前回書いた「何度チェックしてもミスプリントは“0”にはなりません・・・」が 現実のもの
となってしまいました。
ミスがいくつかありますが、読解に影響のないものは無視することとして、現在分かっている重大なミスプリントのみを“お知らせ・訂正”いたします。
110頁 コラム 5行目 筑紫野市 → 太宰府市
165頁 引用文 2行目 腰から下 → 腰から上
234頁 4行目 トップに「喜撰法師」を加
える。
PDF化する時 文字バケすることがあるので困ります。
『続 法隆寺は移築された』改訂版は年内を目標にしておりましたが、このブログを休止して集中した結果、先日出来上がりました。
いつものことですが、“完璧”と思って印刷屋にデータを渡す時のスリルがたまりません。
お約束通り初版を買っていただいた方々には発送を済ませました。
感想・コメント等ありましたらメール下さい。
いいコメントでしたら、このブログに転載させていただくつもりです。
『続 法隆寺は移築されたYONEDA’S 建築史学入門』
A5版 ペーパーバック 280ページ
AB&JC PRESS発行
お問い合わせは abandjcclub@gmail.com まで
『柿本人麿の真実』A5・カラー・ハードカバー・愛蔵版を20部製作しました。
興味のある方はメール(abandjcclub@gmail.com)でお問い合わせ下さい。
尚、内容は以前のB5版(ペーパーバック)と同じです。
難しい内容ですが、少しづつ理解が進み、この一冊で10年間は楽しめます。
『柿本人麿の真実』A5・カラー・ハードカバー・愛蔵版を20部製作しました。
興味のある方はメール(abandjcclub@gmail.com)でお問い合わせ下さい。
内容は以前のB5版(ペーパーバック)と同じです。
現在、『続 法隆寺は移築された』を作り直し中です。
以前、お求めいただいた方々にお送りする予定です。
期待しないで(?)待っていて下さい。
米田氏の文はそのままで、編集に工夫を凝らし、分かりやすい建築史学入門書を目指していますので手間取っています。
一応、バーコードを付けることを目標にしています。
『長谷寺考』のB5版は終了。A5愛蔵版は若干残部あり。
『東アジアの悲劇』(B5版のみ) 在庫に余裕あり。
遅ればせながら 『この世界の片隅に』 を観てきました。
まだまだ記録を伸ばしそうです。
作品の受け止め方は、あの戦争の真相をどこまで理解しているかによって十人十色だと思いますが、
元をただせば“八百長イベント”だったわけで、
限りなく腹の立ったことから、作品はすばらしい出来と言えます。
同じようなイベントを現在も企画している奴らがいることを国民の何割が気付いているかが問題です。
日付を追ってストーリーは進行するのですが、20年
4月1日と出た瞬間息が止まりそうになりました。
私の生まれる前日だったからです。
薬師寺東塔をめぐっては、藤原京からの「移築説」と平城京遷都後の現在地での「新築説」があったのですが、新築説が確定的となったという、私にとってはオールド・ニュースです。
『七大寺年表』によれば、680年に「造薬師寺」、730年に「造東塔」とあります。
『七大寺年表』は受験歴史には出てこない、学者さんたちも触れたくない、しかし重要な文献です。
東塔に関しては現在地での「新築」が学者さんたちの望む結論らしく、なんとなく「移築」という言葉がお嫌いの雰囲気です。
もともと大分県宇佐にあった建物を藤原京内(現・本薬師寺跡)に移築した後、地域の人たちが「真相」を知って、騒ぎ出したため止む無く現在地へ「再移築」したのです。
移築を繰り返し、国民に最初の所在地を忘れさせるという大和朝廷の高度な心理作戦です。(現政権も似たようなことをどんどん仕掛けてきますね。)
問題の年輪年代法についてですが、720年代に伐採されたことを根拠に「現在地で新築だ」とはしゃいでおられるようですが、全然学問といえないですね。
何らかの理由で心柱を新調し、ほかの部材を新たに追加したとすると、はしゃぐ皆さんの言う結論に導かれます。
創建の年を判定する場合「移築」という概念抜きでは真実に迫ることは不可能なのです。
現在『続 法隆寺は移築された ― 米田建築史学入門』を編集中ですが、米田良三氏の凄さをひしひし感じています。







