間と警察署に入って机上の本を警察官に投げ電話線を切断するといった暴動を行なった。さらに他の容疑者、ゴテンフク、リエイフ及びリンケンソウは、何百人もの仲間と協力して警察署外部から投石し、窓ガラスと備品に損害を与えた。
c. その他の情報
(1) 事件発生直後、曽根崎署員は進駐軍憲兵の協力で50人以上の容疑者を逮捕し、直ちに到着した検事による尋問が行われた。
(2) 主要な暴徒は6人と推定され、他の者は釈放された。
(3) 事件の主要な発起人とみられる台湾人のチンバイハ及びタンスイロは、その場から約200人の仲間と共に逃走したが、彼らの逮捕は難しいと考えられる。
ふぇ:闇市の取締で逮捕された仲間を奪い返そうとして台湾人・朝鮮人が押しかけたんだね」「ほんで代表者ら30人が署長室に乗りこんで恫喝したり暴行したりして、外におる他の連中は曽根崎署に石を投げたんやね。そこへ進駐軍の憲兵隊が駆けつけて曽根崎署員と合同で逮捕したいう展開なんか。『大阪・焼跡闇市:かつて若かった父や母たちの青春』の記述とほぼ
「で、日本の裁判所で審理しているみたいだけど、判決はどうなったのかな?」
「それがね、続報が無いから分からないの」
「なんや、しまらへん話やなぁ…」
「そうなんだよねぇ…この事件だけじゃなくて、市岡警察署、西淀川警察署、額田警察署の襲撃事件も新聞には載ってなかったし、追いかけようがないんだよ」
「全ての事件が新聞に載るというわけでもないしねぇ…」
「うん。そういうわけで消化不良の感じもするけど、今回はここまでにするね」
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