民営文化センター -85ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

太宰府 観世音寺三十三間堂跡東にある万葉歌碑に、和歌“しらぬひ筑紫の綿は身につけていまだは着ねど暖かにみゆ”が 刻まれている。

 

 

ここでは救世観音をはじめとした仏像群が近畿へ運ばれるために筑紫の綿で梱包される、涙を誘う情景が歌われている。

 

 

「移築説」抜きでは気付くことのない発想であるので、齋藤茂吉等、万葉学者の誰もここまでたどり着けない。

 

 

誰が選んだのか石碑の設置場所はマッチしている。

 

 

 

2015.2.12.に載せたものは意味不明のところが多く、書き直しました。(20174.22.)

 

 

毎日新聞社発行の55千円(ただし、古書市で9000円)もする桂離宮の写真集にある図面は総てメートル法で表記されており「尺」の文字は出きません。

 

 

その数値に基づき御殿の畳の長辺(1間)を1尺=303cm(曲尺)で計算すると6.5尺となります。

 

 

この6.5と言う値を米田良三氏の提唱するィ尺(1=281cm)に換算すると6.5×303÷2817.00889・・・・

 

 

つまり7尺となります。

 

 

桂離宮が倭国の建物が移築されたとすると、倭国で使われた畳のサイズは7尺×3.5尺となり自然です。

 

 

桂離宮が江戸初期の新築だとすると、畳のサイズは6.5尺×3.25尺、と半端な数値となり不自然です。

 

 

寺院建築物の全集で図面を見る機会があったらィ尺に換算してみましよう。

 

 

ィ尺、曲尺どちらの場合にも整った数値が得られない場合は、柱の“内倒し”等が原因かを疑います。

 

 

秋篠寺とか浄瑠璃寺のように何となく可愛い感じがするのは倭国からの移築か?

 

 

興味は尽きません。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず第一に、真面目に医者の言うことを聞いている患者に限って元気がない、と言う印象は確かにあります。

 

 

「将来のために今、元気がないのは仕方ない」という考え方は、抗がん剤で苦しめられている患者が、「この苦しさを乗り越えれば治るのだ」と信じ込まされているのと同じ構図でしょう。

 

 

とても面白い症例を経験しましたので紹介します。

 

 

87歳の元気な男性が、「昔の帯状疱疹の後遺症かもしれない」と軽度な肋間神経痛と自己診断し来院。

 

 

本音は大病院で徹底的に全身を調べてもらいたくて、ダイレクトな受診の際に必要な5400円を節約するための紹介状が欲しかっただけのことです (本人も認めている)

 

 

これからが本題です。

 

 

紹介状に対する返事です。

 

 

「・・・採血の結果HbA1 9.7と高値を認めました。

 

 

神経痛の症状はこちらとも関連があることが予想され、ご高齢ではありますが治療適応と判断し当院内分泌糖尿病内科に診察依頼させていただきました。

 

 

このたびは大変貴重な症例をご紹介いただきありがとうございます。・・・」 

 

 

そして、内分泌糖尿病内科に回されます。

 

 

「・・・しびれのことは前から変わらないので気にしていないとのことでしたが血糖値268、HbA1c 9.4%の無治療の糖尿病がありましたので治療をお勧めいたしました。・・・」 

 

 

高血糖が続き、無治療でありながら視力、腎機能、神経症状ほとんどなし、という87才の大変貴重な症例に早くも週1回朝1錠の新薬が処方されました。

 

 

何もしなければ、自分たちが日ごろ正しいと信じて行っていることを反省するチャンスだと思うのですが・・・ 

 

 

間もなく90歳になろうという人間に対する敬意が主治医に感じられないのは私だけでしょうか?

