令和2年7月12日・サノヤス造船の巡視船「ふそう」から | 艦艇・船舶つれづれ

艦艇・船舶つれづれ

旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

久しぶりに雨が止んだので、サノヤス造船に行ってみました。

 

巡視船「ふそう(PLH-21)」がドックから出てきていました。

 

昭和54年に国際海事機関(IMO)で海上捜索救難に関する国際条約(SAR条約)が採択され、さらにアメリカ合衆国とのあいだで「日米SAR協定」が締結され、日本の分担区域は北緯17度以北及び東経165度以西とされました。

これに対応するため、海上保安庁では昭和57年度から「広域哨戒体制の整備」に着手、その中核として建造されたのが大型のヘリコプター搭載巡視船「みずほ(PLH-21)」と「やしま(PLH-22)」の2隻です。

 

「みずほ」は、三菱長崎造船所で昭和59年8月に起工され、昭和61年3月に竣工し第三管区の横浜に配属されます。

【要目】

 総トン数:5,259トン、常備排水量:5,317トン、船質:鋼、全長:130.0m、最大幅:15.5m、深さ:8.8m

 機関:ディーゼル×2、推進軸:2軸、最大搭載人員:130名

 出力:18,200馬力、速力:23ノット、兵装:35mm単装機銃×1、20mm多銃身機銃×1

 搭載機:ベル412型ヘリコプター×2

 ※引用:世界の艦船、No.881、2018年7月、海人社、P45

 

令和2年7月12日・サノヤス造船の巡視船「ふそう(PLH-21)」

 

巡視船「みずほ(PLH-21)」は当時最大・最新鋭の巡視船でしたが、さらに大型の巡視船「しきしま(PLH-31)」の就役に伴い、平成3年12月に第四管区・名古屋へ転出します。

 

そして、令和元年7月に二代目「みずほ(PLH-41)」の就役に伴い、「ふそう」と改名のうえ第八管区・舞鶴へ転出します。この時、搭載機は二代目「みずほ(PLH-41)」に移行されたため、現在「ふそう」には固有の搭載機がありません。

 

ちなみに、「扶桑」は帝国海軍では2代に渡って重要な艦に命名されています。

初代「扶桑」は、新政府海軍の発足後にシンボルとなる主力艦として初めて購入した装甲艦で、イギリス・サミューダ・ブラザーズ造船所で建造され明治11年1月に就役しました。

建造当初は汽帆併用であったが通常航海は帆走によっていました。明治27年に近代化改装が行われ、帆装を撤去します。

日清戦争では唯一の甲鉄艦として従軍しましたが、すでに旧式で低速な性能から主力艦としての活躍はできませんでした。

「扶桑」は、日露戦争にも従軍した後、明治41年4月に除籍されました。

 

近代化改装後の軍艦「扶桑」(引用:Wikipedia)

(不明 - http://www.cityofart.net/bship/ijn_fuso_milrig.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=377900による)

 

二代目「扶桑」は有名な戦艦「扶桑」ですね。帝国海軍初の超弩級戦艦として呉海軍工廠で建造され大正4年11f月に竣工しました。

その後の改装で第三砲塔に航空艤装を行ったことから、砲塔の向きを変更したため、有名な独特の艦橋構造になってしまいました。姉妹艦の「山城」は航空艤装の位置が変更されたことから、均整の取れた艦橋構造となっています。

 

戦艦「扶桑」(引用:Wikipedia)

(Unknown, assumed official photographer as this a high-quality photo unlikely to be taken by an amateur and the IJN severely restricted professional photography of its ships after World War I. - Kure Maritime Museum, (edited by Kazushige Todaka), Japanese Naval Warship Photo Album: Battleships and Battle Cruisers, p. 133, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11928971による)

 

戦艦「扶桑」は有名ですが、以前にこのブログで幻の改装案を書いたことがあるので、興味のある方は見ていただければ幸いです。

 

ちなみに、本日のサノヤスでは巡視船「ふそう(PLH-21)」の内側に巡視船「みうら(PL-22)」がいました。

 

令和2年7月12日・サノヤス造船の巡視船「ふそう(PLH-21)」(右)と「みうら(PL-22)」(左)

 

また、ドックには令和2年6月25日の東京 - 八丈島航路の運航をもって引退した二代目「さるびあ丸」が入っていました。

 

入渠中の東海汽船・貨客船「さるびあ丸(二代目)」

 

「みうら」「さるびあ丸」は、また別途取り上げてみたいと思います。本日はこの後出かけますので、これにて失礼します。