民営文化センター -19ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 

名古屋は学生時代まで暮らした思い出の地であり、幾つになっても彼の地の動向は気になるものです。

 

郡部に住むようになってからでも 名古屋行政のやる事・為す事が気に入りません。

 

何も、よそのことを心配しなくてもいいのに、と言われますが・・・。

 

筆頭は名古屋城天守閣の木造建替え問題で、今まで何度も述べています( プロジェクト X(エックス) 挑戦者たち  名古屋城 )。

 

栄の開発も滅茶苦茶。

 

テレビ塔の北の公園は災害時の避難スペースなのに安っぽいイベントハウスが立ち並び、栄交差点の北東のスペースはビル街の息抜きスペースを備えるかと思ったら、超高層ビルを建て始めるし・・・。

 

変貌著しい名古屋駅前 桜通り口を出て斜め左方向に建替えられた“ 大名古屋ビル「ヂ」ング ”が建っています。

 

私には お墓のイメージです。

 

名古屋で下車の方ご注目下さい。

 

可愛い先代のビルです。

 

 

 

 

 

        関係者以外は詰まらないかも知れません。

 
 

旭丘高校に関する記事を時々書いていますが(「鯱光祭」を見に 旭丘高校へ 2019 総集編)、自分が撮った写真を含め、かなり校舎に関するこだわりがあります。

 

 

 

物理の成績が良かったら建築家を目指していたかもしれない、と今でも思います。

 

 

 

現在の旭丘の校舎は旧校舎保存運動のドタバタを経て2002(平成14年)3月 完成したものです。

 

 

保存運動については別の機会に書くことにして、今回は2000625日「校舎お別れ会」の日に自身が撮影した思い出の校舎の写真集としてお届けします。

 

 

同じ日に撮っておられた26期生の方のネット記事(http://www5a.biglobe.ne.jp/~ASAHI26/photo2.htm)も御覧下さい。

 

 

 

 

 

 

  
 
 
 
 
 
 取り壊しが決まってから、校舎の元気がなくなっていった。
建物にも心があるような気がした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 一中生もこの教室で
 
 
 
 
 
 

 戦前建築部分  203教室から運動場を見る

 
 
 
 
 
 
 ベビーブームに備え増築された4階からの眺め
 
 
 
 
 
 
 ナゴヤドームが見える。
 
 
 
 
 
         名古屋では1,2の古さをを争うタワマンが
                  
 
 
 
 
 
 2枚を合成  4階302教室から
 
 
 
 
 
 現在の校舎(プロによる撮影)
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

ここ暫く「米田建築史学シリーズ」のアナウンスをしていないせいか、申し込みが途絶えています。

 

 

 

在庫あと10セット強です。よろしかったらAB&JC PRESSHPからお入り下さい。

 

 

 

様々な理由で米田建築史学は分かりにくいとの定評があり、かなり教養がある人でも手こずっているようです(教養が邪魔をする?)

 

 

 

本来 在った国が歴史上全く消えてしまう、ということが 皆さん どうしても理解できないようです。

 

 

 

百済は歴史上存在しているのに、交流相手(九州王朝倭国)が全く表に出て来ないのは何故なのか?

 

 

 

トランプとプーチンの共同ちゃぶ台返しと世界への日本の古代の真相発信で日本()国は復活します。

 

 

 

『源氏物語』が定説より350年昔に書かれているだけでも凄いのに、縄文時代の解明が進めば世界のトップに躍り出ることは確実です。

 

 

 

奈良時代から ずーっと倭国民っぽく振舞って(大和朝廷の前身である)扶桑国を構成していた渡来人の子孫の皆さん、上手く血統を守り貫きましたね。

 

 

 

途中から合流した人々も含め、お疲れ様でした。

 

 

 

今度の選挙で一気に白村江の戦後処理の失敗を取り返そうという魂胆のようですので、お手並み拝見しますね!

 

 

 

https://twitter.com/tiyokoo/status/1198225763843002368 

 

 

 

https://ameblo.jp/writeeverythingforever/entry-12749284172.html 

 

 

 

 

学生時代(1960年代)日本でも海外でも、歌が爆発的にヒットすると、超スピードで その歌にちなんだ歌謡映画なるものが作られました。

 

 

 

 

映画館に足を運ぶ者からすると ストーリーなんかどうでもよく、大きな画面でお目当ての歌手と曲を楽しみたかったのです。

 

 

 

 

滅茶苦茶な ご時世になってしまいましたが、しばらく以下の動画でおくつろぎ下さい。

 

 

 

 

本格的な人生が始まったばかりのあの頃、ラストの二人が駆け寄るシーンで、不覚にも思わず涙腺が・・・・

 

 

 

 

 

 

 

実は、主人公と似た境遇にあったんですねぇ~

 

 

 

今では、ただのひねくれ爺なんですけど。

 

 

 

 

それにしても、二人の恋が離陸寸前のプロペラ機を止めてしまうなんて・・・

 

 

 

 

      愛は限りなく Dio come ti amo 1966)感動のラストシーン

 

 

 

 

1993年の東京公演では大人っぽく変身しています。

 

 

 

「愛は限りなく Dio Come Ti Amo」ジリオラ・チンクェッティ    Gigliola Cinquetti  93 tokyo

 

 

 

 

日本語バージョンを見つけました。

https://www.youtube.com/watch?v=YYAS5fmEMNo&t=150s

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の切り抜き帳をめくっていたら湾岸戦争の頃の記事がありました。