 

 ここをリンク

 

 

現在、『続 法隆寺は移築された』を作り直し中です。

 

 

初版の出来映えは、今見るとひどいもので、お求め頂いた方々には申し訳なく思っています。

 

 

改訂版完成の暁には、全員に贈(送)らさせていただきます。

 

 

改定中の今、つくづく思いますが、米田氏は凄い人だと思います。

 

 

内容は過去の4書(新泉社版)と重複する部分は多いのですが、何かしら見る角度が微妙に異なっており、将来、説が発展することを予感させます。

 

 

実際この後、長谷寺と平等院の九州時代の所在地が突き止められましたし、和歌の数量的分析等によって「万葉」、「古今」、「新古今」も倭国時代に編纂されていたことが証明されました。

 

 

「源氏物語」も国文の人たちが絶対にやらない方法で検討されています。

 

 

「清明上河図」の秘密も暴かれています。

 

 

極端な説が定説となるには時間が必要であり、困難も伴いますが、だからこそ、やりがいがあります。

 

 

因みに、米田氏の第2書 『建築から古代を解く』 は、"目の上のたんこぶ"  的存在”であり、増刷が拒否されるのみならず、出版社の(絶版を含む) リスト からも消去されています。

 

 

4書の中で著者自身がナンバーワンと推奨していた一冊です。

 

 

 

 

 

 

 

 

太宰府の観世音寺の北のはずれに、東西にバカ長いお堂があったことを偲ばせる礎石群(写真)が並んでいます。

 

 

現地の解説ボード(写真)によれば全く根拠のない、僧房だとか、その中央に馬道があった等と言いたい放題です。

 

 

ここに在ったのは、現在、京都に在る三十三間堂であり、米田良三氏は誰も反論できないだけの移築の根拠を発表しています。

 

 

実は、この研究にアカデミズムの面々は戦々恐々なのです。

 

 

その根拠は彼らの発掘の方法にあります。

 

 

行われた発掘はルール無視のひどいものでした。

 

 

礎石周りを繊細に削ることなく、まるで道路工事並みのやり方で、ツルツルの面を露出させています。

 

 

あとは観光客のために適当に礎石を再び並べました、というのですから開いた口が塞がりません。

 

 

ここで一番問題なのは柱間の長さなのです。

 

 

京都三十三間堂のそれと一致することが知られてはまずいのです。

 

 

しかし、彼らにも良心のかけらが残っているらしく、礎石群のうち、南側の一列は未発掘のまま残されています。

 

 

五重塔跡の傍にある解説ボードにもミスがありますが、これについては別の機会に・・・

 

 

 

 

 

 

 

今まで、花とか宝石に縁のない生活を送ってきましたが、身の回りに花々があれば、悪い気はしません。

 

 

これは、70うん回目のHappy Birthday to me の花束です。

 

 

AB&JC の玄関にある小さな花壇には、庭いじりの名手であるスタッフが季節の花を用意してくれます。

 

 

昨年の夏の向日葵です。

 

 

これは今日撮った白いチューリップです。

 

 

周りのカラフルな花が咲きそろい数ヵ月後、おもむろに主役が登場した感じです。

 

 

花壇は歩道に面しているので、皆さんに楽しんでいただいておりますが、一度、花泥棒にやられたことがあります。

 

 

盗んだ花を眺めて、どんな心境なのか聞いてみたい気がすると同時に、国全体が劣化していると痛烈に思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パソコンを始めたばかりの頃に制作しましたので、出来映えは、その後の3作に比べ随分見劣りし、お求め頂いた方々に申し訳なく思っております。

 

 

そこで、作り直そうと考え、見直しを開始したところです。

 

 

以前のように著者とディスカッションできませんので、本文をいじることは出来ません。

 

 

レイアウトを工夫したり、新発見事項を含めた「注」などをコラム的に掲載する予定です。

 

 

初心者向けの作りを目標とし、タイトルも『続 法隆寺は移築された 米田建築史学入門』とし、1年以内完成を目途(読み方に注意!)にしています。

 

 

以前、お求め頂いた方々には送料のみ負担していただければ、お送りするつもりです。(今のところ)

 

 

 

 

先日、触れた『柿本人麿の真実』のA5・ハードカバー・愛蔵版ですが、あと1ヶ月ほどで出来上がります。

 

 

内容は初版(B5・ペーパーバック版)と同じです。

 

 

それにしても「愛蔵版」って、マニアをくすぐる言葉ですね!

