自分の心を感じたくない
という人がたくさんいます。
でも
自分の心を感じましょう。
誰かに愛されたい
皆に愛されたい
誰かに理解されたい
皆に理解されたい
それを叶えるための
絶対必要条件は
自分が自分の心を感じて
自分が自分の心を認める
という事です。
そして
自分の心を認めるという事と
自分の心を感じるという事は
同じ事です。
自分の心を認めたい人は
自分の心を感じればいい。
それだけでいいのです。
「自分」とは
あなたにとって一番身近な他人です。
その人の心を感じてあげる事が
あなたの人生の目的の一つです。
その人(自分)の痛みを
その人と全く同じように感じられるのは
あなただけです。
あなたがその人の心を感じてあげれば
(それはイコール「自分の心を認める」
という事です)
あなた(「自分」というキャラ)は
他人からも理解され、認められ
寄り添ってもらえ
私の気持ちを分かって貰えた!
という嬉しい経験が出来ます。
自分の心を感じましょう。
一時的に痛みを感じても
それは一時的なものです。
そして
その痛みとともにあなたの中には必ず
「自分の心を感じてもらえた」
という喜びや安堵が発生しています。
痛みとともにそれを感じる人も
いるでしょう。
痛みが強すぎてまだ感じられなくても
痛みは必ず引いていきます。
それと同時に
喜びや安堵は増していきます。
早かれ遅かれ必ず
喜びや安堵を感じられるようになります。
そこに行くまで、感じる。
今、あなたは生きています。
感じるしかありません。
だから
感じるのです。
今私はどんな気分なのだろう
何を感じていてもOKです。
感じましょう。
漫画を読む、ドラマを観る
旅行に出かける、景色を眺める
どうしてそんなことをするのか?
それは
「それ」に反射させることで
「自分の心」を感じるためです。
自分の心を感じないために
「それ」をすることもありますが
実はその場合は
「自分の心を感じていない」のではなく
「嫌な気分」を感じないようにしている
なのであって
自分の心を感じていないわけでは
ないのです。
私達は生きてる限り何かしら
自分の心を感じてしまうように
できています。
だから
意図して、感じましょう。
意図して感じることで
人生の操縦権を握る事ができるからです。
どうやって操縦するのか?
どうなったら「操縦出来ている」と
言えるのか?
そんな、先の事は考えなくてOKです。
ただただまずは、感じましょう。
「どうやって?」「どうなったら?」は
あるラインを超えた時
自然と分かります。
分かった時、あなたは
「あぁ、どうやって?どうなったら?
という事はどうでもいい事だったのだ」
と分かるでしょう。
自分の心を感じて
心地よさを目指していれば
万事うまく運ぶのだ
という事は
そうなるまでは分かりません。
だから
そうなるまではやるしかない。
そうなるまで分からない事は
考えても分からないんです。
だから
やるしかない。
自分という迷宮を探索して
自分の心を感じまくっているとある瞬間
「パァァー」っと
分かるもんなんです。
何が分かるのか?はどうでもよくて
「なんか、分かる」なんです。
分かった時にあなたはこう思うでしょう。
「あぁ、あの人が言ってたのは
この事か!!
確かに言いようがないし
こうならなきゃ分からないし
やるしかないわ、あっはっは」
(*´ω`*)
ウニの味はウニを食べないと分からない
というのと同じで
「自分の心をとことん感じるしかない」
というのが何故なのか?
なぜそうすることがいいのか?
というのは
実際に自分がそれをやって
実際に自分がその変化を体験しないと
わからないのです。
だから・・・
「分かるまでやるか、やらないか」
なんです。
ただし(*´ω`*)ノ
くれぐれも・・・
やりたいかやりたくないか?
です。
やるのが偉くて、やらないのは愚か
という事では断じて無い!!
という事をお忘れなきよう
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