写経屋の覚書-フェイト「今回も警察署襲撃事件を見るのかな?」

写経屋の覚書-なのは「違うよ。今回はね、テキヤとの衝突抗争事件を見るの」

写経屋の覚書-はやて「テキヤいうたら祭りの露店とか出しとる人やんな。で、どんな事件なん?」

写経屋の覚書-なのは「津別事件って言ってね、北海道の東部、網走市の隣にある津別町で起きた事件なの。じゃ、北海道警察史編集委員会『北海道警察史(2)昭和編』(北海道警察本部 1968)のp773~777を見るね」

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 第二 津別町におけるてきやと朝鮮人の抗争事件

てきやの結束 終戦後の道内各地に暴動事件を引き起こした華人・朝鮮人等は、年末までに大半が送還されて平穏を取り戻しつつあったが、昭和二十二年になると、残留した華鮮人が、各地祭典等の露店を荒すなどの事件を起こすようになった。これに対して露店側でも敗戦国民のあきらめもあって、その都度親分が子分をなだめて謝罪するというように、下手に出て事の拡大を防止して来た。
 しかし、全道各地の夏祭りが盛んとなり、その都度行なわれる華鮮人の横暴に対し、てきや側の憤りは頂点に達していた。すなわち、「このような横暴に対し断固一撃を加えなければ、一般民衆も恐れをなして露店に集まらなくなる」ということから、てきや親分の安達久蔵・関久保・山本律之助・出村増次・吉村良治・小高竜湖等が集まり、本道の祭典の最後である津別神社の秋祭りに反撃するということを謀議し、これには全道のてきやはもちろん、内地のてきやも呼んで大挙露店を張ることとして、津別神社の秋祭りを迎えたのである。
津別神社内での小ぜり合い 昭和二十二年九月十日の津別神社祭典は、かつてないほどの露店が立ち並び、町民の出も多く盛況をきわめていた。昼近くになって人出も増した午前十一時三十分ころ、渡辺吉夫(二二)の針回し遊技場に酒気を帯びた朝鮮人三名が現われ、遊戯料を支払わずに遊んだうえ、露店をひっくり返したのである。その場に居合わせたてきや数名は、その三名を捕まえて袋叩きにしたことから、大事件に発展することが予想されたが、その場はてきやと朝鮮人の両代表が中に入り、両者話し合いのうえ落着することとなった。
 しかし、これに憤慨した朝鮮人側では、さっそく朝鮮人連盟北見支部に連絡をとり、応援を求めたのである。そのため津別町内には「朝鮮人が復讐のため多数来町し、街を焼き払う」とのうわさが流れ、これを聞いたてきや側では全部の露店をたたみ、約百名が集まって北見からの朝鮮人を迎え撃つ気構えを示し、不穏な形勢となった。
警備措置 当時津別町には巡査部長派出所があり、巡査部長・巡査の二名が配置されていたが、祭典当日は隣接駐在所から巡査一名と美幌警察署から巡査四名の計五名を派遣し、七名が祭典中の取締りに当たっていた。しかしこれだけでは、万一てきやと朝鮮人の出入りが発生した場合に対処し得ないので、本署司法主任の川村松正警部補以下制服員七名、私服員二名の計九名を派遣、現地七名と合流して警備に当たることとした。また、地元消防団員七十名の応援も得て、これを三班に編成し、一班はてきやの集結場所、一班は応援朝鮮人の来町阻止に配置、他の一斑を予備隊として有事に備えた。
両者の衝突 連絡を受けた朝鮮人連盟北見支部では、同胞約二十名を集め、トラックに乗車して同日夕刻北見を出発し、途中美幌町市街で竹槍・棍棒等を積込み、さらに同胞を集め二台のトラックに分乗した約五十名が、午後七時三十分ころ津別へ向かった。この連絡を受けた川村警部補は、これを阻止すべく美幌に向かい、上美幌小学校付近で朝鮮人のトラックと遭遇したので、状況を説明して引き返すことを勧告した。朝鮮人は「同胞の負傷者を収容するために来た。見捨ててはおけない」と主張して譲らなかったが、結局「負傷者は警察が収容する。てきやの代表と会談して円満に解決するように」との川村警部補の提案を了承した。
 一方、てきや側では、警備員の阻止をもきかず津別町市街から約千五百メートル離れた通称五十八番踏切付近まで前進し、ここに待ち伏せて朝鮮人を迎え撃つ準備をしていた。かくて朝鮮人のトラックが現場に到着するや、てきや側ではトラック目がけて殺到しようとした。警戒中の警察官・消防団員がかろうじてこれを食い止め、川村警部補が中に入って双方から各三名の代表者を出して交渉させることとした。
 てきや側から上州寄居一家の関久保(旭川)、源清田大国玉一家の山本律之助(名寄)、武田義雄の三名、朝鮮人側から長谷川某、友田某、坂本某の三名を出し、互いに約五十メートルの距離をおいて交渉に入ったが、意見が対立したまま交渉は進展せず、午後十時三十分ころになった。白鉢巻をしたてきや側は、所々に焚火をし酒で気勢をつけている。午後十時五十分ころ、津別町消防団では全消防団員の非常召集と町民に対する警戒のため、サイレンを吹鳴したところ、てきやが「朝鮮人が町に火をつけた」と言い触らしたため、現場はさらに喧騒をきわめた。そこで警察では、最後の解決策として暴行朝鮮人三名に謝罪させ、破壊した露店を弁償させることとし、朝鮮人三名を選定して一時間以内に前記三名を連行することを条件に津別町市街に向かわせた。このころ、町民も続々と現場につめかけ、その数およそ三百名に達し、朝鮮人の平素の横暴をなじり、今にも朝鮮人のトラックに打ちかからんばかりの形勢であったが、警察官・消防団の制止により大事が食い止められていた。
 かくて津別町市街から朝鮮人の来るのを待つうち、午後十一時二十分ころ、朝鮮人側から「バン!」という音が聞こえ、打ち上げ花火のようなものがトラックの上を飛び越えててきや側の方に落下した。これを朝鮮人の挑戦とみたてきや側では突然騒然となり、警察官等の制止もきかず喚声をあげてトラックに迫って包囲し、後方の町民もこれに加勢して石を投げつけた。これに応戦すべくトラックから降りた朝鮮人は、片っぱしから棍棒を見舞われ、逃げる者はてきやの袋叩きにあった。
 乱闘は約三十分間に及び、警察官・消防団員・てきや親分等の制止によって、午後十一時五十分ころようやく収まるに至ったが、この衝突で朝鮮人側に死者二名、重傷者十三名、軽傷者六名を出し、てきや側では軽傷者六名を出した。
事態の収拾 翌十一日、美幌警察署は朝鮮人・てきや双方の関係者を調査し、五十三名を騒擾罪および殺人罪で検挙したが、てきや側はなおも市街地に集結し、全道各地のてきやに連絡をとり、また、朝鮮人側も、全道の朝鮮人連盟支部等に連絡するなど、全道的事件に発展しそうな不穏な形勢となった。
 しかし、警察側では警備警察官を増員して警戒に当たる一方、両者の説得に努め、進駐軍に連絡した結果、旭川の進駐軍から飛行機四機が出動し、約二時間にわたり津別上空を超低空飛行したので、双方とも恐れをなし、さしもの事件も全く鎮静するに至った。