 

 

 

 

“神輿は軽くてパーがいい”というアメリカ側の対日スローガンの現在進行形ですね。

 

 

 

               あの法隆寺 まさかの財政難       

      クラウドファンディング乗り出す 

 

 

 

法隆寺でさえコロナ騒ぎで観光客が激減し伽藍の維持管理が困難だそうです。

 

 

 

法隆寺は斑鳩に移築される前は大宰府に在った倭国王室観世音寺でした。 

 

 

 

そこに在った三十三間堂はそのまま残し、造り直したのが大和政権の観世音寺であり、三十三間堂はその後、京都に移築されました。

 

                                                                                                    

 

 

江戸時代のお堂が残っている観世音寺の大伽藍跡に佇めば倭国九州王朝の昔を偲ぶことが出来ます。

 

 

 

以前、このブログで“夢殿にいる救世観音を百済観音の隣に移せ”と書いたことがあります。

 

 

 

両者は倭国上宮王夫妻を表現しており、その王子が光源氏(のモデル)です。

 

 

 

 

『源氏物語』は倭国の京(大宰府)を初めとする北部九州一円を舞台に展開します。

 

 

 

 

以上のような内容を法隆寺がカミングアウトすれば、コロナ由来の収入減は“あっ”と言う間に挽回され、世界の人々の日本を見る目が激変すること請け合いです。

 

 

 

 

救世観音と百済観音を一緒に展示しない理由が分かる人は「法隆寺移築説」も理解できている人です。

 

 
 

 

 

 

 

6月上旬に発行された某革新系団体の機関紙の記事です。

 

 

 

この団体は更なるワクチン接種を推進しようとしています。

 

 

 

学生運動華やかなりし頃、同級生の活動家たちは もっと弱者に目を注ぎ、正義感があったように思うのですが、今にして思えば、結局、彼らも同じ穴の狢なんだ!

 

 

 

https://corowaku-memo.com/yushi-ichiran/yushi-ishinokai/  

全国有志医師の会

 

 

 

反ワク有志の会に集う医師達との違いは歴然としています。

 

 

 

https://note.com/nakamuraclinic/n/nc6fe7c601364  

       真実を教えてください

 

 

 

 

 

最近、うちの店には、得体の知れない局所痛を訴えるお客さんが一日一人は訪れます。

 

 

 

 

初めて経験する痛みで、一様に悲しそうな表情で訴えるのが特徴です。

 

 

 

 

鎮痛剤はそこそこ効くようですが、長期的にはどうなるのでしょうか?

 

 

 

初めからこれくらいの余裕( https://www.nicovideo.jp/watch/sm40444731

)があれば、そんなことにはならなかったのに・・・・・

 

 

https://ameblo.jp/sunamerio/entry-12746460052.html

 

                                       

1964 年3月、私はN大学を受験したのだが、日本史の問題で、鎌倉時代の武家の系図の3箇所に明らかなミスプリントを発見した。

 

 

 

試験官に向かって手を挙げるわけにもいかず、納得のいかないまま合格発表の日を迎えた。

 

 

 

結果は第2志望合格。

 

 

 

初志貫徹、再度チャレンジして翌年 入り直した。

 

 

 

入学して 人生で最高の気分の2年間の教養部生活中に、このミスプリント事故の真相をテニス部の仲間から聞くこととなる。

 

 

 

現代だったら大問題に発展しかねない内容だが、当時は殆ど表沙汰にはならなかった。

 

 

 

なんでも、大学の採った解決法は、合計1000点満点から日本史の分100点をカットし10/9 を掛けるというものであったらしい。

 

 

 

一律に100点 採点から外すという乱暴な方法でなく、該当部分の微調整であったら私の運命は変わっていたかもしれない。

 

 

 

 良かったか、悪かったかは別にして・・・・ 


 

 

       By the way, 

  

  タイトルの入試科目云々に就いては、このエピソードが理由ではない。

 

 

 

  今の世界情勢からすると、今後「日本史」・「世界史」とも FAKE HISTORY が白日の下に晒される。

 

 

  事細かな出来事の暗記、歴史解釈の強制、自由な発想を妨げる等、入試科目を活用したマインド・コントロールが批判される時がやって来る予感がする。

 

 

                                    

 

 

 

                                       

 

 

 

コロナ騒ぎが始まった頃に比べると、マスク習慣はどっぷりと日本中に根を下ろし、女性の半数以上が“このままのほうが良い”と言いたげです。

 

 

 

化粧に手間が掛からないのは勿論ですが、「おほほ!」と口に手を当て、悪い歯並びを隠したりする日本人独特のマナーと共通の心理が定着したのでしょう。

 

 

 

当初は「マスクを外して顔を見せてっ」と言える雰囲気があったのですが、今ではもう無理です。

 

 

 

昔の『新内科診断学』を紐解くと医療現場で顔を瞬時にチェックすることが求められているのですが、それも出来ません。

 

 

 

悪名高い「パソコン画面ばかり見ている・・・・」診察なら従来と大差なしかも知れませんが、アナログ派には応えます。

 

 

自分の店を構えてから45000人以上のお客さんと顔を合わせ、その吐く息を吸って来たのですから、今となっては医療のロマンは消え、顔なし相手の危険極まりないストレスフルな日々を過ごしています。