薬師寺東塔は新築?移築?論争決着へ | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

薬師寺東塔をめぐっては、藤原京からの「移築説」と平城京遷都後の現在地での「新築説」があったのですが、新築説が確定的となったという、私にとってはオールド・ニュースです。

 

 

『七大寺年表』によれば、680年薬師寺」、730年に「造東塔」とあります。

 

 

『七大寺年表』は受験歴史には出てこない、学者さんたちも触れたくない、しかし重要な文献です。

 

 

東塔に関しては現在地での「新築」が学者さんたちの望む結論らしく、なんとなく「移築」という言葉がお嫌いの雰囲気です。

 

 

もともと大分県宇佐にあった建物を藤原京内(現・本薬師寺跡)に移築した後、地域の人たちが「真相」を知って、騒ぎ出したため止む無く現在地へ「再移築」したのです。

 

 

移築を繰り返し、国民に最初の所在地を忘れさせるという大和朝廷の高度な心理作戦です。(現政権も似たようなことをどんどん仕掛けてきますね。)

 

 

問題の年輪年代法についてですが、720年代に伐採されたことを根拠に「現在地で新築だ」とはしゃいでおられるようですが、全然学問といえないですね。

 

 

何らかの理由で心柱を新調し、ほかの部材を新たに追加したとすると、はしゃぐ皆さんの言う結論に導かれます。

 

 

創建の年を判定する場合「移築」という概念抜きでは真実に迫ることは不可能なのです。

 

 

現在『続 法隆寺は移築された ― 米田建築史学入門』を編集中ですが、米田良三氏の凄さをひしひし感じています。