写経屋の覚書-はやて「最初に酔っぱろた朝鮮人3人が、お金払わんと遊んだ上に店ひっくり返しよったんで、みんなで袋叩きにしたんやな。で、朝鮮人とテキヤの代表者が介入して話し合うことでとりあえずその場は収まったと」

写経屋の覚書-フェイト「でも、朝鮮人側は朝連支部から応援を呼び寄せて襲撃の用意をしたんだね。テキヤの方もそれを迎え撃つ用意を始めて、警察も衝突を防ごうと手配をしたってことかな」

写経屋の覚書-なのは「うん。警察の制止で何とか衝突は阻止されながら、朝鮮人とテキヤの代表者同士の話し合いが続いていたんだけど、朝鮮人側から花火のようなものがテキヤ側に打ちこまれ、ついに乱闘になったの」

写経屋の覚書-はやて「…どうせ、テキヤ側からの挑発があったとか、これを口実にしてテキヤ側が先制攻撃をしてきたとかいう言説があるんやろなぁ。「本道の祭典の最後である津別神社の秋祭りに反撃するということを謀議」っていうさかい、テキヤ側が襲撃計画を練っとったとか言うて」

写経屋の覚書-なのは「それがほんとにあるんだよね。林白言『じゃがいもの花』(北海道新聞社 1976)って本なんだけどね。それはほっておくとして、祭りのたびに朝鮮人たちが露店に横暴を働くということで、テキヤの方も津別神社の祭りにあたって反撃する準備はしていたのは事実だろうね」

写経屋の覚書-フェイト「警察や消防団、テキヤの親分がテキヤ・町民と朝鮮人の乱闘を何とか制止したけど、朝鮮人側には死者が出たし、テキヤ・朝鮮人両方とも逮捕者が出たんだね」

写経屋の覚書-はやて「ほんでその後、警察は警戒を厳重にして両者の説得を行ない、進駐軍も警戒飛行をしたから事態は鎮静化したってことやけど…そんなに簡単に収まるもんなんかなぁ?」

写経屋の覚書-なのは「実は、進駐軍軍政部の司令官室で、司令官と警察署長の立ち会いのもとで朝鮮人代表者とテキヤの大親分が手打ちをしたっていう話はあるんだけどね…」

写経屋の覚書-フェイト「けど?」

写経屋の覚書-なのは「ソースが『実録○○』の類の週刊誌なの」

写経屋の覚書-はやて「あー、暴力団の記事ばっかり載せとる週刊誌やね。ちょっと前まではコンビニにも置いとったなぁ」

写経屋の覚書-なのは「うん。作者が2年ほど前に、時間潰しに寄ったコンビニでふと見つけて立ち読みしたら、戦後の親分特集の記事の中にその話があったの」

写経屋の覚書-フェイト「警察史にも出ている上州寄居一家の関久保、源清田大国玉一家の山本律之助、武田義雄あたりの話なのかな?」

写経屋の覚書-なのは「作者もはっきりとは憶えてないんだけど、たしか源清田大国玉一家の山本の兄貴分か親分筋の人物だったように記憶してるの」

写経屋の覚書-はやて「まぁ、有りそうな話かもしれへんけど、裏は取れへんしなぁ」

写経屋の覚書-なのは「もちろん。この事件は当然『朝鮮進駐軍』と関係もないんだけど、前回定義した『戦後朝鮮人の集団不法行為』の範疇に入るか少し微妙といえば微妙なんだよね」

写経屋の覚書-フェイト「あ!そっか。祭りのトラブルから発生した集団抗争で、官憲への反抗でもないし戦勝者意識による横暴な行動でもないもんね」

写経屋の覚書-なのは「そういうことなの。まぁ、朝鮮人の関与した事件だというのは事実だし、とりあえずテーマは『戦後朝鮮人の集団不法行為』にしておくよ。じゃ。今回はここまでにするね」

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