今週も仕事が怒涛の如く押し寄せてきます。
第1四半期末が迫ってきたので、所属部署のお金関係の整理もしなければ…。
とはいうものの、休みはしっかり取れるのでありがたいですね。
親会社にいた時には、ろくに休みも取れなかったので(笑)。
先週のブログで、「新来島サノヤス造船・大阪製造所」について書きました(新来島サノヤス造船・大阪製造所)。
その際に、この周辺をGoogleMap・ストリート・ビューでうろついていた際に見つけたものがありました。
本日は、奥様が午前中外出されるので、さっそくひとりでドライブです。
そして、たどり着いたのがコチラ。
「藤永田造船所跡地」の碑
以前は、三井造船マシナリー・サービスの敷地内にあったはずですが、現在は対面の道路から見える場所に移されています。
ここが「駆逐艦の藤永田」の跡地である証です。
時間があったので、対岸に渡ります。
まずは、新来島サノヤス造船の対岸から。
先週入渠していた巡視船「だいせん(PLH-10)」が、出渠していました。
出渠した巡視船「だいせん(PLH-10)」
そして、藤永田造船所の跡地の対岸には、「新木津川大橋」のアプローチの三段ループがあり、歩いて登ることができます。
サンダル履きで来たことを若干悔やみながら登っていきます。
新木津川大橋・北詰の三段ループ
ループを登り切り橋梁を南に進んでいくと、対岸の藤永田造船所本社工場のあった場所を一望することができます。
藤永田造船所本社工場跡地
写真中央左側に写るゴルフ練習場の黒い柵から右側が藤永田造船所本社工場の跡地です。
右端に石垣のようなものが見えるので、ズームしてみましょう。
藤永田造船所本社工場・船渠跡
これは、本社工場の西側の船渠の入口で、この部分は当時のままに残っています。
昭和23年2月の航空写真
(引用:HP「地図・航空写真閲覧サービス」国土地理院:USA-M18-1-144)
赤エリアが藤永田造船所の本社工場、青エリアが同じく藤永田造船所の船町工場、黄色が写真の入口をもった船渠、茶色が現在の新木津川大橋の位置になります。
本社工場の対岸にあった船町工場の跡地を見てみます。
藤永田造船所船町工場の跡地
船町工場の跡地は、左端に写る三段ループと中山製鋼所が立地しています。
遠方に「あべのハルカス」を見ることができます。
また、この橋からは新来島サノヤス造船に接岸している「だいせん(PLH-10)」も望めます。
新木津川大橋の橋梁上から見た「だいせん(PLH-10)」
船渠には別の巡視船が見えます。どうも第九管区・伏木海上保安部の「やひこ(PL-04)」のようです。
三段ループを登るのに少々疲れたのと時間的なものもあり、新木津川大橋を後にします。
そして、帰りに1箇所寄り道をしました。
大阪シティバス・造船所通りバス停
その名も「造船所通」バス停です。
「造船所通」の名は、大阪紫電・路面電車の54系統三宝線に昭和37年5月に設置され、後身の大阪市営バス(現・大阪シティバス)に引き継がれたもので、往時を偲ばせるものがあります。
大阪紫電の「造船所通」電停
(引用:「日本鉄道旅行地図帳10号・大阪」2009年2月、新潮社、P.22)
場所は、新なにわ筋(府道29号線)の北加賀谷郵便局前交差点付近、新来島サノヤス造船・大阪製造所から東に向かった所にあります。
造船所通のバス停・紫エリアが新来島サノヤス造船
(引用:HP「大阪シティバス株式会社/路線図」)
木津川河口付近の造船業華やかりし往時を偲ばせるようなバス停です。
昭和30年代から40年代にかけては、造船所の従業員の方々でさぞかし賑やかだったのだろうと思います。
なお、今でもこの一帯は中小の工場と各種の物流センターが立ち並ぶ工業地域です。
木津川周辺は、我家からも近いのでコロナで外出がままならない頃には足繫く通っていました。令和4年7月9日・木津川の新来島サノヤスの巡視船
転勤前最後の休日出勤 サノヤスの巡視船「おき」から歴史を遡る
令和3年1月17日サノヤスにいたもう1隻・エスコート船「シリウス」
今日のサノヤス 新型コロナで休業中のクルーズ船コンチェルト・サンタマリア
大阪市西成区・サノヤス造船にて 漁業取締船「照洋丸」と掃海特務艇建造の歴史
また新来島サノヤス造船の隣にある、名村造船所跡地を活用した「クリエイティブセンター大阪」には、まだ訪問できていません。
これからもこの周辺には時折訪れ、木津川河口の造船に関して時折触れていきたいと思います。
大阪・木津川河口の造船所群
【参考文献】
Wikipedia および
【Web】
HP「地図・航空写真閲覧サービス」国土地理院
HP「大阪シティバス株式会社」