 

 

上記2書に付き、お問い合わせのある方はメールabandjcclub@gmail.com下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中2の時、友人宅でキングストン・トリオの「 トム・ドゥーリー 」をポータブル・プレーヤーで繰り返し聴いていました。

 

 

バンジョーのサウンドに心動かされ、冒頭の語りの部分は覚えてしまいましたが、最後のフレーズは「桃色パンツだーい」とふざけあっていました。

 

 

中3の夏にブラザーズ・フォーの「 グリーン・フィールズ 」に出合い、美しいハーモニーの虜になってしまいました。

 

 

ブラ・フォーの来日は何度もありましたが、ライブに行ったのは大学に入ってからのことで、すでに全盛期は過ぎていたように思えました。

 

 

 P,P&M の影響は凄まじく、今の若い人には理解不能かと思いますが、大学生を中心に雨後の竹の子のように、数え切れないほどのコピーグループが生まれ、マリーさん役の女の子は例外なくロングヘアーでした。

 

 

爺さん、婆さんになった今でも、やっているグループがあります。

 

 

さすがに髪は切っておりますが・・・・ 

 

 

,P&Mのライブはアメリカで完璧なパフォーマンスを見ることが出来ました。

 

 

その後1ヶ月ほどでグループは解散し、マリーさんはソロになったのですが、パッとせず、再結成の時には以前と違う声になっておりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

電波搭としての役目を既に終えているテレビ塔です。

 

 

札幌のものと似ていますが、それもそのはず、設計者は同じです。

 

 

名古屋のシンボルマーク的存在(外から眺める為のものとして)ですので、壊すわけには行かず、大金をかけて保存することになっています。

 

 

前回の繰り返しになりますが、お城も同じ発想で臨めばよい、と何度でも言わせてもらいます。

 

 

モノクロ写真は東京オリンピックの年のものです。

 

 

最近の写真と比べると随分空が広いです。

 

 

この「栄」界隈で昔からある建造物は、このテレビ塔と中日ビルぐらいのもので、このビルも数年後建て替えが始まります。

 

 

名古屋のダメなところは、歴史を感じさせるスポットを残す配慮に欠けている点です。

 

 

テレビ塔ひとつだけでは寂しすぎます。

 

 

人気都市ランキングが上昇しない“星の数ほどある”理由のひとつがこれだと思います。

 

 

 

 

 

 

私が生まれて2ヶ月弱、名古屋城の天守閣(木造)は其処にあった。

 

 

ヤンキーの阿呆が爆弾を落とし焼失。

 

 

小学校時代、主のない天守台をこの目で見ている。

 

 

情けないもんです。

 

 

報道によれば、いよいよ建て替えに向けて動き出したようです。

 

 

現在の世界情勢が分かっていれば、とてもそんな気になれないと思うのですが、市長、議会、市民、皆んな何を考えて生きているのやら。

 

 

愛想が尽きて、名古屋に戻らない決意はますます強くなりました。

 

 

この件については、このブログで色々書いてきましたので、以下にリンク先を並べます。

 

 

名古屋城天守閣建替え ― 誰も気付かぬもうひとつの選択肢 ―

 

名古屋城天守閣建替え(続)

 

 名古屋城天守閣は欠陥建築

 

名古屋城天守閣の窓

 

「魅力せゃーてー」と言われちゃった名古屋市

 

 名古屋に戻るのはやめた  

 

 金沢城そして名古屋城 金沢はやっぱりいい

 

 建て替え賛成の人もいます

 

 

工事に当たり、既に利権のネットワークが固まっているはずですので、この先、建て替えが見直されることにはならないでしょう。

 

 

最悪のパターンとしては、鉄筋天守閣を壊してみたものの、次のステップに進めなくなって、私が少年時代に見た天守台だけがぽつんと其処にあるといった風景が長期間続くことです。

 

 

天守閣はマンションではありません。

 

 

外から眺めるものです。

 

 

そのまま其処に在ればいいではありませんか。

 

 

わざわざ壊すバカが何処にいる?

 

 

(名古屋市役所にいる。)

 

 

熊本城の例を見るまでもなく、石垣が崩れたなら木造も鉄筋も関係ありません。

 

 

熊本の人たちは、おらが城に入れなくてもいいから、せめて外観だけでも綺麗に昔通りに戻ってほしいと切に願っているはずです。

 

 

名古屋がバカだと言われる所以です。